過保護な君の言うとおり




 佐久間は私を見つめて、鉄砲でも食らったみたいに固まり。



次にはらはらと目から涙を流した。



さっきまで頬をふくらましていたのに、今は涙を流している。まるで壊れた機械のようだった。




 急なことで、私はいつかの佐久間のように慌てて



「な、なんで泣くんだ!?」とテーブルを回り込んで駆け寄った。



「よしよし、泣くな」と背中をさする。



すると余計に涙が溢れてくるらしく、


こいつの背中にはレバーがついていて、さすることで涙が溢れ出る仕組みになっているのかと思った。




「ご、ごめん。玲ちゃん」


「なんで泣くんだよお……びっくりするだろ」


出来る精一杯の優しい声で言う。




「僕もわかんないけど、なんか嬉しくて……」


グズグズになった鼻をすする。少し声は上擦っていた。



「ずっと心のどこかで玲ちゃんの迷惑になってるのかもしれないって……ここにいること自体が間違いかもって、ずっと思ってて」


「……ああ」


「だから、僕も少しは君の力になれてたと思うと安心したのかも」




「佐久間を迷惑だなんて思ったこと無いよ。

こんなにお節介で、迷惑だって思ってもいい所なのかもしれないけど、

ほんとに一度もないんだ」



 ソファーの脇に置いてあったティッシュを差し出すと佐久間は受け取り、目元をごしごしと擦った。





「それを聞けてよかったよ。


自分の選択が間違ってたかもって思ってビクビクしてたから……。


僕はいつもそうやって歩いてきた足跡を振り返っては確認したくなる。


間違ってなかったかな、大丈夫かなあって」




 佐久間は真っ直ぐで、ひとつの物事に一生懸命なイメージが大きく、

何かに迷ったり、くよくよすることとは無縁のように思っていた。




「そういうのは考えようだろ」



 私は人を励ましたり、そういう事をしたことがなかったので、ぎこちなく呟くように言うしか出来なかった。




「正解が存在しない世界で最善を選んできたと、そう思ってもいいんじゃないか。


選択が未来に影響するのだとしたら、やはり正しかったのだと、言えることが幸せだ。


いつだってお前は正しい。


だから、自信持てよ」




 どうせ選択しなかった方の未来が見えるとかじゃないんだ。



自分が選んだんだったら、それが一番いい結果を生むとそう信じるくらい、誰にも咎められたりしないだろう。





「そうだね……そう思うと心強いよ」


佐久間は泣いてくしゃくしゃになった顔で笑った。


「さあ、食べるぞ。佐久間の焼いたトーストは世界一美味いからな」




 トーストは歯切れのいい音をたてて私の口の中へ入っていく。



ふんわりと柔らかい。



鼻からパンの香りが抜けて、朝の香りと混ざって思わず笑みが零れた。









 私が小池と図書委員の当番をしていた時、一番会いたく無い人物がやってきた。



私を見つけたその人は、一直線にこちらに向かって手を振る。





「玲。久しぶり、会いたかったよ……」




 私のひとつ上の先輩。

そしてトラウマの相手、『三島 洸』は人の良さそうな笑みを浮かべる。



私は怖くなった。


もう終わったと思っていたのに、まるで、続きを始めようとするみたいに微笑みかけてくるから。




「本を借りないなら、話しかけないで」



「あれえ? ずいぶん冷たくなったねえ、玲。もしかして俺との思い出を忘れちゃってるのかなあ。あんなに楽しかった思い出を」



「楽しい? ……なにを言ってるんだ」




 私がそう言うと、洸はクスクスと喉を震わせて笑った。その笑みが悪魔じみていて、恐ろしい、まさに恐怖そのものだ。




「だ、大丈夫? 宮代さん」


小池が私の様子に気づき、声をかけてきた。


「……問題ない」


私は正気をかろうじて保っていたが、本当は誰かに泣き付きたいくらいだった。



呼吸が次第に早くなっていく。



「大丈夫には見えないよ……」小池が戸惑いながら私の背中をさすってくれる。






 洸がその様子を見て真顔に戻った。



「今はそいつが玲の恋人なのか? 思ってたのと違うなあ。


噂だと、玲にベタベタ付き纏っているって聞いてたんだけど、とてもそうは見えない。


案外、玲を奪うのも簡単そうだなあ」



「こいつは違う。

そうゆう関係じゃない。そもそも私は誰とも付き合っていない。……お前のせいでそんな気にもなれない」



「なにそれ、嬉しいなあ。俺もそう思ってたんだ。玲以外にいないってな」




 惚けた顔をして話す洸に向かって、私は薄く笑う。勘違い野郎は、大っ嫌いだ。




「へえー。洸はそう言う風に思ってたんだな」



 怒りと恐怖が頂点に達するといつも私は急に頭が冷める。


そしてこみ上げてくる笑いを制御するのに精一杯だ。


「だからさ、よりを戻そう。俺たち今度は上手くやっていける」



「……上手く…ね」



 そもそも洸と付き合った覚えなんてない。



私が告白を断ってからと言うもの、洸は解釈をねじ曲げ歪んだ現実に入り浸っている。


私と付き合っているという妄想に囚われているのだ。





「無理だな。これで最後にしてくれ、連絡もしてくるな……私の前に現れないでもらえるか」



「やっと受験も済んだのに、そんなのひどいよ。
玲だって、俺のことが忘れられないんだろ? 玲の孤独をわかってあげれるのは俺だけだ」



───怖い顔だ。


