どういう風の吹きまわしか
一瞬戸惑ったけれど、お菓子作りが
得意だった母さんがパティシエの
資格を取りたいと言っていたことを
思い出した。

父さんに事情を聞くとやはり
その通りで、母さんの夢を叶える
ために県外の専門学校に
通いたいのだという。

どんな形であれ父さんが
もう一度頑張ってくれると
いうのだから応援したかった。

これで咲菜を見るたびに
ため息をつくことをやめられる。

彼女が僕をくん付けで呼ぶ度に
胸が締め付けられるように
痛くなる感覚を忘れられる。

僕の中で生きている、
記憶を失くす前の大好きな
彼女の面影と生きていける。

今の彼女は脱け殻だ。
かつての面影なんて少しも
残っていやしない。
ピロン、ピロン。

放置したスマホからは
通知が鳴り続けている。

きっと咲菜が送っているのだろう。

そう思っていたら今度は
携帯がものすごい音で着信を告げた。

『もしもし。』

『あ、一ノ瀬やっと出た。
メール見ろよ、心配すんだろ。』

小学校の頃から同じ学校に
通っている麻宮という奴だった。

『悪い。麻宮からメール来てると
思ってなかったんだよ。』

『九条からだと思ったんだろ?
あいつのメールも返してやれよ。
九条は誰よりもまっすぐに
一ノ瀬のこと想ってるんだからな。』

『......どこがだよ。』

思わず本音が洩れた。
『はぁ、お前わかってないよな。
普段は空気読みまくってる癖に
こういうとこに関しては昔から鈍い。』

『うるさい。』

『今からメール送るから見ろ。
それでお前はきっと納得するよ。』

通話が終了して、
麻宮から動画が添付された
メールが送られてくる。



添付されたファイルを開いて。

僕は残虐な真実を知った。
解剖台の上に少年が横たわっている。

どこかの実験室のようだった。

室内は薄暗く、ツンと鼻をつく
薬品の臭いが漂っている。

少年の頭にはたくさんのチューブが
繋がれており、モニターには
普通の人には分からないような指数が
たくさん表示されていた。

そして、実験室のドアには
『関係者以外立ち入り禁止』
という派手な黄色の文字が踊っている。

映像に映っているそこでは、
人類史上最悪と言われている
人体実験が行われようとしていた。

常人の記憶操作である。

『幼馴染みの父親に母親を殺された』

そんなデタラメの記憶を
少年の脳に埋め込んで経過を
観察しようとしたのだ。
被験者には互いに見ず知らずの
幼い少年と少女が使われた。

被験者はどちらも中学1年生とする。

少年が記憶操作の対象で、
少女の脳にはは少年とずっと一緒に
過ごすように強要する電波を植え付けた。

そして2人の行動から
人間心理の本質を観察するのである。

この実験は被験者たちが
17才になるまで期間となり
2人は被験者として人生を
過ごすことになったのだ。

ここに1つ注意点を記す。
少年は少女と自分は幼馴染みだと
思い込んでいる。

この研究が中止されるのは
被験者のどちらかが
亡くなった場合に限る。

被験者の少女は研究室長の
実娘であるため、今回の実験により
少女の精神にダメージがあれば
ケアを行う必要がある。


研究室長 九条 華。
ビデオのシーンが移り変わり、
カルテのような物が映し出される。

『被験者
 ・一ノ瀬 涼(イチノセ スズ)
  13歳、A型。

 本日より記憶操作を開始する。

 ・九条 咲菜(クジョウ サナ)
  13歳、AB型。
 
 本日より記憶操作を開始する。』


叩ききられたかのように
画面が暗くなり、ビデオが終了した。
「なぜ...。」

なぜ僕が被験者になった?

なぜ咲菜の母親はこんな研究をした?

なぜ麻宮がこの動画を持ってるんだ?

なぜ僕は咲菜を傷つけた?


なぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜ。


震える手で麻宮に電話をかける。

『今すぐ九条の家へ行け。』

麻宮はそれだけを端的に言った。
『...わかってるよ。』

咲菜がしようとしていること。

それは、被験者のどちらかの死亡
という研究中止事項を実行させることだ。

スマホを持ったまま外に出て
咲菜の家に向かって走る。

彼女のことが好きだった。

いや、今でも好きなのだと気付く。

咲菜との思い出が記憶操作で
作られた偽りのものだったとしても
この気持ちに嘘はない。

彼女の家につくとピンポンも
押さずに中に踏み込んでいく。

咲菜の両親はどちらも
有名な記憶研究者で研究室に
寝泊まりしているからだ。

何度も訪れた記憶がある咲菜の部屋。

実際に来たことがあるのかすら
今の自分には判断がつかない。
バンッ!

彼女の部屋のドアを開ける。

死んだ目の咲菜と握られたカミソリ。

その手からカミソリとろうとすると
彼女は最大限の力で抵抗した。

「研究を中止させる方法は
これしかない存在しないからっ...!」

そう叫ぶ彼女に僕は微笑みかける。

「方法なんて、いくらでもあるよ。」

そして彼女の手を一気に引き寄せた。

僅かな痛み。

ほとばしる鮮血。




物語の主役は、君にあげない。



















最後くらいは僕が主役だ。