私やっぱり鈍いのかもしれない。
「琥珀ったら、あーんな照れなくても、ねぇ、天藍ちゃん?」
また意地悪に唇を曲げて、橘くんのほうを見る。
橘くんは相変わらずそっぽを向いて、赤いままだが、瑠璃さんが言うように照れてるのではないと思う。
きっと先生に唆されて、嫌いな私にいやいや教科書を届けたんだ。
それで、多分、屈辱的な思いをしてるから、だと思う。
もちろんそんなこと、言えないのだけれど。
「ったく、余計なことを」
まだ若干桃色の残る顔をもとに戻し、問題集を解きながらブツブツ文句を言い始めた橘くん。
いくら嫌われているとはいえ、お礼くらいは言ったほうがいいのか、と思う。
わざわざ病院に2回も来てもらったわけだし。
「あ、あの、……橘くん、あ、ありが、とう」
私は怖くて、橘くんのほうを一欠片も見ずに、しかも日本語初心者みたいなカタコトでお礼を言った。
「別に。ついでだったし」
冷ややかな返答のあと、しばらく沈黙を回ったのはシャー芯の滑る音だけだった。
「青春だねっ」
……はあ?
さっきからずっと引きずっているニヤついた声で瑠璃さんがそんなことを言った。
どこをどう見たらこれが青春なのか。
私の知っている青春はもっとキラキラ輝いていて、甘酸っぱい、そんな色。
でも今は完全に灰色だったじゃないか。
瑠璃さんの価値観が理解不能だ。
「ていうか、瑠璃さん、私達に学校行くよう唆してますけど、瑠璃さんは行ってるんですか?」
「もっちろんだよ〜!」
「むしろ帰ってこないときのほうが多いがな」
……へぇ。
「夜遊びがひでーと、履歴書に響くぞ」
「こら!お口チャック!」
「本当に響くかは知らないけどな」
じゃああの髪も夜遊びが原因で染まった、というところか。
でも瑠璃さんのような中身ふわふわで、温かい人が夜の街だなんて。
何かこう、もっと目つきが悪くて、ガタイがよくて、革ジャンとか着てて、グラサンつけてる……みたいな柄の悪い人がおじさんにカツアゲしているイメージ。
どちらかというと、橘くんのほうがそういう場所にいそう……。
想像して、意外にもぴったりだったので苦笑していると、スカートのポケットが震えた。
ただの広告メールだろう、と無視したが、バイブの時間が長い。
携帯を取り出してみると、画面には「遥斗」の表示。
……何かあったのだろうか。
「はいはーい、スマホは没収だよー」
「あ、ちょ……!」
瑠璃さんが私の手から震えるスマホを滑り取り、ゆらゆらと弄ぶ。
「ん……?遥斗からじゃん」
そう呟くと、画面を細い指でタップし、耳に押し当てた。
「もしもーし、遥斗?」
瑠璃さんが出てどうするんですか、と大声で突っ込みたい衝動を必死に抑える。
「は!?瑠璃兄!?」
スピーカーフォンにしていないはずなのに、こちらまではっきりとその切迫した声が聞こえてきて、橘くんと顔を見合わせる。
「ふふーん、びっくりしたぁ?」
勝手に満足している様子の瑠璃さんの頭を、空気読め!とひっぱたいてやりたくなった。
「馬鹿野郎っ!早く天藍姉と代われ!」
「え、でも今天藍ちゃん勉強中……」
「耳ついてんのか、クソ野郎!代われっつってんだよ!!じゃないと、千稲が、千稲がっ……!」
遥斗の異常なまでの激高ぶりと、千稲という単語から、最悪の事態が私の頭をよぎった。
私は瑠璃さんの手を叩いてスマホを奪い返す。
「遥斗っ」
「天藍姉?」
「そうよ!何があったのっ!?」
「千稲が……危篤だって」
私は畳を蹴り出していた。