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冷蔵庫の音だろうか。それとも空調のファンの音だろうか。静寂にブーンと少し音が鳴った気がした。
私…今、何を言われた?
耳を疑ってうまく言葉が出てこない。
「な、何を…」
「や、そのままの意味だけど。俺と結婚しろっつってんの。」
聞いた言葉は、確かに本当らしい。何故聞き返すんだと言わんばかりの田宮さんの表情にそれを悟る。
…例えば。
うまくいかないだろうと思っていた仕事が、突然うまく事が運んだり、新種の野菜を絶対売れると思って店頭に並べても売れなかったり。
世の中、何がどうなるかなんて、予想がつかない事はたくさんあるけれど、身の上を話したら、「結婚を迫られる」なんて誰が思う?
両手首を捉え直し、迫る田宮さんにまたキュッと唇を結んだ。
さっき、襲われそうになって助かったと思ったのに…結局私はそう言う星の元に生まれて来たって事?
だったら最初からあのボンボンから逃げ出さなくても同じだったじゃん…
鼻の奥がツンとして、思わず伏せがちにした瞼。その奥がジワリと熱くなった。
本当に…私の人生終わったんだなあ…
「や、だからね?お前の抱えてる借金俺が全部払ってやるから。」
……え?
本日2度目の『耳を疑う』と言う状況。
驚いて再び目線を上げたそこには、ただただ、機嫌良さげな表情の田宮さん。
「その代わり、俺と結婚しろ。」
「な、何故…」
「何故って、お前と結婚したいから?」
…『から?』って。
そんな二重の可愛らしい目をキラキラさせて言われても。
「あの…今日会ったばっかりの人に結婚しろって言われてハイわかりましたってなるほど私は若くありません。」
「そんなの俺だって見た目でわかる。」
悪かったね、若くなくて。
自分で言っておいて、少しだけ不服を抱いたことが少し表情に出たのかもしれない。
田宮さんはクッと笑いながら手首を解放して、私の髪に指を少し通した。
「でも、あいつと結婚しようと思ってたわけだからさ。」
「そ、それは…だから…」
「“仕方なく”でしょ?だったら俺と結婚したって良いわけじゃん。」
理屈は…正しい。
私はあいつと好きで結婚するわけじゃない。
寧ろ、借金のカタに仕方なく。
でも、その借金をこの人が払って、この人の嫁になるのって…
「あの…それって何かあいつと結婚するのと違いがありますか?」
「はっ?!そんな悪どい事ばっか考えてる奴と一緒にしないで貰えます?
そんなね、お前を無理やり襲うとか、そんな事考えないから俺は。」
…さっきから気になっていたんだけど。『見つけた』のあたりから、若干言葉が悪くなり、フランクになったのは気のせいだろうか。
まあ…とにかく、続きを聞いてみようか、とりあえず。
「俺ね?今、結構、仕事が忙しいわけ。仕事に集中したいわけ。
女に時間割いている暇がないのよ。だけどね…この歳になると縁談だの、結婚だのってさ、その手の話が舞い込んで来たり、それを期待して女が寄って来たりって結構そっちに時間を取られがちでさ。煩わしいったらありゃしないんだよ。
結婚すれば、縁談的な話はなくなるし、少しは女が寄って来なくなるかなーってね。
かと言って、愛だの恋だの期待してる女と結婚したら面倒くさいし。
その点、あなたならそう言うのなく結婚出来るじゃん、事情が事情だから。」
確かに、無理やり襲うとかはなさそうだけど。
その考えが『悪どい事ではない』かどうかは微妙だと思う。
そして、一応私は、話をする便宜上、八百屋の娘だとか、今はサラリーマンだとか、自分の概要をお話しできているけれど、田宮さんが何をしている人でおいくつなのか、私は全く分かっていないのですが、そこはそのままスルーで良いのかしら。
まあ…あの悪徳ボンボンと結婚することを考えたらどんな境遇でも良い気がするけど。
「結婚は法律上のみ。紙面上の事。お互い特にプライベートまで深入りしない。言うなれば…表面上は夫婦、中身は同居?シェアハウス?そんな感じって事。」
「とにかく、後悔はさせないから。」と自信満々に笑うその表情は、どこかまだ好戦的だけれど、優しさを含んでいる気がして…疑心暗鬼が解かれた、のかもしれない。
その時点でもう、あまり危機意識的なものはなかったと思う。
「俺と、契約しましょ?」
まあ…今、人生においてどん底に立たされているわけで。
愛した人と永遠を誓いあって結婚なんて幸せな絵図はもう絶対に私には無いに決まっている。
どうせどん底なら、この人にかけてみても良いかもしれない。
何故だかそんな風に思った。
「…わかりました。」
真顔で答えた私に、キュッと唇の両端をあげて見せると「契約成立…ね。」とつぶやいて私から少し離れる。
それから、スマホを取り出して、どこかへ連絡を入れ出した。
「…あ、中田?悪いけど、真崎先生に連絡取って。え?今?ああ、うん。ロイヤルスカイタワーホテルには居るって。4000号室。うん…宜しく。」
スマホを切ると、立ち尽くしている私にニヤリと笑う。
「…さて。最初のミッションだな。」
最初の…ミッション?
「…格好がすげえ七五三だけど、まあ、中田と真崎先生だからとりあえずはいっか。」
そう言うとカウンターへと戻りまた一口美味しそうにウィスキーを飲んだ。
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冷蔵庫の音だろうか。それとも空調のファンの音だろうか。静寂にブーンと少し音が鳴った気がした。
私…今、何を言われた?
