流れる車窓を見送っていると、びしびしと視線が突き刺さってくる。

斜め向かい側に座っているシャロルは、興味深々といった雰囲気でリアンを見つめていた。

リアンは窓の方に向いた体を真っ直ぐにさせて、頭を下げる。

「あの……よろしくお願いします」
「はい! こちらこそ、よろしくお願いしますね、お嬢様!」
「おじょ……うさま……ではなくて、リアンと呼んで下さい」
「はい! リアン様!」
「いえ、様、とかもいらないので」

これから同じ砦で働く者同士、上下なんて必要ない。というよりも、どう考えても自分の方が下っ端だと、リアンは慌てる。

「まさか、とんでもないです! 大事なお方です、お名前だけでお呼びするなんて、いけません!」
「え、でも……」
「どうか、リアン様とお呼びするのを許して下さい。私はシャロルと申します。しばらくの間、リアン様のお世話をさせて頂きます」
「シャロルさん」
「さん、こそ必要ありませんよ」
「……でも」
「必要ありません」
「あ……じゃあ、おあいこにしませんか」
「おあいこ?」
「シャロルさんが、わたしに様を付けるなら、わたしも様を付けます」

名案だという顔で、リアンはにこりと笑う。

「いっ! いけませーーん!!」

ぐらりと傾いて、シャロルは馬車の内壁に頭を派手にぶつけながら倒れかかった。

「え?! 大丈夫ですか、シャロルさん」
「…………むり」
「わ。わぁ! 大変、どうしよう、どうしたら?!」
「…………かわいすぎる」
「…………かわいすぎる?」

がばっと起き上がると、シャロルはリアンの隣に移動して、その両手を握りしめる。

「なんという可愛さですか! 愛らしさが決壊して大洪水です! 甘美の大海が大荒れで私の心の小舟が翻弄されまくりです!!」
「は……い?」
「見た目もお姫様のようにかわいい上に、性格までかわいいとか、なんですか! かわいいの女王ですか! 権力は欲しいままですか! そう、そして私はその下僕!」
「……ちょっと、落ち着いて下さい。シャロルさんは一体何の話を?」
「ああ! そのように冷めた目で見られると興奮します!」
「え……怖い」

ううと呻きながらぶるりと震えたシャロルからするりと手を引き抜いて、リアンは反対側の席に移動した。

端に寄って、身を縮める。

はと気が付いて、背中側にある小さな木製の窓をこんこんと叩く。
何かあればここから話せばいいと、コンラッドから聞いていたのを思い出した。

小さな窓が、横にすと開いて、どうかしましたかと声がする。
隙間からはコンラッドの顔がちょっとだけのぞいていた。

「あの。変です……シャロルさんが、変です」
「それが普通の状態です。大丈夫ですよ」
「いえ、普通じゃないです」
「はい、それでいいんです」
「よくないです、怖いです」
「シャロル! ものすごく不安がってるじゃないか! なんで早速本性出すかな。リアンさんが帰るって言い出したらお前のせいだからな! ……しっかりしてくれよ」
「……はぁい。すみませーん」
「帰れなくなる距離になるまで抑えろよ?」
「……今さらっと聞き捨てならないこと言いましたよね?」
「大丈夫ですよ、リアンさん」
「……どの辺りが?」

にこりと笑うとコンラッドは小窓をすと閉めた。

「え? ええぇ……?」
「申し訳ありません、リアン様。あの……どうぞこちら側にお戻り下さい」

おそるおそる動いて、リアンとシャロルは場所を入れ替わる。

「少し、興奮してしまいました……これからは極力我慢するように気を付けます」
「我慢する……」
「それはそれで良い感じですので……」
「え……怖い怖い怖い……」

座り直してみると、その柔らかさに気が付いて、ふわふわとその感触を確かめた。

壁も布張りでふかふかと柔らかい。

自分の座っている側はふかふかの布張りで、それ以外は、外観も内側も、重厚で木目が美しい艶のある濃い飴色。
落ち着いた雰囲気で、大変なお金持ちが使うものだと田舎者のリアンにも分かる。

「あの……」
「なんでしょうか?」

先程とは打って変わってシャロルはしおらしい態度で、侍女然と佇んでいる。

「どうしてこんな、良い馬車に乗せてもらえるんでしょう」
「リアン様を丁重に扱うようにと承っておりますので」
「ここまでされる意味が、ちょっとよく分からないんですけど」
「長旅になりますので。なるべくお疲れを感じないように。と思っていただければ」
「そう、なんですか?」
「はい」

