過保護な君の言うとおり




 布団を握りしめ俯く。


おかしいのは私の方か。今までそういうやつにばかり目をつけられていたせいで、感覚が狂っている。



 何でもかんでも、ましてや心配とか良かれと思ってしてくれている人の心まで疑うような自分にショックを受けた。



「そうじゃないならいいんだ。お前の善意を踏みにじるようなこと言って悪かったな」


「いいよ」


佐久間は今度こそ帰る支度をして


「じゃあ、今度はおかきでも待ってくるよ」と言い残し病室を出て行った。






 人の裏を読んで、その意図を推し量ろうとするのは私の癖みたいな、もっと言えば本能みたいなものだった。




小学校の低学年まではもの静かで教室の端で、ひっそりと本を読んでいるような子で、





この顔だからなのか、それとももっと他の理由があったのかは知らないが、頻繁にいじめられたりもした。



既にこの時、いじめ、という絶望を知っていたが神様は機嫌がよくなかったらしく



追い討ちをかけるように私をさらなる絶望に落とした。




それも、だんだん色をなくす私が、いかにも愉快だという風に。




いじめと同時期、私は両親を交通事故で亡くした。



真っ黒で、底知れない闇が幼い私を押し流す。





両親と親戚は少し複雑な関係だったらしく、体が弱い私を引っとってくれる大人はひとりとして現れなかった。




ただ『可哀想な子』と後ろ指を刺され、結局は施設で三年ほど過ごした。





当時の秋子さんは海外で仕事をしていて全く連絡が取れない状況だった。



その時の秋子さんがどんなルートで私のことを知ったのかはわからないが、


私のことを知ると、母の姉である秋子さんは慌てて日本へ戻ってきてくれた。



秋子さんはその時が初対面だったが




「ごめんね、寂しい思いをさせて」



と迎えにきてくれた時のことを、私は昨日のことのように思い出せる。





 学校でのいじめ、家庭の崩壊、みなしご。



一生分の不運が怒涛として私を海底へと引き摺り込んだ。



その反動というべきか、もがき反抗した結果、いつの間にかこんなふうになっていた。


人格が歪んでると言うべきか。



自分が人とずれていることは理解しているつもりだ。



でも、自分ではチューニングができない。それがまた私の首を絞める。




 私はよく考えてしまう。自身にメリットがなければ人は見向きもしないのでは無いか、と。


逆にメリットさえあれば親戚も私を引き取っただろう。


 人間は自分のエゴを守り続けて、それ自体に価値があると思い込む。





そして、自己のエゴに他人を巻き込むのだ。





なにが気に食わないって、その負のサイクルに私も含まれていることだ。




つくづく嫌気がさす。



「なんでこうなったんだ……」



 誰もいない病室に私の嘲笑う声がこだました。




──やはり無償の優しさなんてものは、あるわけないだろう。







「これ、宮代さんが休んでた時のプリントです。よければノートの見せますけど」



机に伏せっていた私に声をかけたのは、委員長だった。



「悪いな、助かる。ノートはまた今度でいい」


 そう言って、私が受け取る。



「委員ちょー。これ出し忘れてたから、代わりに持って行っといてよ〜」


遠くから委員長を呼ぶ声がした。

一瞬、委員長の肩が跳ね、悔しそうに眉を歪めた。


「……はい、今行きますね!」


それなのに向こうには喜んで承った、みたいな表情で返事をする。


なんだこの気持ち悪い反応は。



「いいように使われてんだ。委員長」




「え?」


「人の悪意も知らずに呑気に役割をまっとうする。

ただのパシリだとも気づかずに頼られて嬉しいとか勘違いしてるんじゃないかと思ってたんだが。

……あんた、本当はわかってんじゃん」



 委員長はグッと息を呑んで話を聞いている。

私がこんなふうに人の図星をつけば、たちまち怒りだすだろうと思っていた。


しかし、委員長は静かに返事をよこすだけだった。



「いいんですよ。私は委員長ですし、みんなの役に立てたら」


「……あっそ。望んでやってんなら、言うことねえよ」


「というか、なんでそんな意地悪を言うんですか」


「ただの世間話。それ以外なにがあるんだよ」


 委員長はなにも言わなかった。

またすぐに委員長を呼ぶ声がしたので「それでは」と私の席を後にした。


去っていく委員長の後ろ姿は、陰っていてあの頃の幼かった私の背中と重なって見えた。



少しだけ胸がいたむのはなんでだろう。







 昼休み、私は旧校舎裏の中庭のベンチで昼寝をしていた。



どうにも教室の空気が肌に合わない。



息が詰まるし、沢山の人の声が、足音が喧騒として、じんじんと頭の中を跋扈し頭が痛くなる。



少し冷えるとはいえ、ここのベンチは、あそこにいるよりはずっとましだった。




 うつらうつらと、夢の世界に入りかけていた時、何人かの人の声が聞こえた。


滅多に旧校舎にひとがくるはずない。来るとすればそれは、何かやましいことをする時くらいだ。



 声はだんだんと近づいてきた。



向こうからはベンチで寝転がる私は見えない。ちょうど私を覆い隠すように大きな木が一本生えている。




「なんかさっき先生に呼び出されたんだよね」


聞いたことのある声だった。


「そうですか」


「私がなんで呼び出されたかわかる?」


「……いえ」


