「わたしはシイに乗せてもらう。早く人を乗せるのに慣れないとね。アドニス一緒に連れて帰りたいでしょ?」
確かにシイを預けたままにしておいて、また引き取りに王都まで来るのは手間に感じる。
通常なら、何か月もかかる行程をすっ飛ばしている。そこも踏まえるとリアンのその提案は、さらに時間を短縮できたようでありがたい。
「裸で乗るのか」
「うんまぁ、さすがに鞍はまだ無理だと思う。大丈夫、わたし別に平気だし。頭絡は着けさせてもらえそうだし」
ぽんぽんと顔を叩くのも嫌がらない。
目の周りや口の周り、首の辺りに抱きつくのも、特に嫌そうでもない。
リアンが頭絡を着けるのを見越して触っていたのかと思うと、アドニスは少し恥ずかしくなる。
ただただ可愛がって撫でまわしていただけだと思っていたのに、リアンはきちんと『竜狩り』として、先を考えて『仕事』をしていたのだ。
ディディエが残していた荷の中から、ちょうど良さそうな革帯を取り出している。
ディディエもリアンがそうすると見越して道具を残している辺り。
また少しアドニスは恥ずかしくなった。
口周りと後頭部に革帯を固定して、金具でぴったりに調節した。
馬のように馬銜は咥えさせないので、口元から手綱が繋がっているだけの簡単な頭絡だ。
着けることに慣れさせる為だから、操ろうとまでは考えていないのだろう。
リアンは頭を下げさせると、身軽にシイの首に跨った。
しばらくもぞもぞ動いて、自分とシイとが落ち着く場所を探る。
シイは少しよろよろとしていたが、戸惑いも見られないし、まして嫌がっているふうでもない。
人を初めて乗せたとは思えない。
リアンを乗せたことが、誇らしげにも見えるほど堂々としている。
しばらくくるくるとその辺りを歩いて回り、翼を広げて少し飛び跳ねてもみている。
そのいちいちにリアンは大げさに喜んで、いい子だとシイを褒め称えている。
寝そべって丸くなったまま、羨ましげに見ているチタが面白すぎた。
「チタ。ほらこっちにおいで」
きゅると短く返事をして、チタはのそのそとアドニスの元までやってきた。
いつもより甘えてくる感じに、いつもよりも増して甘やかしてやる。
「……ちょっと、この近くを飛んでくる!」
「ああ、分かった。気を付けろ!」
「はーい」
シイは少し助走をつけてから、翼を広げる。
何度か羽ばたいて少しずつ体を宙へ持ち上げでいった。
飛び立ち方もチタとは違う。
チタはその場から一気に上方向に、力任せに飛ぶ印象だが、シイは斜め上に飛び立つ。やはり鳥に近い気がした。
ディディエたちと示し合わせて、上空に昇ったときは、シイは大きく空を旋回していた。
空を駆ける速度はとてつもなく速い。
そのくせ滑らかに、優雅に飛んでいるようにも見えるのは、あまり翼を動かさないからだろう。
風を捉えてその上に乗るのがシイの飛び方らしい。
空に上がってきた皆に気が付いたのか、リアンはシイをゆっくりにさせ、輪を小さくさせながら旋回し、何周か目に横に並ぶ位置に来た。
ディディエの腕の合図に、分かったと合図を返している。
帰りは一列に、前方がディディエたち、リアンとシイ、最後尾がアドニスとチタで並んで帰途を辿る。
まっすぐに町に向かうのではなく、風上に向かって少しずつ高度を上げる。
町をかなり通り過ぎてから折り返し、風に乗って下降していく。
遠回りだが、竜にとっては消耗が少なくて済むし、急な高低差が無い分、人にとっては体にかかる負担が少ない。
なのでしばらくは山沿いを西に向かった。
太陽は低い位置に、黄色が濃くなっていた。
眼下に見える森の木々も、後ろ半分は影の色になっている。
本当に一日だった。
夜明けから日が暮れるまでの間に、新たに翼竜を捉えたことを改めて思い返して、アドニスはその事実に今更ながら驚いた。
有り得ないことだらけで感覚がおかしくなっているのか、それとも途轍もなく鈍感だったかのかと、乾いた笑いが止まらない。
前をゆくリアンとシイの姿を見ながら、思いきり長い唸り声も上げておく。
シイの体は細長い。
鞍もなしで、手綱もほとんど飾りのようなものだから、リアンはシイに跨って、上半身は寝そべるようにして乗っていた。
るるるるとチタが喉を鳴らす。
チタが見ているものを見ようとして、目線を合わせる。
チタが見ていたのは、リアンで、そのリアンは片手をぶらりと下に垂らしていた。
