13
一週間後。
七月一日。
あの日からやまない雨が降り続いている。
「五十年ぶりの記録的雨量です。河川には近づかないようにして下さい」
朝のニュースでアナウンサーが言っている。
「近づかないよ」
ぼそりと呟いた私の声は誰にも届かない。
あの日、あの後、私は警察へ行った。
生まれてはじめてパトカーに乗った。
雨に濡れた体をタオルで拭いた。
警察署に着いたら衣服を着替えることを許された。
けれど断った。
夏だからかそんなに寒さを感じなかった。
その後、取調室へ行った。
「任意の事情聴取です」
警察の人が言った。
だからなのか手錠はかけられなかった。
取調室は無機質で冷たい感じがした。
取り調べに来たのはさっきまでの人とは違う二十台くらいの女の人だった。
「初めまして。巡査の柴田亜希といいます」
柴田巡査は柔らかい口調で言った。
私は無視した。
「傘もささずに……、濡れちゃったね。着替えてもいいのよ?」
柴田巡査の提案を私は断った。
首を横に振る。
「そう……、ところであんな場所で何をしていたの? そんな格好で……」
黒いマント。黒いサングラス。マスク。
学校テロ事件。
被害者たちの証言による犯人像は、”全身黒い格好。背が小さい。声が高く子供か女性”。
「名前、教えてもらえるかしら?」
「……」
私は何も答えない。
何もする気力が起きなかった。
「小学生? 中学生かしら?」
「……」
「そう……、言いたくないならいいわ」
私はうつむいたまま一言も発しない。
無力感に襲われていた。
「百合ちゃん……」
「え? 今なんて?」
「……」
何であんなところに百合ちゃんがいたのかはわからない。
もしかして私に会いに来たのかも知れない。
百合ちゃんちは学区が少し違うから特に用事でもない限りこっちには来ない。
今すぐに百合ちゃんに会いたい。
会って話したい。
――コンコン。
「失礼します。名前がわかりました」
また別の警察官が取調室へ入ってきた。
「ちょっと! そこは言わなくていいのよ。無言で資料をくれればいいの」
「はい……すいません」
そう言うとその人は資料を手渡してまた出ていった。
柴田巡査は資料を見るなり言った。
「なるほど。雨宮ゆゆちゃんって言うのね。十四才。中学三年生か」
「……!」
「お、反応した反応した」
顔を上げてお姉さんの方を見た。
柴田巡査はにこっと笑っている。
「おー、恐い恐い。そんな恐い顔で見ないでよ」
今からでも逃げだそうと思えば逃げだせる。
しかしどうやって調べたのかはわからないけれど名前がバレている。
あの辺りは地元だから、あの野次馬の中に私のことを知っている人がいたのかも知れない。
逃げたところで逃げ切れない。
「私のこと……、逮捕するんですか?」
「ん? ゆゆちゃんは逮捕されるようなことをしたのかしら?」
余裕のある口ぶりで質問を返された。
私は迷いながら自分の答えを言った。
「わかりません」
昨日までの私だったら、
「してない」
って答えていた。
でも今はわからない。
百合ちゃんに突き放されたのがそんなに大きかったのか。
それもわからない。
だけど昨日まであった燃えるような自信が今はない。
「そう……、まあ状況が状況なので、これから親御さんに来てもらって、ゆっくりお話をすることになると思うんだけど、いいかな?」
「え……? あ……」
名前がバレたのならお母さんに連絡は行くだろう。
