「俺は顔も覚えてねぇ」
橘くんが、片目を頬ごと寄せ、下手くそなウインクのような表情で苛立ちをみせた。
それと、傷。
血の繋がっていない母に、今までどんな思いを抱えてここまで歩んできたのだろう。
「それで、櫻子と珊瑚が定期的に会っているっていう話、琥珀から聞いたんだけど、恋藍が亡くなり寂しさを紛らすために珊瑚が櫻子に手を出した、というのも可能性はある」
私は即座に否定した。
「それはありえないと思います。父は、私が8才のときにはまだ生存していました。いくら寂しさを紛らそうとしているにしても、6年も月日が経っているのに、新しい女に手を出すでしょうか」
これは母に対する情ではなく、客観的に見ての考えだ。
「うん。僕も父の性格からしてそれは無いと思う。生涯で愛する女は恋藍だけ、みたいなね」
瑠璃さんのウインクから、初めから彼はその可能性は無いと考えていたとわかった。
早とちりしてしまったことに羞恥から空気が抜けた風船のように縮こまる。
人に指摘されてきつづけて、今まで認めなかったがやはり、訂正。
私はこういうところが瑠璃さんに似ているのだ。
「だから、僕は仕事の話だと思うんだ。その話の内容の一つは、多分、琥珀のことだと思う。天藍ちゃん、櫻子が珊瑚と思わしき人物と会っていたとされるのは何回くらい?」
「遥斗の目撃証言も含め……春あたりから2回ほどです」
「そうか。3ヶ月ぐらいで2回、ね。」
白い歯がきらりと見えるその笑みは、妙に凄みがあり、気圧された。
「多いな。俺の検査は半年に一回程度だぜ」
「それに、隠れて会ってるから、私達が知らないだけでもっと会っているかもしれないわよ」
「そう。だから、会うのには別の用事があったと考えていいだろう。例えば別の隠し事が明るみに出そうだったから、とか」
瞬間、橘くんと瑠璃さんの間の空気が急変した。
水でも含んだかのようにじっとりと重く、それでいて燃えるように激しいものである。
「お前まさか……!」
瑠璃さんはゆっくりと首を縦に振る。
「琥珀はtsー2だから、tsー1がいても、おかしくない。つまり、僕が考えるその隠し事は、」
ねえ、お願い。
「天藍ちゃんも、クローンだということ」