「じゃあ、行きますか」

「汗が……」

なんの考えもなく、私は手に持っていたハンカチで、一ノ瀬さんの汗を拭いていた。

ハンカチを渡せばいいだけだったのに、何故私はそうしなかったのだろう。

汗を拭いていると、一ノ瀬さんの視線を感じた。私は、一ノ瀬さんを見る。

「暑いから……」

「ありがとう」

一ノ瀬さんの視線を感じても逸らすことはない。なんだか見つめていたい。とても温かな視線だった。

「行くか」

「よろしくお願いします」

一ノ瀬さんから言わなければ、ずっと見つめていたかもしれない。

事務所がある場所から、スタジオはそんなに離れていない。20分も車を走らせれば着く距離だ。

私は頭の中で段取りを確認する。

「モデルはどうなってる?」

「マネージャーから連絡があってこちらに向かっているそうです」

唐沢が直接選んだモデルは、ベテランモデルだ。

やはり新人では唐沢浩一のお目に叶わなかったのだろう。

モデルなら一度は撮ってもらいたいという唐沢浩一。きっと彼女も選ばれた時は嬉しかっただろう。

スタジオに到着すると、荷物を搬入して、お茶などのセッティングから始める。

スタッフの誰よりも早く来ないとならず、まだスタイリストやメイクさんもまだ入っていない。

「唐沢さんのコーヒーですが、配達をしてくれるそうです」

「そうなのか?」

「ええ。しーちゃんに淹れたてを買ってきてもらおうと思ってたんですが、ママさんが配達をしてくださると言うので、お願いしました」

「そうか、まあ、常連客だし、スタジオから近いからいいだろう」

「準備をしますから、一ノ瀬さんは控室に入られてください。今日は統括部長じゃなくて、モデルさんですから」

「一人じゃ大変だ」

「大丈夫ですよ、これくらい。いつもより少ないですし」