「……おい、まさか寝てはないよな?」
るるるるとチタが喉を鳴らす。
子が親を呼ぶときの鳴き声に似ている。
ずるりとリアンの体が傾いた瞬間、臓腑が氷水に投げ込まれたようにぞくりとした。
その時にはチタが大きく羽ばたき、シイの下に入り込むように、前に進み出る。
やはりそのままリアンはシイの背から落ちた。
すぐその下で受け取ることができたので、落下には至らなかったが、アドニスの心臓は破裂寸前まで動いている。
腕を掴み、体を支えて、楽な体勢にしてやろうと仰向けにさせた。
血の気のない顔、薄く開いた唇が異様に赤く濡れている。
アドニスはリアンの襟巻きをぐいと引いて、その内側を見た。
しっとりと黒っぽく滲んでいる血に、大きく舌打ちをする。
片腕でリアンをぎゅうと抱きしめて、頬を叩き、ぐらぐらと顔を揺らした。
「おい、目を覚ませリアン! こら! 起きろ!」
何度か声をかけて名を呼び、体を揺する。
ふと目を開けたリアンは、視線を彷徨わせると、ゆっくりとアドニスを見上げた。
「このまま森に」
「は?! 何言ってん……おい! 寝るな! 目ぇ開けろ!」
「……下に捨てて」
「死ににきたのか」
「ふふ……うん」
「お前の思い通りにすると思うか」
「……そうか」
ぐいとアドニスを押し退け、そこから降りようと足掻くのを、片腕の力だけで押し込めた。
「力で俺に勝てると思うなよ」
「……くそぅ」
「……これがお前の考えか」
「……まぁね」
「だから狩りに出たいとごねたのか」
「……うん」
「森で死にたかったのか」
「……家で死んだら、兄さんが泣くでしょ?」
「…………薬を出せ」
「もってな……」
「嘘つくな、ディディエが持ってるって確認してるぞ」
「……ちっ。兄さんめ」
「おら! 出せ」
「うぁ……やめ……」
腰回りをごそごそ探って、革帯に下がった小さな鞄の中から、小ぶりの瓶を取り出した。
濃い青の瓶の中に、液体が入っているのを、陽の光に透かして確かめた。
「これだな……飲め」
「やだ」
「うるせぇな、飲めよ」
「やだね、飲むかよ」
いつものように口で応酬はしているが、リアンの体が小刻みに震えているのも、呼吸のたびにぜいぜいと背中まで音が響いているのも、アドニスはその腕で感じていた。
「この薬、高いんだって? よく効くんだろ? おら飲め」
「いーやーだー」
「何のためにディディエが頑張って手に……」
「じゃあ、アドニスが飲めば?」
「は?! 何言ってんだ、馬鹿だろ」
「バカ言うほうがバカ!」
「飲め!」
「やー!!」
「くっそ! 腹立つ! 怒ったぞ、もう知らん! 見てろ、本当に俺が飲んでやる!」
親指で瓶の蓋を弾き飛ばし、アドニスは一気に瓶の中身を煽った。
そのままぽいと後ろに瓶を投げ捨てる。
「……あ……ドニス? ほんとに飲んだ?」
ふふんと得意げに笑い、どうだといった顔でリアンを見下ろした。
「バ……カ! バカか!! 健康な人が飲んでいいもんじゃないんだって! はい……吐いて、今すぐ出して! おえーって!」
後頭部をがっしり固定させ、反対の手で顎を掴むと、アドニスはリアンに口付けをする。
わずかに空いた隙間から薬が溢れて、風で辺りに散る。口の中身の半分ほどはどちらかふたりの服に吸い込まれていった。
口が空になると、アドニスはにやりと笑いながら背筋を伸ばした。
「……誰が飲んだなんて言った?」
「ムカつく……」
「……出したぞ? おえーっと」
「くそだな、くそ!」
「……そう簡単に死ねると思うな」
「……うるさい」
「ディディエが泣くぞ?」
声もなくぽろぽろ泣き出したリアンを抱え直して、アドニスは自分の胸に寄りかからせた。
しばらく経つと、背中に当てた手のひらにまで響いていた呼吸の音が少し落ち着く。
落ち着いてみたらずいぶんリアンが冷えているのに気が付いた。
外套をめくって、その中にリアンをしまう。
ゆっくりと背中を撫でているうちに、もごもごしていたリアンは動かなくなった。
規則正しく動く背中で、眠ったのがわかる。
外套の首元の隙間から見えているリアンの巻き毛に口付けを落とす。
少し離れた場所で見守っていたディディエが、ものすごい剣幕で怒っている様子だったが、風のせいで声なんて届かない。
アドニスはへらりと笑って、ディディエに手を振って返した。