智樹さんは朔夜さんの胸倉を掴むと、顔を近づけ凄んだ。
朔夜さんは軽薄な笑みを浮かべたまま言った。

「何も知らないこいつを利用して…」そこまで言いかけて、智樹さんの右手が朔夜さんの頬を掠めた。
スーツのジャケットを手に取り、智樹さんはリビングから出て行ってしまう。慌てて悠人さんが朔夜さんの元を駆けつける。
私は智樹さんが出て行ったリビングの扉に手を掛けた。 その瞬間怒鳴り声が響いた。

「追いかけるな!お前が傷つくだけだ!」

朔夜さんの言葉を無視したまま、扉を開けた。 気が付けば、走り出していた。

「まりあ……」

「智樹さん」

振り向いた彼は、やっぱり私に柔らかい微笑みを落とす。

そしてゆっくりと自分の胸へ私を抱き寄せた。 甘い香り。それは人を惑わす香りだ。けれどとても居心地が良いのは、誰もがこの胸の中夢を見たかったから。

向けられる言葉達が嘘でも利用でも構わない。この胸の中で終わらない夢を見れたらどんなに幸せだっただろう。

「あの、今日はありがとうございました…」

「え?」

「祖父に会わせてくれた事も。
美容室に連れて行ってくれた事も
すごく嬉しかった…です」