結婚するのがイヤで家出したらクラスの男子と同棲することになった話【11/16番外編2追加】


『仁葵。いい加減にしろって。こんなことしても、新造さまを余計に怒らせるだけだ。そんなのお前だってわかってるだろ?』


わかってるよ、そんなこと。
でも剣馬には言ってほしくなかった。

おじいちゃんの犬でも、私の幼なじみでもあるんだから、ちょっとくらい私の気持ちを考えてくれてもいいのに。
いつもいつも、事あるごとに新造さまは、新造さまがって、おじいちゃんのことばっかり優先して……。


『とにかく帰って、素直に謝れ。そのあとのことは――』

「絶対帰らないんだから! 剣馬のバカ!」


スマホに向かって叫んで、電源を落とした。

ひどい。どうして私がおじいちゃんに謝らなくちゃいけないの。
おじいちゃんが私に謝るならわかるけど、私が謝る理由なんてひとつもない。


「仁葵ちゃん、大丈夫?」


眠そうな狼くんに顔をのぞきこまれ、ぐっと唇を噛む。

何も考えずにあんなこと宣言しちゃって、どうしよう。
狼くんは家に置いてくれるって言うけど、長い期間厄介になるわけにはいかないし。


「もしかして、まだ迷ってる?」

「だって……こんな訳ありな私、迷惑にしかならないよ」

「迷惑なんかじゃないよ。それに……」

「それに?」

「毎日ルポに触り放題だよ」


そう言って、狼くんはルポを抱き上げる。

だらんと身体が伸びて、ちょっとお餅っぽいところも最高に可愛い。

ナウ? と首を傾げる仕草はあざといのひとことに尽きる。

そうか、こんなに可愛い猫ちゃんとの素敵ライフがここにはある……!


「狼くん! しばらくお世話になります!」


迷いを完全に振り切って、暗くなったスマホを握りしめ、ぺこりと頭を下げた。
その頭を、優しい手つきで撫でられる。

よくがんばりました、と言うように。


「はい、お世話します。よろしく仁葵ちゃん」


顔を上げると、完璧王子と言われる彼の、完璧すぎる笑顔があって、声が出ないほど驚いた。
なんとなくその笑顔が嬉しそうに見えたのは、私の願望だったのかな……。


ルポのナーウという鳴き声が「よかったね」と言っているように聞こえた。





爽やかな草原の香りがする。

水の底からゆっくりとのぼる泡のように意識が浮上した。
まぶたの向こうがうっすら明るいことがわかったけど、まだ眠たくて目を開けることができない。

でもいつもとはなんだかベッドの感じがちがう気がする。
ラベンダーのファブリックミストとは別の香りがするし、ぽかぽかあったかい。
それに少し体が重くて動きにくいような……。


「……んん?」


おかしいぞ、となんとかまぶたを持ち上げると、そこには完璧なまでに美しい、王子様の寝顔がどアップであった。

声にならない悲鳴を上げて離れようとしたけど、がっちり抱きこまれていて動けない。
体が重く感じたのはこのせいだったんだ。

どうしてクラスメイトの飛鳥井狼くんが私のベッドにいるの!?

寝起きのせいで混乱したけど、周りを見て、ここが自分の部屋じゃないことがわかって思い出した。
私、昨日家出してきたんだった。

ここは狼くんがひとり暮らしをする部屋で、私はしばらく居候することになった。
条件は、恋人のふりをすること。
お互い納得して決めたことだけど……

同じベッドで寝るなんて、聞いてない!


「ろ、狼くん、起きて」


ドキドキしながら狼くんの胸に手を当て、体を揺する。
でもぐっすり眠っている狼くんに起きる気配はない。

もう、気持ちよさそうに寝ちゃって。

どうして狼くんがここにいるんだろう。
確か、昨日寝るときに、どこで寝るかちょっとモメたんだよね。
ベッドがひとつしかなくて、客用布団もないから、どっちがベッドで寝るか。

