「エドは竜騎士の見習いとして、ここに配属されてる。歳も近いし、リアンと話も合うだろう。まあ、仲良くやれ」
「はい! よろしくお願いします、エド!」
「こちらこそ、リアンさん……ん? リアン? ……は?! リアン様?!」
「どうしたエド」
「あ!! わ!! いえ、なんでもありません!!」
「何でも無いって態度じゃないよな?」
「だよねぇ」
「言え、エドウィン」
上司風をびゅうびゅう吹かせながら、アドニスが眉間にしわを寄せ、軽く睨む。
その風に耐えるように、エドウィンはぎゅうと目をつぶった。
「昨日から先輩方の間で、ものすごくウワサされてました! めちゃくちゃ可愛いお姫様が来たって!! リアン様って名前だというのを、急に思い出しました!!」
「……お姫様だってよ」
「おめでたい頭だねぇ」
「手厳しいな……喜んどけよ、そこは」
「見た目に騙されて、かわいそうに。……残念だね」
「辛辣……」
これまでがむさ苦しい男所帯で育ってきたので、リアンはこういった周囲の反応には慣れっこだった。
国の端まで来ようが、相手が騎士だろうが、変わりはないものかと勝手にも期待が裏切られた気すらしている。
「この格好がいけないよね……ひらひらして……うん、よし。せっかく買ってもらったけど、やっぱり持ってきた服を着よう。汚れるのが気になって、竜の世話もできないし」
「着せられてるもんなぁ」
「服に負けてるよね」
「え……とてもお似合いです。すごくお綺麗ですよ」
「おお、エド。さらっと褒め言葉が出るのか。なかなかやるな!」
「いえ、本当にそう思ったので」
「うわぁ、エドはモテそうだね!」
「山奥に置いとくのはかわいそうだな……今がいい時期なのに」
「アドニスおっさんクサい……」
「おっさんだからなぁ」
「なぁ……」
ぐいと背中を押されて、リアンは振り返った。
シイがそろそろ構えと頭を押し付けている。
「ああ! ごめんごめんシイ! 下に行きたいの?」
「うん? なんだ、それならちょうど良い。運んでもらおう」
リアンの腰を掴んでシイに横向きに座らせると、嫌がる前にアドニスも素早く跨った。
振り落としたくても、そうすればリアンも一緒に落としてしまう。
不貞腐れたように、シイはぐるると鳴いた。
「まぁまぁ、シイ。下に連れて行ってよ」
「エド、 明日から少しずつリアンに仕事を教えてやってくれ」
「はい、了解です!」
全くもって遺憾そうに、ひょいと柵の上に立ち上がって、シイは翼を広げる。
何度か羽ばたきながら足を蹴った。
ふわとしたのはひと時で、あとは気持ちゆっくりと落ちる感覚だ。
一番下までひと息に落ちて、水面のぎりぎりでばさりと羽ばたいて速度を緩めた。
当然いい勢いで水にぶつかるようにして、辺りに大量の飛沫が上がる。
「あははは! 人が乗ってたら、もっとゆっくりだよ、シイ!」
「……おい、落ちるのと大して変わらなかったぞ」
大きく立った波が、壁で跳ね返ってくる。
いっそ泳げばいいくらい皆がびしょ濡れになった。
きゃあきゃあ笑っているリアンに、シイは尾を振り回して、更に水を巻き上げる。
「待て待て!……なんだこれ、探検どころじゃなくなったぞ」
「すごいね、ここ!! この下全部水?!」
透き通った水は、ずいぶん下までを見通せた。紺色を暗くしながら奥へと続く。底らしきものは見えない。
ここの壁も明かり取りの窓があるが、縦に細長い隙間だけ。風が入って笛のようにひゅうと鳴っている。
「上もすごい高いね!」
アーチ状の石組みは上の方の暗い場所で十字に交差している。
二階か三階分はあると言っていたアドニスの言葉をリアンは思い出した。
「この分だけ部屋が上にあるってこと? ここの砦が全部?」
「ああ、そうだな。周りが湖だろう? 今は雪解けも混ざって全体的に水量が増えている時期でもあるな」
「え?! 外の湖と繋がってるってこと?」
「……というより、水中にでっかい柱が沢山立ってて、その上に砦が乗ってるって感じだな」
「潜って行ったら外に出られる?!」
「おお、そう来たか……湖が半分以上干上がらない限り絶対に無理だからその気になるなよ。外に出たけりゃ地上を歩いてくれ」
「…………すごいねぇ。こんなとこがあるんだねぇ」
「広がったか?」
何とは言わなくても、何のことだか分かったので、リアンはにこにことアドニスを見上げる。
何とは返事はなくとも、得たい答えが得られた。
アドニスは満足な顔で、水が滴る髪をリアンの耳にかけてやる。
「ほらシイ……お前のせいで探検は中断だ。あっちに寄せてくれ。リアンが風邪をひく」
ぺしぺしと右側の首をアドニスは軽く叩いた。
ふよふよとゆっくり動いてシイは壁際に寄っていく。
