あなたの左手、 私の右手。

「おばあちゃん、じゃあ行ってくるね!」
「いってらっしゃい、気を付けるんだよ」
「うん。おばあちゃんも気を付けてね」
「はいはい」
私、赤名美羽(あかなみわ)24歳。
わけあって大学を卒業してから2年後の今日、社会人としての一年目の生活をスタートさせることになった。

「美羽、ちゃんとお父さんとお母さんに」
「ちゃんとお線香あげたよ」
「そうかい。いってらっしゃい」
私がばたばたと支度を済ませて玄関で降ろしたてのパンプスに足を入れていると、奥の部屋からおばあちゃんがゆっくりと歩いてきた。

「大丈夫、玄関までわざわざでなくても。」
おばあちゃんは昔から足が悪い。
出産をしたときに足を悪くしたと聞いている。

「ちゃんと見送らせておくれよ。孫の初出勤なんだから。」
しわしわの顔に笑顔を浮かべながら私の方へ近付くおばあちゃん。
「あー似合ってる似合ってる」
玄関まで来たおばあちゃんは私のスーツをしわしわの手で撫でる。

「ありがとうね。スーツ。」
このスーツはおばあちゃんが買ってくれたスーツだ。
「いいんだよ。それ着て頑張っておいで。美羽は自慢の孫だよー。あの【ASAKAWA】で働くなんて。すごいことだ。」
「ありがとう。頑張るね。じゃあ行ってきます!」
私は話が長くなりそうなおばあちゃんに笑顔を見せてから玄関を出た。

街からは少し離れた場所にあるこの家には、今おばあちゃんと私の2人暮らし。
元は私が両親と一緒に住んでいた家で、ここに2年前からおばあちゃんが一緒に暮らしてくれている。2階建ての家だけど、足の悪いおばあちゃんは2階に上がることはできない。

週に3回デイサービスに通っているおばあちゃんは今75歳。
家におばあちゃんを一人にして出勤するのは心がひけるけど、私がおばあちゃんのことも支えなくてはいけないことを考えると仕方ない。
せめてデイサービスで同年代の人とお話をしたり何かを作ったりして楽しんできてほしいと思っている。
ぴかぴかの時計を見ると、電車までの時間があまり残されていなかった。

私はおろしたてのパンプスのかかとを鳴らしながら小走りに家から近い駅へと向かった。

スーツ姿の人たちが忙しそうに歩いている。同じ駅の方向へ向かって。
その中に自分がいることに、まだ違和感を感じている。
周りからも違和感を感じて見られるのかな・・・と自分の格好がお店の大きな窓に映ったのをちらりと見てしまった。

自分でもまだ見慣れない。

つい先週まで私は近所の洋食店でアルバイトをしていた。
その姿から比べると・・・我ながら大変身だ。

駅に着くと都心に近いからかかなり混雑していた。
この状況から考えると電車の中もかなり混んでいそうだ。

次からは時間をずらそうか・・・でもこれ以上早く出勤するとなるとおばあちゃんを一人にする時間が長くなってしまう・・・。

仕方ない。耐えるしかないか。
そんなことを考えていると、駅のホームに電車が入ってきた。
混み具合にさーっと血の気が引く。
これは・・・行けるだろうか・・・。

すでにぎゅうぎゅうの電車に乗り込まなくてはならない事実に私は大きく深呼吸をして気合を入れた。

電車が停車する前から先陣を切ってスーツ姿のサラリーマンが動き出す。
私も負けじと進んだ。

どこから出て来たのか私の前にも後ろにも人がたくさんいて、いつの間にかその流れに流されるように私は電車の方へと進みはじめた。

いつの間にか電車の中に自分の体が置かれている状況・・・。

怖いっ!何々っ!?

ものすごい勢いに恐怖すら感じ始める。

くっ苦しい!苦しすぎんかっ!
「ぐえっ・・・」
小さく声が漏れてしまう苦しさ。

2駅頑張れば目的の駅に着ける。
それまでに、出口に行かないと降りられないじゃん!

ここで衝撃の事実に気が付き私は焦りはじめる。

周りに立っている人たちが巨人にもそびえたつ壁にも見えてくる。

私の身長は153㎝。
人より実は小さい。

次の駅が勝負だ。
今は何も動けなくてできない。

ぎゅうぎゅうに圧迫されて呼吸も浅くしかできない。
自分のバッグを握りしめているだけで精一杯だ。
これを毎日・・・?

考えただけでげっそりとしてくる。

でも頑張らないと。

初日からこんなにうろたえてたらだめだ。


考えていると、あっという間に電車が止まった。

窓が見えないと景色が見えず、駅までの距離感もまるでない。

行かないと!私は全身の力を振り絞ってドアの方へと進み・・・進めない!

早くしないとと焦っているときに、ドアから新しく人が入ってくる。

降りる人の流れと乗る人の流れで体がぐるぐる何度も回らされる。

気持ちわるっ!でも負けたらだめだとドアの方へと流れに逆らって進もうとしているとグイっと誰かに腕をつかまれた。