私の記憶は、そこからない。
ただ、あるのは、亡くなった哲也にキスをしたことだ。
あれだけ温かく私の唇を包んでくれた哲也の唇は、冷たくて、固かった。
キスをしなければよかった。私に残された感触の記憶が、冷たく固いまま、唇に残っている。
「哲也、二度と来ることは無いと思っていたけど、来たわ……区切りをつけるために……」
踏み入れた海は、やっぱりあの時と変わらず穏やかに波を打っていた。
目を閉じると波の音が聞こえる。
『美緒』
「哲也?」
空耳じゃない、はっきりと哲也の声で私の名前を呼んだ。
でも周りには哲也どころか人がいない。私は、もう一度目をつぶった。
『美緒!』
哲也だ、間違いない。もう目は開けない。閉じたままでいると、哲也が現れた。
「哲也、海に来たよ」
哲也は答えない。
だけど、私が見たいと願い、ずっと叶わなかったあの笑顔。
大好きだったあのはじける笑顔が見える。
私は、やっとわかった。
哲也の悲しい顔は、私の時間を止めさせてしまっているのは自分のせいだと思っていたんじゃないかと。
いつも私のことを思ってくれたいた哲也だ、きっとそう思っていたに違いない。
でも哲也が悪いんじゃない。
誰の言葉も耳を貸さず、自分から心の扉を閉めていたのだ。
哲也はそれが悲しかったのだ。
一ノ瀬さんと出会い、少しずつ私は一ノ瀬さんに惹かれて行った。
そのころから哲也の夢に変化が現れた。そんなことにも気が付かなかった。
「哲也~!! もう大丈夫よ!! 心配かけてごめんね!!」
叫んだあと、持っていた花束を海に投げ込む。
「哲也……」
誰が見ていても構わない。
私は、最後に大きな声で哲也の名前を呼んだ。
胸がしめつけられるほど苦しい。私は大声で泣いた。
振り向いた哲也の笑顔を、私は一生忘れない。
「ありがとう、あなたと……哲也に出会えたそれだけで、私は幸せだった。誰よりもあなたが好き」