壁には石段と通路がぐるりと渡っている。
渡の船から降りるように、アドニスは石段に飛び降りる。リアンが降りるのを手伝い、腰を掴み上げた勢いでそのままいつものように腕に乗せた。
「べ…………っしょ!!」
「おいまさかくしゃみじゃないだろうな」
「そうだけど?」
「……色気が無いな」
「……色気のあるくしゃみってどんなの?」
「……知らないな」
「じゃあ言うな」
びしびしと頭に手刀を浴びせてやると、アドニスは楽しそうに笑い声を上げる。
もう一度リアンがくしゃみをすると、アドニスはのんきに歩くのをやめて足を早めた。
そのまま部屋まで寄り道せずに駆け上がって、戻った途端にシャロルから厳しい叱責の言葉を頂戴する。
さっそく風呂に放り込まれて、体が温まってからリアンは猫の子のように洗われた。
いつもなら風呂はひとりで使っていたのに、今回はシャロルの勢いに負けてしまう。
「……はぁ。これでしばらくは事欠きません……大変有意義でした。大充実です」
気分が反転して上機嫌のシャロルに、服を着せられて、分厚い布をぐるぐる巻きにされる。
「……シャロルさん、これちょっと暑い」
「待ってください。髪を乾かして、シャロルのお茶を飲むまではこのままです……あ、団長様まだいらしたんですか?」
「……俺の部屋でもあるからな」
「ついでにアドニスもお風呂入っておいでよ。寒いでしょ?」
「リアン様の残り湯で温まればいいんですよ! うらやましい!」
「……その言い様」
入れ違うように浴室に行ったアドニスは元気がないように見えた。
いくら丈夫で力持ちでも、さすがに人を抱えて階段を駆け上がるのはしんどいだろう。
子どもの相手も大変だったに違いない。
「……アドニス疲れたみたい」
「違いますよ! あれは反省しているフリです!」
「反省しているフリ?」
「何ですかね、ここの男どもは千篇一律でいけません」
「せんぺ……なに?」
「ああやってしょぼくれて、リアン様に許してもらおうとかって魂胆ですよ」
「許すとか許さないとか。誰も悪いことしてないです」
「……城の中を案内されて、普通ずぶ濡れにはなりませんよ? 無茶は控えて下さい」
「……はい。ごめんなさい」
「……少し早いですけど、ここまで帰ったついでに食事もしましょうね」
「……!! シャロルさん!!」
「なんですか?」
「まだ探検行ってもいいんですか?!」
「行きたいんでしょう?」
「はい! ……はい!!」
「ではしっかり温まって、食事もしっかり食べて下さいね」
「はい! シャロルさん大好き!!」
「…………ぐは……冥土の土産……!!」
食事を終えた後は、騎士たちの集う食堂に案内されて、リアンは城塞にいる全員に紹介される運びになった。
騎士だけではなく、それを支えて砦を維持する者たちを合わせても三十を超えない人数だった。
「ここにいる騎士は俺と、まだ帰ってないコンラッド合わせて十二人だ」
「はい!」
「見習いがさっきのエドウィンと、一緒にいるそこのふたり……あとどれくらいだ?」
食堂の端に並んでいる三人組の、エドウィンがさっと席を立って、十五ヶ月ですとはきはき答える。
「それくらい経ったら、別の任地でまた見習いをして、竜騎士の資格が得られる。で、どこかに配属って流れだな」
「……なるほど。大変だ」
「あとの奴らは追い追い、自己紹介でもなんでも適当にやってくれ」
おいこら待て、と蔑ろにされた騎士たちが、揃って声を上げたが、アドニスはへらりと笑っただけで、まともに相手はしなかった。
「リアンだ、よろしく頼む」
「リアン コートニィです。皆さんの竜のお世話をさせていただきます。がんばりますので、よろしくお願いします」
「コートニィって、あのコートニィ?! イヴリンと何か関係が?!」
「……イヴリンは父です」
地下から這い上がるような低い声のどよめきが起こる。
思いもよらぬ反応に、リアンは半歩下がって、アドニスの後ろに半分隠れた。
ぐっとアドニスのシャツを両手で掴むと、ちょいちょいと引いて、下から顔を覗き込む。
「え……お父さん何かしたの?」
「いや、心配するな。竜騎士の間じゃ、有名なんだ」
「ほんと?」
「話が大袈裟に伝わって、ちょっと伝説みたいになってるだけだ」
「うわぁ……なんかヤだな」
腕を後ろに回すと、アドニスはリアンの肩を抱いて前に押し出す。
「まぁ、色々聞きたいこともあるだろうが、それも今後な。相棒のことで何かあればリアンに。こいつも『コートニィの竜狩り』だからな」
今度はどっと盛り上がって、あれやこれやと質問責めになりそうになったので、アドニスはそれを断ち切って全員を静かにさせた。
「コートニィ家の娘だ。ヘタなこと考えるなよ。余計なことしたら、こいつの兄貴が飛んでくるからな」
