「おに、おにい…さま?」

 玲那のその声に、私はゆっくりと顔を丸メガネの彼の方へ向ける。しかし彼も驚いて目を見開いているだけだった。

「甚八お兄様ですわね! ご機嫌麗しゅう。会えてとっても嬉しいわ!」

 急に声を弾ませる玲那に、私は唖然とした。こんな言葉遣いの玲那を初めて見た。彼女はやっぱり、お嬢様だったのだ。

「えっと、君は………?」
「雨衣玲那ですわ! もしかして……覚えてらっしゃらないの……?」
「雨衣……あぁ、雨衣先生の娘さんかぁ。大きくなったなぁ」
「甚八お兄様は全く変わらないわ! あの頃のまま……」
「それはそれで複雑なんだけど。君と最後にあったのはもう20年も前じゃないか」
「ええ、それでも変わらない……さすが甚八お兄様だわ!」

 二人の会話に挟まれて、ぽかんと口を開けたままの私に先に気付いたのは玲那だった。

「愛果、こちら加倉山(かくらやま)甚八(じんぱち)お兄様よ! 呉服店「加倉」の若旦那でいらっしゃるの。
 昔、私のお父様が甚八お兄様のお父様の手術を担当したことがあってね、そのよしみで時々遊んでくださったのよ!」
「へ、へぇ……」

 玲那のお父さんが天才外科医だということは聞いていたが、まさかあの超有名呉服店「加倉」の主の手術を受け持ったことがあるとは………。じゃなくて! もしかして、このお方はVIP扱いのお客様なのでは?
 私の背中を嫌な汗が伝った。そのまま動けなくなった私は、そのままこのことの成り行きを見守ることにした。

「ところで甚八お兄様、鶴亀総本家に何の御用でしょうか? まだ開店時間には早いですし……」
「ああ、そうだった。今日、夕刻に東丸宮商事と取引のあるドイツのお偉いさんが来店されるんだけど、その方が偉く日本文化に興味を持っていて……上の茶室で茶道体験をしたらどうかと提案したら、ぜひにということで」
「それでうちの和菓子を注文しにきてくださったのね! もちろん、受けますわ!」

 このショッピングモールの屋上には本格的な日本庭園が広がっており、その一室に茶室がある。そこに一番近くて世界に引けを取らない和菓子店として、御茶請けに選んでくれたことは素直にうれしい。けれど、なんともいけすかないこの男性に、私はわざと棘をぶつけた。

「玲那、とりあえず確認取ってこないと。一応予約は1週間前まで、VIPならなおさら慎重にいかないと!」

 と、私が言うがはやいか、玲那は店舗奥に去って行ったのだった。