「委員長、あんた先生に告げ口したでしょ。私たちがこき使ってるって、被害妄想もいいとこなんだけど」



 何やらドンという鈍い音と「きゃっ」という短い悲鳴が私の耳に届いた。



 話しているのは恐らく委員長とクラスの女子2人だ。今話していたのが背の高い皆川さんだ。



「それだけじゃないよ、あんたの机に落書きしたのも私のせいみたいに言われたんだけど」


これは恐らく品野さん。



私はぼんやりと無駄に天気のいい空を見上げながら、声だけを頼りに三人のやり取りを聞いていた。



「だって、見たんだも……」



委員長の声が途中で途切れ品野さんが


「お前の見間違いに決まってるだろ!」


と被せるように罵倒した。


委員長は殴られたのか。うめき声が聞こえた気がする。





 いつ終わるのか、ここを去っていくのを待っていたが全然終わる気配がない。



寝るにも聞こえてくる会話が耳障りで一方的な物言いに、私はイライラして眠りから直ぐに引き戻される。



私は起き上がって重い腰を上げ、一度伸びをする。


そしてふらふらと三人の元へ近づいた。


私がそっちへ向かってる間も、品野さんと皆川さんは罵倒に夢中で全然こっちに気づきやしない。


なんなんだ、こいつらは暇なのか、それともそういう趣味なのか。



「……お前ら、うるさい」

「ひぃっ!!」



 別に驚かすつもりは無かったが、品野さんと皆川さんはとても驚いた様子で声を上げた。


まあ、突然場違いに眠たい顔の私が出てきたんだから仕方がない。


「……で、何してんの」


委員長は私の足元で倒れ込んでいた。



「み、宮代さん。ど、どうしたの?」


皆川さんが恐る恐る言った。

どうしたの、じゃねえよ。流石にこの状況ではシラを切れないだろ。



こっちも馬鹿だなあ、お人好しの委員長はしりもちをついて泥だらけだ。



「そこで寝てたのに、お前らがぴーぴーうるせえから起きてきたんだよ」



私は視線を委員長の方に向ける。委員長は一瞬目を合わせたが直ぐに俯いた。



「こいつに言いたいこと言ったんなら、さっさとどっか行ってくれよ。

こんなことで昼休み使うなんてもったいねえだろ。

私も、あんた達も」



「そ、そうだね。ごめんね起こしちゃって!」


品野さんは何故か目じりに涙をためて言った。


「皆ちゃんもう行こ」


皆ちゃんとは皆川さんのことだろう。

品野さんはこくこくと頷いた彼女の腕を引いて旧校舎を後にした。






品野さんなんで泣いてたんだろう。



というか、委員長までなんで泣いてるんだよ。



「なにめそめそしてんだよ。そんなとこ座ってると余計に汚れるぞ」


「……ダメだったんです」


上擦った声で委員長が言った。


「宮代さんに使いっ走りって言われて、これじゃダメだって思って……先生に言ったんです。

落書きのことや、言うことを聞かなかった時は悪口を言われること。

でも、裏目に出てしまいました……」


 私はすっかり呆れてものも言えなかった。



先生に言えばなんでも簡単に解決してもらえる。なんてこと絶対にない。

助けを求められた先生は、体裁を整えるための形だけの対処しかしないだろう。

そんな中途半端な対処じゃ事態が悪化することなんて、目に見えてるじゃないか。



「人に全部任せて、それで解決すると思ったのか? 自分は何もしなくて助かるなんてことはないぞ」


 私は委員長に背を向けてベンチへ戻ろうとした。


「でも!」

委員長の袖を引かれ私はつんのめった。

「宮代さんみたいに強くないから……」




 泥だらけの制服は、目も当てられない。



「自分で変える努力を怠っている奴に言われたくない」


「……そ、そうですよね」


委員長は泣き笑いのような顔で言った。

「ごめんなさい」

使いっ走りにされていた時と全く同じ笑顔で微笑まれ、私は嫌な気持ちになった。





 しかし、委員長が言わんとすることもわからないでもない。



この現状に終止符を打とうと思ってたけど、どうしていいか迷った結果だったのだろう。



いつも私が助けるわけにはいかないし、

委員長がちゃんと悪意を跳ね返せるようにならないと意味が無いと思う。




 私は委員長の腕を引いてベンチに座らすと、ここで待つように言った。



 私はひとり教室に戻る。


委員長の机の中のものを全て委員長の鞄に詰め


ロッカーから私の体操服を取り出し、旧校舎のベンチへとまた戻った。



委員長は汚れたスカートとシャツを悲しそうな目で見ながら、ベンチに座っていた。



「もう帰れよ、そんな顔と格好で授業出れねえだろ。

どうせ今日はあと一限だけだし。

私の体操服貸してやる。

旧校舎の一階にある奥の部屋はまだ綺麗だから、そこで着替えればいい」


「え? これ借りてもいいんですか……?」


「そう言ってるだろ」


「……ありがとうございます。……あの、私はこれからどうすればいいんでしょうか……」



委員長はまだ不安そうな目で私を見ている。


そんなこと自分で考えろ、と吐き捨ててもよかったが、たまにはいいかとも思った。


私はひとつ息を吐いて、委員長に視線を合わせる。


「大丈夫だよ、委員長。今度何かあったら、自分の思うようにすればいい」


「う、うん。そうだね、そうする。助けてくれてありがとう……ございます」


委員長は深々と頭を下げて、涙をふいて中へ入っていった。



これは助けたんじゃない。



私にできる精一杯の力で、委員長を鼓舞したのだ。