私は居候の身だしソファーで寝ると言ったのに、初めて来た場所でソファーじゃ休まらないだろうからって、狼くんがきかなくて。

結局狼くんに押し切られて、私が狼くんのベッドで眠ったんだ。

男の子のベッドで、しかも男の子の服を借りて眠るなんて初めてのことで、最初はドキドキして寝付けないと思ってたんだけど、疲れていたのか気づいたら朝になっていた。

そしてこの状況。
狼くんのベッドは広いから狭くはないけど……朝から心臓に悪い。


「それにしても……はぁ。綺麗な寝顔」


うらやましいくらいまつ毛が長い。
肌も白くてつやつや、唇もうすピンクで花びらみたい。
色素の薄い髪が、カーテンの隙間から射しこむ朝陽に照らされ輝いている。

昨日まではあまり話したこともない、ただのクラスメイトだったのになあ。

いまこうして、同じベッドで横になっているなんて不思議だ。
しかも思い切り抱き枕にされているし。

狼くんのファンの子たちが見たら、悲鳴を上げて卒倒しそう。
そして私は呪い殺されてしまうかもしれない。

想像するとゾッとして、私は慌ててもう一度狼くんを起こしにかかる。


「ねぇ、狼くんてば。朝だよ、起きて」

「んー……」

「起きてってば。いま何時? お腹空いたよ。ねぇ狼くん」

「んん……あれ。仁葵ちゃん?」


半分ほどまぶたを持ち上げた狼くんが、私を見てパチパチとまばたきする。
まだ眠そう……というか、寝ぼけてる?


「おはよう、狼くん。朝だよ」

「仁葵ちゃんだー。なんでいるの?」


甘えたような声で言いながら、私をぎゅっと抱きしめ直す狼くん。
やっぱり寝ぼけてる!と、ドキドキしながら彼の胸を軽く叩いた。


「こっちのセリフだよ! 狼くんソファーで寝たんじゃなかったの?」

「ソファー……あ」


パチリと狼くんの少し垂れ気味の形の良い目が開く。
至近距離から私の顔をまじまじと見て「仁葵ちゃん?」と言った。

「なに?」

「……本物の仁葵ちゃん?」

「そうだけど、まだ寝ぼけてる?」


とりあえず放して?と言うと、狼くんはすんなり私を解放してくれた。

ふう。やっとまともに息が吸える。
でも狼くんの体温や筋肉のついた固い胸や腕の感触が残っていて、顔が熱い。


「ごめん仁葵ちゃん。夜中にトイレ行ったとき、寝ぼけてベッドきちゃったっぽい」


起き上がり、眠そうな顔のまま謝ってくれる狼くんに苦笑する。
寝ぼけてたんじゃしょうがないよね。


「ううん。やっぱりソファーじゃ、よく眠れなかったんじゃない? 今日は私がソファーで寝るから、狼くんはベッドでゆっくり寝て?」

「大丈夫。仁葵ちゃんがあったかくてよく眠れたのか、体はつらくないよ」

「そ、そう。私、体温高めだから……」


狼くんは逆に少し体温が低めなのか、手とか腕がひんやりしていて気持ち良かった。
そんな感想、恥ずかしくてとても言えないけど。

ふと、ベッドの端にルポが丸くなっているのが見えた。

えー! ルポもベッドに来てくれたんだ!

猫ちゃんと同じベッドで眠るって、なんて贅沢!

狼くんが寝ぼけてベッドに入ったから、ルポも一緒に来たんだろうけど嬉しかった。


「おはよう、ルポ~! 今日も最高に可愛いね!」

「仁葵ちゃんも最高に可愛いね」

「え? 何か言った?」

「いや。お腹すいてる? モーニング食べに行こうか」

「うん。もうぺこぺこ。狼くんはいつもどこで食べてるの?」

「俺は朝は食べたり食べなかったりだけど、食べるときは近くのカフェか、コーヒーショップのモーニングセット食べてるよ」

「いいね。じゃあ、家では食べないんだ?」

「俺、料理できないから。ハウスキーパーが来た次の日とかは、作り置きしてくれたものを食べたりもするけど、自分では作らないかな。テイクアウトしたものを家で食べることはたまにあるくらい」


聞いていて、ちょっとうらやましくなった。
ひとり暮らしって、朝食ひとつにも色んな選択肢があるんだなって。