だが、もう一度、手を伸ばしてもいいのだろうか。
あたり前の幸せに。諦めてしまったすべてのものに。

巻き込まれた人間はどうなる? 不幸になるかもしれない。
だけど彼女が、それでもいいというならば。

(まだ決まってもいない未来を前に、誰かを不幸にするのが怖いとしり込みするなんて、私も、存外と臆病だったのだな)

バイロンはクスリと笑い、前を向く。
胸がはやる。もう何年も感じることのなかった感覚が、こそばゆい。

バイロンは、執務室の扉を思い切り開け放って、叫んだ。

「……クロエ嬢!」

普段バイロンが駆け込んでくることなどないので、クロエだけではなく補佐官全員が呆気にとられた顔をしている。バイロンは構わずクロエに駆け寄った。

「話がある。時間をくれるか?」

「わ、私ですか」

「ああ」

バイロンは、他の補佐官に仕事を割り振ると、絶対に着いて来るなと念を押してクロエを連れ出した。
腕を掴んで引っ張られ、クロエは目を白黒させる。
普段一緒に歩くときも、適度な距離を保つバイロンの、妙に積極的な態度が不思議すぎる。
まるで人が変わったとしか思えなかった。