彼らの去って行ったホテルのロビーはがらんとしていた。甚八さんと私だけが取り残されたそこで、甚八さんはくるりと踵を返した。

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください!」
「何?」

 甚八さんはそれはそれは不機嫌そうな声で答えた。

「今、さらっと奈良に行く約束しましたよね? え、私も一緒に行くんですか?」
「お前は日本語も理解できないのか?」
「理解したうえで聞いているんです! 私は、明日、奈良へ、行くんですか!?」
「ああ、行く。明日朝5時に俺の店に来い。着付けしてやる」

 そう言ってスタスタとホテルのロビーから去っていく甚八さんを、私は呆然と眺めていた。

「モタモタするな、その着物脱ぐのに俺の店に戻るだろ?」
「あ、はい……!」

 私は慌てて彼の背中を追いかけた。と、慣れない着物と下駄のせいで、足がもつれてしまった。
 ―――倒れる!
 そう思った瞬間、私の体はなぜか彼の広い胸の中に包まれていた。