「……え、何?」
怪訝な顔をしたおーちゃんが、玄関へと足を踏み入れる。
靴を脱ごうと少しだけ身をかがめたおーちゃんの肩に触れ、わたしは、……かかとを床から離した。
背伸びをして、顔を近づけると、——そのまま、唇を重ねる。
ちゅっ、と音を立てて離れると、ポカンとした表情が、わたしを見下ろしていた。
「……おかえりなさい」
……これ、一回、やってみたかったんだよね……。
……おかえりなさいの、ちゅー。
気恥ずかしさから、エヘヘ、と笑ってみせる。
しばらく固まっていたおーちゃんだったけれど、
「……ただいま」
素っ気ない声でそう言うと、今度こそ靴を脱いだ。
そして、わたしの体をそっと壁に寄せると、……もう一度、わたしの唇に触れた。
少し強くて、けれど優しくて甘い、その感触は……。
マトリカリア305号室での——わたしとおーちゃんの、本当のふたり暮らしの、始まりの合図だった。
END