ケネスは少し眉を寄せた。口もとに手をやり、考え込むような仕草をする。

「心配事はそこですか。あの子を望んでいないわけではないんですね」

「……彼女を嫌う人間などいるのか?」

「少なくともアイザックは苦手そうでしたけどね。……まあ、でも、告白をなかったことにしている原因がそこなら、決めるのはあなたではないでしょう」

ケネスはそう言うと、にこりと笑った。

「どういう意味だ?」

「あなたを諦めるかどうかを決めるのはクロエです。すべてさらけ出して、あの子に決めさせてください。このままでは、あの子の人生から結婚という言葉は一生失われます」

「分からないだろう? これから先、彼女はいろんな男に会う。その中の誰かと……」

「分かってませんね。あの子は固い原石なんです。削れる人間など、限られている。殿下は、貴重な方なんですよ。……殿下は、クロエに望む人生を与えてくださった。俺はそれだけで感謝しています。だから無理に、あの子の気持ちを受け止めてやって欲しいとは言いません。ただ、最後にもう一度、向き合ってやってほしいだけです」

ケネスは、今度は嫌味なところなどひとつもない笑顔を見せた。

バイロンは一度逡巡し、そして駆け出した。

「どう転がっても悪く思うなよ」

「はいはい。ご報告お待ちしていますよ」

走るのは、ずいぶん久しぶりだった。
バイロンは自らの心臓の鼓動を感じて、不思議な気持ちになる。
寝たきりとなり、思うように動けなくなれば、いろいろなものを諦めなければ生きていけなかった。
思考を鍛えようと思ったのは、少しでも誇るものが欲しかったからだ。