もう連絡されたかもしれない。
「お、お母さんにはあんまり迷惑かけたくなくて……」
一人で私を育ててくれたお母さんには感謝している。
あんまり仲良くなかったし、一緒に居る時間も少なかったけれど、恨みはない。
「優しいのね」
「そんなこと、ないです」
「まぁ、ともかくゆゆちゃんが未成年である以上、親御さんに連絡しないわけにはいかないわね」
「はい……」
「だけど、心配しないで。私からは何も言わないわ。あなたが、自分の口で話しなさい」
「え? 何を?」
「それを決めるのもあなた自身よ」
柴田巡査はそう言って私の手を握った。
もしかしたらその時に私の気持ちは決まっていたのかも知れない。
☆
数日後。
「雨宮ゆゆを一件の傷害の容疑により保護観察処分とする」
家庭裁判所で下された私への判決。
あれから警察で学校テロ事件の重要参考人として事情聴取されたが、結局、立件するには証拠不十分だった。
しかし平沼綾花への傷害容疑は別だ。
目撃者多数だったから。
でもその目撃者の証言は、
「少女が空中に浮いていた」
「何もされていないにも関わらず苦しんでいた」
「黒マントが意図して何かをしているように見えた」
等、理路整然としない。
意味不明な証言ばかりだ。
でも、
「雨宮さんがやったに決まってるでしょ」
と平沼は証言する。
四箇所の骨にヒビが入ったが元気にしている様子。
私は何も言わなかった。
「していない」
とも、
「した」
とも言いたくなかった。
そのせいなのかはわからないが、私は傷害事件の犯人になった。
しかし、未成年、初犯のため少年法に則り保護観察処分で済んだ。
少年院に行くこともなく、家に帰れる。
でも、学校テロ関連の容疑は晴れない。
私は疑われている。
車の遠隔操作や教室の破壊方法がわからないから立件されていないだけ。
連続暴行事件も決定的な証拠がないから逮捕できないだけだ。
警察にとって私は完全に容疑者。
家に帰っても自由とはいえない。
☆
「五十年ぶりの記録的雨量か。不老川どうなってるか見てみたいなぁ」
自分の部屋。
朝八時。
家に帰って三日目。
不老川の様子が気になる。
どのくらい水位が上がっているのだろう。
「でも……、今は」
三日間、外出していない。
今は大人しくしていないといけない。
窓を開けて外を眺める。
湿った風。
立ちのぼる雨の匂い。
「あぁ……、いい空気だなぁ」
私は雨が好き。
雨の匂いも好き。
雨が降ると気分が高揚して、走りだしたくなる。河川敷に行って、傘を振りまわしながら妄想にふけたい。
だけど、今は我慢する。
これ以上、お母さんに恥をかかせるわけにはいかないから。
「ん……? あれは……」
雨の街を歩くカラフルな傘。
紺色のスクールバッグ。
白いシャツ。
「そっか、今日から、か」
七月一日。
王川中は今日から学校が再開になる。
昨日、先生から聞いた。
うちに来たんだ。
教頭先生と、三年二組の担任、大楠浩二先生が。
先生たちがうちに来たのは随分と久しぶりだった。
不登校になってから最初の内は何回か家に来たけれど、私が無愛想にしているとすぐに来なくなった。
なのに今さらうちに来たのは、私が警察沙汰を起こしたからだ。
来たところで何が出来る?
学校なんてもう長い間行っていないのに。
それでも私は中学生。
そんな身分、捨て去りたいのに。
ほんとに?