「あぁぁ……団長がぼこぼこにされて帰って来たのって……はぁぁぁ……なるほど、納得」
「あ! やっぱり兄さんとケンカした!」
「…………ケンカじゃない」
「おんなじこと言ってる!!」
思いっきり逸らされている視線まで同じだった。
リアンは胸の内側から湧き上がってくる気持ちに素直に従って、アドニスの腰にしがみついて、いつも竜にするようにぐりぐりにおでこを擦り付けた。
あらあらとほっこりした空気に、アドニスは居たたまれなくなる。
早々と切り上げて、食堂を後にした。
今度は外だと、通用口に案内する。
表玄関の大広間にもそれはそれは立派な扉があるが、外から重要なお客様を迎えない限り、日常的にはそこは使わないと教えてもらう。
皆いくつかある普通の大きさの扉を出入りして、裏方用の狭い通路を通るのだと説明した。
「順路もわりと複雑だからな、最初は覚えるのも大変だろう。もし迷ったら……誰かに会うまで、とりあえず頑張れ」
「……はは。わかった」
「通ったことが無い道を通ろうとするなよ」
「はい!」
山奥でもなんでも、とにかく敵に踏み込まれた場合を考えて、内部の通路は複雑に作られている。
アドニスは比較的近道や、覚えやすい目印がある道を選んで、教えながら進んでいた。
ここからが外だという場所に来ると、壁に掛かっている外套を手に取る。
誰かのものと言わず、誰でもが身に付けていいものだ。
アドニスは外套に鼻を近付けて、まぁ大丈夫だろうとリアンに着せかける。
「え、寒くないよ。ぜんぜん」
「いや、着とけ。内側と一緒に考えるな」
リアンの首元を留めてやって、自分もその横にあった外套を羽織る。
分厚い扉を押し開けて、ほらと手を差し出した。
「うわあ! ほんとだ、ちょっと寒い」
「言ったろ?」
フードをかぶせて、ぐいぐいと襟を立て、リアンの口元を隠すようにした。
「中の暖かい空気が外に出ないようになってるんだ。これも魔術でな」
「ほぉぉぉ……すごいね!!」
「これからは外に出るときは上着を着ろよ」
「はい!」
そのまま手を引かれて、建物の角を曲がると、目の前の視界いっぱいが水辺の景色になった。
わぁと走り出したリアンに引かれるように、アドニスも付いて行く。
向こう岸はかなり遠くに見える。
先日上から見た通り、縁取るように少しだけ、大きくはなさそうな木が並んでいた。
その向こうは上半分が白く、下は灰色に見える山肌がある。
空は薄い水色、雲はひとつもない。
太陽は砦の向こう側に行ったようだった。
風はないようでも、水面には小さくきらきらと光が跳ね返っている。
石畳の縁まで歩み寄った。
先は石段になっていて、透き通った水の中を、どこまでも階段が続いている。
湖は途中から深い紺色になっていて、やっぱり底は見えない。
「……うん? どこにも橋なんて架かってなかったよね」
上から見た景色を反芻しながら、アドニスを振り返る。
「どうぞ侵入して下さいとはいかないからな」
「ああ、そうか」
「上から来るか、転移か……泳ぐしかないな」
「あ、船もないの?」
「水の上を渡りたかったら、竜の背中に乗ってだな」
「泳ぎが得意な子がいるの?」
「いや……チタも嫌そうだった」
「泳がせたの?」
「一応な。思わぬことがあったら困る」
「……そうだねぇ」
地を走る竜に比べると、身体は軽くできているから、水に浮くことはできる。
だからといって空を駆けるのが本来の翼竜だから、泳ぐことは好きではない。
どちらかというと乾いた場所を好む翼竜が多い。
「底が見えないねぇ」
「だな……ずいぶん深いと思うぞ」
「ほうほう……」
「潜ってみようなんて考えるなよ」
「考えないよ! わたしを何だと思ってるの! ていうか、わたし泳げないし!」
「あ、そうなのか? ……でも、じゃあもし泳げたらどうだ?」
「…………考えるけど」
「ほらな!」
「考えるだけだもん! 潜ってみるかどうかは別の話!」
多分、きっと。
体が人並みなら、違っただろう。
人の迷惑も、後先もあまり考えなかったかも知れない。
「……あんまり長いこと外に居たら、今度こそシャロルが容赦なくなるな」
ぎょむとアドニスはリアンを拘束して、そのまま抱き上げた。
「あ! アドニス! 雪?!」
白い粒がひらひらと落ちてきて、それを捕まえようとリアンは手を伸ばす。
王都では一番寒い時期に数回、それでも積もる前に溶けて消えるほどにしか降らない。
「……山の上から風で運ばれたやつだな。はぁ……これが来たら冬支度だなぁ……大変だぞ?」
「頑張ります!」
「うん……戻るぞ。リアンはとりあえず道を覚えろ」
「はい!」
水色の空からひらひらと落ちてくる白い粒は、リアンの町の花に似ている。