洸がおもむろに手を伸ばし、私の頬をなぞった。ぞくっと背筋が凍る。



「だから、大人しくしててね」



 そんな険悪な空気の中「おーい!」とびきり明るい声が図書室に響き渡った。



私の隣で顔を強ばらせていた小池も、ほっとした面持ちになった。



「玲ちゃーーーん! 遊びにきた……」



佐久間だ。


無垢で、暖かい笑顔の佐久間がやってきた。



しかし、洸が私の頬に触れているのを見ると


「……なにやってるの?」と顔を曇らせた。






私は洸の手を払い除ける。



佐久間がきたことによって、私はひどくほっとしていた。

人差し指を口元に近づけて、しぃーっと合図する。



「佐久間、声がでかいんだよ。図書委員がそんなんでどうするんだよ」



「ごめんごめん」


佐久間は頭に手をやって、照れ臭そうにする。



「……ていうか玲ちゃん大丈夫? 顔色よくないけど、何かあった?」



 佐久間は、チラッと洸の方を見て言った。



「なんだ、心配してるのか?」


私は思わずクスッと笑ってしまう。


佐久間はよく見ている、こいつがそばにいるだけで少し心が温まるのを感じるのだ。



「そりゃ心配に決まってるよ。……あ、そうだ。もし良ければ明日の定期検査、僕も一緒に行こうか?」



「お前は心配性だなあ、佐久間。

子供じゃあるまいし大丈夫……

って言いたいところだけど。待ち時間すっごく暇だからついてきて話し相手になってよ」



「あ、でも僕にゲーム機いっぱい持たせるのはやめてよ。せめてふたつだけね?」




定期検査での順番待ちは気が遠くなるくらい長いので、


この前は佐久間にゲーム機やカードゲームその他もろもろが入ったカバンを持ってもらったのだけれも、それが相当重かったらしいのだ。


言っておくが私は自分で持っていくと言ったのに、佐久間が世話を焼いただけだ。




「仕方がないなあ」と私は何を持っていこうか、まるでピクニックの前日のような気分で考えていた。




 その時、突然洸が笑い出した。



私も小池も、佐久間もびっくりしてそちらを見た。ピクニック気分が台無しだ。



「そっかそっか、驚いたな。こっちが本命か」


洸は笑っているのに憎しみに満ちた表情で言った。


「なあ、玲……いつからそんな顔をするようになったんだ」


「なんの話だ」


私は気づかないうちに眉をしかめていた。




「いつからそんな甘えた顔ができるようになったんだって。

玲は俺に一度もそんな風にした事なかっただろ。俺とそいつではなにが違う?」





「れ、玲ちゃん。この人は?」



佐久間が私と洸を交互に見て聞いてくる。その質問にどう答えたらいいものか迷った。



何故かって、もうとっくに上映が終わった昔の映画をもう一度映画館で見るくらい難しいからだ。


私はうまく説明できないから首をかしげる。




ただ、「ひとつ上の先輩」としか言えない。


「……違うだろ?」

 洸が眉をしかめ、私の顎を掴んだ。

「離して」

気に食わないと、すぐこれだ。私は視線を合わせないようにそっぽを向く。


「何してるんですか」


佐久間が間に割って入るが、洸は譲らなかった。敵意に満ちギラギラした目が佐久間をとらえる。



「そこの君が玲にとって安らげる場所なら、俺は玲が縋りつくような場所になってやるよ。
だからよーく、覚えておいてね、玲」


 洸はそれだけ言うと図書室から出ていった。

私は背もたれに身を預け、項垂れた。




 洸は穏やかにすぎていくと信じてやまなかった私の生活にひびが入れに来たのだろう。



さっきの態度を見れば明らかだ。



そこまで固執するのは私の責任なのだろうか。有耶無耶になったことで全て終わったと思っていたのに……。



 洸の出ていった方を険しい目で見つめる佐久間。



その袖をひくと「はっ」と意識が帰ってきたみたいにして、いつもの佐久間の顔に戻った。



「なあ佐久間、これからどうなると思う?」



「二人に何があったかはよく分からないよ。多分話してはくれないだろうし、それは別に重要じゃない。
でも、僕にとってあの人が都合の悪い人だってことは分かった」



 肩を竦めて佐久間は言った。


思ってたよりもあっけらかんとしていて拍子抜けする。



「なんだか余裕だな」


「まさか、そんなんじゃないよ」


佐久間は遠くを見つめ、


「ただ……君にあの人は似合わない」


と答えた。
 




「俺、玲のことが好きだ。付き合って欲しい」



この時の私は高校一年。一緒の委員会だったひとつ上の先輩の三島 洸に告白された。



 確かによく話しかけてきた当時の彼に悪い印象はなく、むしろ爽やかな先輩だった。




 でもそれとこれとは話が違う。



よく話すからと言って好きとは限らない。だから断った。


その時は洸もあっさりと「そうか残念だよ」と言い、しつこく迫ってくることはなかった。




 私が、おかしい、と違和感を覚えたのは数日経った月曜日。





昼休みに空き教室へ昼寝をしに行っていた私は人が入ってくる気配を感じた。




幸いこの教室には物多かったから、積まれた段ボールと机の間に身を潜めた。





 入ってきたのは洸だった。




それともう一人、洸に胸ぐらを掴まれ引きずられるように連れてこられていたのは、この前私に告白をしてきた男子生徒だった。



どうしてこの二人が? と思うよりも先に、ただならぬ雰囲気を察した私は息を潜めて隠れていた。