「桜庭」

「一ノ瀬さん」

ここは職場だというのに、一ノ瀬さんは私を後ろから抱きしめる。

見上げた私に、軽くキスを落とす。

「いいポスターだ」

「自画自賛ね」

「いい男だろ?」

「そうね」

学祭のとき、コスプレ喫茶をサークルでやることになった。

哲也はどこかのホストの真似をしていた。メイクをして、流し目で私を見た時、

「いい男だろ?」

そう言った。

ごめんね、哲也。

一ノ瀬さんの方がいい男に見える。

哲也はきっと大きな口を開けて笑うに違いない。

想い出は胸にしまって、もう心の扉は閉めない。

哲也はやっと安心して眠っていることだろう。

「あ、そうだわ。いつからしーちゃんを「しー」って呼ぶようになったの?」

いきなりだけど、突然そのことを思いだした。ものすごく納得がいかない。

「妬いてるのか?」

「そうよ」

正直に言った。むくれた顔の私を見て、一ノ瀬さんはとても満足そうな顔をする。

「もう、呼ばないよ」

「いいのよ、しーちゃんはいい子で、私は好きよ」

「妬くのは俺だけにしてくれ、そんな顔を俺以外に見せたくない」

キザなセリフも嫌味なく言う、一ノ瀬さんが少し憎らしい。

これだけで、なんでも許せちゃう気がする。

いつか私も「桜庭」から「美緒」と呼ばれるだろう。それでいい、呼び方なんて何でもいい。

「桜庭」

「なあに?」

「夜は眠れているのか?」

「大丈夫、ちゃんと眠れているから」

私は、眠れない夜に終止符を打った。

一ノ瀬さんは、良かったと囁くように言って、もう一度温かなキスをくれた。

彼は私に沢山の心を寄せてくれた。私が出来るのは、忙しいあなたに、温もりをあげることだけ。

一ノ瀬さんを好きになった夏、私は大好きになった。