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「あなたの為を想って敢えて言いますが、残された命の時間はそう長くないでしょう…。
…心の準備だけはしておいてください…」

体の節々の痛みや食欲不振、体重減少、倦怠感を訴え、ポツポツと陰鬱(いんうつ)な小雨が初夏の若草を濡らす早朝に病院を訪れた青年が、延々と待ち時間の続く検査の後、数多くの命を救った優しさと、救えなかった幾多の命の哀しみを顔の皺に刻んだ老いた医師から、
「入院して詳しく調べた方がいいが、あなたの症状は全身に転移した胃癌でほぼ間違いないでしょう…」
と症状の説明を受け、最後に斯(か)くの如き宣告が為された。
雨が強まり、診察室に鈍い音を立て遠雷が鳴り響き、蛍光灯に淡く染まった診察室の窓を怪しく照らした。
その言葉に青年は、
「僕、どうせ死ぬなら苦しむのはいやです…」
と訴えると、老医は、
「抗癌剤を始めとした化学療法の事ですね?…わかりました。配慮しましょう。…これからすぐ入院してもらっても構わないかね?」
「…はい…」
そうして老医は診察室を出る孤独な背中を見送ると病棟へ内線の電話をかけた。

それから間もなくの事である。
「六号室の患者さんの採血済んだ?それと検体とったら師長さんのところ行ってくれる?連絡あるみたいだから」
「はいっ、わかりました」
素早く返事をすると若き看護師は医療器具を載せたトレーを手に、病室のベッドに座っている老人の元へ駆け込んだ。そしてゴム紐状の駆血帯(くけつたい)を取り出し器用に老人の腕に縛り付けると、鬱血(うっけつ)した静脈にアルコール綿を擦り当て、紫色に透けた血管に素早く穿刺(せんし)する。
「看護婦さん、上手だねえ。痛くない」
老人の喜びの混じった驚きに、
「痛みを感じる部分は皮膚にあるから一気に刺せば痛くない時もあるんですよ。よかった」
若き看護師は澄んだ瞳で優しく語りかけると、採血ホルダーに採血管(スピッツ)を挿入する。小気味よく管に静脈血が流れる。そして採血管に血が溜まると慣れた手つきで取り出し、攪拌(かくはん)しては新たに一本、また一本…。そして最後に駆血帯を外して針を抜き、絆創膏(ばんそうこう)で止血して強く押すよう優しく指示し彼女は採血を終えた。
針を処理し採血管を試験管立て(スタンド)に据えて、看護師は足早に師長の元へ向かう。