ルイーザから殿下のことをまったく聞いていない。
 もしかして、婚約者である彼女も知らされていないのだろうか。
 でも、どうして殿下は急に学園に通うのかしら……?

 イレギュラーな展開に対して胸に不安がシミのように少しずつ広がっていく。

「騒々しいわね」
「ルイーザ!」
 私たちの隣にルイーザは立つと、腕を組んで前方を不機嫌そうに睨みつけている。

「通行の妨げ。邪魔よ。ねぇ、シルフィ。なんなの? これ」
「殿下がいるの」
「殿下が?」
 ルイーザが眉間に深くしわを寄せて険しい表情を浮かべる。
 その様子を見る限り知らなかったらしい。

「ちょっと聞いてくるわ」
「でも、この人の多さで近づくのは難しいかも」
 人々の喧噪によってきっと声はかき消される。
 垣根を手でこじ開けるように人の群れを突き進むしか道はないのだろうか。

 どう近づくのかルイーザを見守っていると、彼女は前を見すえゆっくり唇を開いた。

「──通行の妨げになります。今すぐおどきなさい」
 凜とした声は場を制するほどの威厳と圧を感じる強力なものだったため、ざわめきが一瞬にして静まり返り、生徒たちはさーっと波が引くかのように左右に分かれ始めた。

 まるでモーセの十戒のようだ。さすがは王太子殿下の婚約者。

 人の波が消えたことにより、絵画の世界にいそうな見目麗しい少年が見えた。

 中性的な顔立ちをしている彼は、胸下まである金色の髪をひとつにまとめ右肩で流している。

 彼こそ、ミニム王国の次期国王であり、『ありあまる大金の力で恋愛攻略』の攻略対象者のひとりでもあるエオニオ王太子殿下。
 殿下は、琥珀をはめ込んだような瞳で己の婚約者であるルイーザを射貫くように見ていた。

 一方のルイーザはミルクティー色の瞳を揺るがせることなく、真っすぐ受け止めている。

「ごきげんよう、殿下」
「ルイーザ。久しぶりだね。元気そうでなによりだよ」
「私、驚いて声も出ませんでしたわ。殿下の登校をまったく伺っておりませんでしたので」
「ちょっと学園生活に興味があってね。登校することになったんだ。よろしく」
 目尻を下げながら殿下が微笑めば、ルイーザがぎゅっと手のひらを握りしめたのに気づく。

「……興味とはいったい?」
「ちょっとね……。あと、君には近々伝えるべきことがある。君と君の家の理解も必要になってくることだから、今は言えないのだが」
「それはどういう意味ですか」
「父上たちにもまだお伝えしていないし、〝彼女を迎える準備〟ができていない。だから、しかるべき時がきたら報告しよう」
 私の気のせいだろうか。遠回しの婚約破棄の予告に聞こえるのは──。