バイロンはあまり仕事に集中できていなかった。
書類を前にしているが、文字を目で追っても頭の中にまでは入っていない。
最近はとにかく、クロエの前で平静を保っているふりをするのに必死で、なにをやっているのかもよく覚えていないくらいだ。

執務中もついつい彼女を目で追ってしまう。
仕事に私情は挟まないが聞いて呆れる。今はすっかり私情のせいで仕事がストップしている状態だ。

「兄上、どこか体調が悪いんですか?」

のぞき込んできたのは、アイザックだ。
自分の執務室であまりに集中できないため、アイザックの部屋へと逃げてきたのだ。

「いや」

「そうそう、兄上にご報告があるんです。ロザリーが懐妊しました」

「やっとか」

めでたい話題に、バイロンはようやく頬を緩めた。
アイザックに子ができれば、バイロンの復権を願う層も多少おとなしくなるだろう。
生まれてくる子が男ならばなおよいが、女でもいいよう法律を改正してもいいかもしれない。
今どき、男だけが継承権を持つというのも間違っている気がする。

「喜んでくださるんですね」

「あたり前だ。おまえの子だ。私にとっても甥か姪になるのだからな」

「兄上も、そろそろ結婚なさらないのですか?」

アイザックの問いかけに、バイロンは言葉を無くす。

「そもそも、兄上にずっと婚約者さえいなかったことが不思議だったんですよね、俺は」

バイロンが結婚の適齢期だったころは、ナサニエルと伯父の確執が酷くなっていた。
伯父はバイロンに子をもうけさせ、自らの地盤を盤石にしようとしていたが、そのころのバイロンは父の方を尊敬していたから、父の力を削ぐようなことは望んでいなかった。