本来長く旅をするなら、乗り合いの馬車と徒歩が一般的な移動手段で、その次が貸切の馬車、個人所有の馬、個人所有の馬車、次に竜の単騎、最上なのが竜の引く馬車だ。

兄の仕事の手伝いで、馬が引く荷車でごとごと揺られて、のんびりと移動したことはあった。

比べるものがそれくらいしかないけど、ごとりと音もしなければ、ひとつの揺れもない。
かなりの速度が出ているはずなのに、地の上を滑るようだ。
外の景色を見なければ、動いているのかどうかすらよく分からない。

「長旅って、どのくらいかかるんでしょうか……ストックロスの砦はどこにあるんですか?」
「この後の予定ですね。先ず本日は王都の中心を過ぎまして、北の外れで宿泊の予定です」
「北の外れ」
「はい。リアン様がおられた町と、王都の中心を挟んで真反対側に位置します。そこからはなるべく大きな町を経由して、十日ほど北上します」
「十日も、ですか」
「この国最北の町バーウイッチから、森を超えて、山を登った所が、ストックロス砦です」
「遠いんですね」
「遠いです」
「どんなに遠いか知らな過ぎて、想像ができません」
「そうですね……私もご主人様にお仕えすることがなければ、見たこともない遠い場所がある、なんて、まるでお話の世界みたいなもののように思っていました」
「あ! すごくわかります、その感じ!本当にあるのか無いのか、夢の世界みたいな!」
「…………ご無体な!」
「シャロルさん?」
「申し訳ありません。ちょっと、その……手加減をしてもらえませんか」
「てかげん?」
「リアンさんは、ご自分がかわいく愛らしいと自覚はおありですか?」
「……はい、あります」

がったーん、とシャロルは後頭部を後ろにぶつけて、裏拳でどんどんと木の小窓を叩いた。

すらっと開いて、コンラッドが返事をする。

「なんだシャロル、何を騒いで……」
「かわいさを自覚しています!!」
「は?」
「リアン様は、ご自分がかわいくて愛らしいのを理解してらして、多分、いえ、きっと、私の性癖を把握しています! 私を弄ぶ気です!!」

少し体勢を変えたのか、口元だけしか見えなかったコンラッドと目が合った。

「……そうなんですか?」
「性癖は把握してません。弄びません」
「……違うって。良かったね。いちいち騒ぐな。うるさい」

すたんと勢いよく窓が閉まる。
今度声をかけたら、何事だろうが怒られそうな勢いだった。

「……なるほど、自覚していらっしゃればこそ、あの騎士団長様を籠絡できたわけですね」
「籠絡? それは無いです」
「なぜそこで謙遜!」
「見た目がかわいいのは、周りからずっと言われていたので、そうなんだろうなとは思いますけど、ただそれだけです。上には上がいますし、魅力的な女の人はいくらでもいます」
「わぁ……冷静」
「アドニスはかわいいだけで籠絡されるような人ではないと思います」
「何よりも強いと思いますけどね」
「強い?」
「かわいいは最強の武器です!」
「そう言うシャロルさんがかわいい」
「はい?」
「わたしより、シャロルさんの方がかわいいし、魅力的です」
「…………男前も兼ね備え……!!!」

どんどんばしばし叩いても小窓は開くことはなく、コンラッドは決して返事をしなかった。





移動中は限られた空間の中で、時々我を忘れるシャロルとふたりきりで過ごす。

それが嫌ではなく、概ね楽しくいられたのは、リアンの大雑把な性格と、シャロルの人に仕える職の線引きが上手く噛み合っていたからだった。

要は気が合い、仲良くやれた。

そもそもがお嬢様でもなんでもないので、リアンは余分に手を煩わせることもない。
出来ることは自分でしたし、無理そうなことは遠慮なく手を貸してもらう。
長年培ってきた妹気質で、人に何かしてもらうことに対する抵抗は少なかった。


無理をすることもなく、かといって無駄に過ごしもしない。
早目に到着できれば、その時々で町を見て回ったり、辺りを散策することもあった。



旅は予定通り順調に進んで、行程の半分くらい。



そこで足踏みをすることになる。