耳を疑ってうまく言葉が出てこない。
「な、何を…」
「や、そのままの意味だけど。俺と結婚しろっつってんの。」
聞いた言葉は、確かに本当らしい。何故聞き返すんだと言わんばかりの田宮さんの表情にそれを悟る。
…例えば。
うまくいかないだろうと思っていた仕事が、突然うまく事が運んだり、新種の野菜を絶対売れると思って店頭に並べても売れなかったり。
世の中、何がどうなるかなんて、予想がつかない事はたくさんあるけれど、身の上を話したら、「結婚を迫られる」なんて誰が思う?
両手首を捉え直し、迫る田宮さんにまたキュッと唇を結んだ。
さっき、襲われそうになって助かったと思ったのに…結局私はそう言う星の元に生まれて来たって事?
だったら最初からあのボンボンから逃げ出さなくても同じだったじゃん…
鼻の奥がツンとして、思わず伏せがちにした瞼。その奥がジワリと熱くなった。
本当に…私の人生終わったんだなあ…
「や、だからね?お前の抱えてる借金俺が全部払ってやるから。」
……え?
本日2度目の『耳を疑う』と言う状況。
驚いて再び目線を上げたそこには、ただただ、機嫌良さげな表情の田宮さん。
「その代わり、俺と結婚しろ。」
「な、何故…」
「何故って、お前と結婚したいから?」
…『から?』って。
そんな二重の可愛らしい目をキラキラさせて言われても。
「あの…今日会ったばっかりの人に結婚しろって言われてハイわかりましたってなるほど私は若くありません。」
「そんなの俺だって見た目でわかる。」
悪かったね、若くなくて。
自分で言っておいて、少しだけ不服を抱いたことが少し表情に出たのかもしれない。
田宮さんはクッと笑いながら手首を解放して、私の髪に指を少し通した。
「でも、あいつと結婚しようと思ってたわけだからさ。」
「そ、それは…だから…」
「“仕方なく”でしょ?だったら俺と結婚したって良いわけじゃん。」
理屈は…正しい。
私はあいつと好きで結婚するわけじゃない。
寧ろ、借金のカタに仕方なく。
でも、その借金をこの人が払って、この人の嫁になるのって…
「あの…それって何かあいつと結婚するのと違いがありますか?」
「はっ?!そんな悪どい事ばっか考えてる奴と一緒にしないで貰えます?
そんなね、お前を無理やり襲うとか、そんな事考えないから俺は。」
…さっきから気になっていたんだけど。『見つけた』のあたりから、若干言葉が悪くなり、フランクになったのは気のせいだろうか。
まあ…とにかく、続きを聞いてみようか、とりあえず。
「俺ね?今、結構、仕事が忙しいわけ。仕事に集中したいわけ。
女に時間割いている暇がないのよ。だけどね…この歳になると縁談だの、結婚だのってさ、その手の話が舞い込んで来たり、それを期待して女が寄って来たりって結構そっちに時間を取られがちでさ。煩わしいったらありゃしないんだよ。
結婚すれば、縁談的な話はなくなるし、少しは女が寄って来なくなるかなーってね。
かと言って、愛だの恋だの期待してる女と結婚したら面倒くさいし。
その点、あなたならそう言うのなく結婚出来るじゃん、事情が事情だから。」
確かに、無理やり襲うとかはなさそうだけど。
その考えが『悪どい事ではない』かどうかは微妙だと思う。
そして、一応私は、話をする便宜上、八百屋の娘だとか、今はサラリーマンだとか、自分の概要をお話しできているけれど、田宮さんが何をしている人でおいくつなのか、私は全く分かっていないのですが、そこはそのままスルーで良いのかしら。
まあ…あの悪徳ボンボンと結婚することを考えたらどんな境遇でも良い気がするけど。
「結婚は法律上のみ。紙面上の事。お互い特にプライベートまで深入りしない。言うなれば…表面上は夫婦、中身は同居?シェアハウス?そんな感じって事。」
「とにかく、後悔はさせないから。」と自信満々に笑うその表情は、どこかまだ好戦的だけれど、優しさを含んでいる気がして…疑心暗鬼が解かれた、のかもしれない。
その時点でもう、あまり危機意識的なものはなかったと思う。
「俺と、契約しましょ?」
まあ…今、人生においてどん底に立たされているわけで。
愛した人と永遠を誓いあって結婚なんて幸せな絵図はもう絶対に私には無いに決まっている。
どうせどん底なら、この人にかけてみても良いかもしれない。
何故だかそんな風に思った。
「…わかりました。」
真顔で答えた私に、キュッと唇の両端をあげて見せると「契約成立…ね。」とつぶやいて私から少し離れる。
それから、スマホを取り出して、どこかへ連絡を入れ出した。
「…あ、中田?悪いけど、真崎先生に連絡取って。え?今?ああ、うん。ロイヤルスカイタワーホテルには居るって。4000号室。うん…宜しく。」
スマホを切ると、立ち尽くしている私にニヤリと笑う。
「…さて。最初のミッションだな。」
最初の…ミッション?
「…格好がすげえ七五三だけど、まあ、中田と真崎先生だからとりあえずはいっか。」
そう言うとカウンターへと戻りまた一口美味しそうにウィスキーを飲んだ。
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