「どうしてるかなぁ、と思いまして」
教頭先生は渋い顔で言った。
「事件を起こしたから様子を見に来た」
とは言わないが、そんな本心がわかった。
お母さんは頭を下げた。
大楠先生は無言だった。私がにらみつけていたからかもしれない。この先生は、私のことを大切に思っていない。体育倉庫に閉じ込められた時、教室からいなくなった私を探そうともしなかった人だ。
今さら、こんな人と話したくない。
それから客間で四人で面談をした。
「中々……、大変みたいですね」
教頭先生がお母さんに言った。
お母さんは苦笑いした。
「学校が明日から再開になるんですよ。みんな恐いとは思いますが、そんな生徒たちを守って、楽しい学校生活を取り戻せたらと思います」
しらじらしいな。
それを私に言って何だって言うんだ。
「雨宮さんも……、ね。ゆっくりでいいから頑張りなさい。あんまりお母さんに迷惑をかけたらだめだよ」
「……はい」
そんなことは私が一番よくわかってる。
警察に捕まった時、真っ先に連絡が行ったのはお母さんだった。
警察署でお母さんと会った時、お母さんは泣いていた。
お母さんが泣いているのを見たのは、いつ以来だったか。
「何を伝えるかは自分で決めなさい」
警察署で柴田巡査に言われた。
正直言って、何を言えばいいか直前までわからなかった。
だけどお母さんに会った時、言葉は自然と出てきた。
「ごめんなさい」
第一声は謝罪だった。
考えた言葉じゃない。
気がついたら言ってた。
こんな事件を起こしてごめんなさい。
こんな娘に育ってごめんなさい。
人に見せられない娘でごめんなさい。
頭のおかしい娘でごめんなさい。
「何でこんなこと……、したの!」
お母さんは大声で言った。
声は震えていた。
私は同じ言葉をくりかえした。
お母さんは私を抱きしめた。
「ごめんなさいお母さん」
教頭先生と大楠先生が帰った後、また私は同じ言葉を言った。
お母さんは何も言わなかった。
☆
七月一日。
「雨、雨ふれふれ、らんらんらん」
鼻歌を歌いながら足を上下に揺らした。
雨の街を見ている。
学校の再開が急に決まったのは、きっと私が捕まったからだ。
一連の事件の犯人は私。
警察はそう思っている。
学校を再開し、私を泳がせることでまた事件を起こすと考えている。私をマークしていれば、その現場を押さえられる、ときっと思っている。
これは私を捕まえるための計画なのだ。
「まあ……、今は何も出来ないけど」
「ゆゆ! 行ってくるわよ!」
玄関の方からお母さんの声がする。
仕事に行くのだ。
「はーい」
返事をする。
警察署から戻ってきてからは、こんな風な会話をするようになった。
しなきゃいけない気がした。
雨の中、傘を差してお母さんが仕事へ向かう。
私は窓から見ているだけ。
どこにも行かない。
行く場所がない。
今さら、学校には行けない。行きたくもない。しかしヒーロー活動も出来ない。私には監視が付いている。下手に行動すると、今度こそ逮捕されてしまうかも知れない。私みたいな社会不適合者、別にどうなってもかまわないけれど、これ以上、お母さんに迷惑をかけたくない。
私にはどこにも行く場所がない。
百合ちゃんたちに会うのも得策じゃない。百合ちゃんたちも共犯だと思われてしまうし、能力のことがバレてしまうかも知れない。
そもそも百合ちゃんたちは会ってくれるだろうか。あの日の百合ちゃんは別人みたいだった。怒ってる? 私に。何で? いや、怒られて当然か。酷いこと言ったから。
LINE通知は最近来ない。
私から返事も送っていない。何を言えばいいのかわからない。
私は何も出来ない。
何をやっても上手く行かない。
学校に行っていた頃、少しでも普通になろうと思って笑顔を作る練習をしたり、携帯で自分の話した声を録音してどもりを改善しようとした。
だけど意味がなかった。
学校でみんなに笑いかけたら、
「キモイ」
って罵倒された。
練習した話し方で話したら、
「キモイ」
って気味悪がられた。
何をやっても虐めは終わらなかった。
「復讐してやる」
ってエンジェルトランペットを作った。
仲間が出来た。
だけど気が弱くて何も行動を起こせなかった。
でもどういうわけか超能力を獲得した。
何かが変わるって思った。今だったらみんなを守れるって思った。
桜ヶ丘中で茅ヶ崎ひかりたちを攻撃した。
百合ちゃんのため。
助けるためだった。
なのに百合ちゃんはそれを否定した。
復讐クラブなのに復讐しちゃだめなんてわけがわからないと思った。 私の行動は正しいって証明したくて、王川中の体育倉庫を燃やしたり、校舎を破壊したりした。
その度に自信が付いて、PTSDを乗りこえられた気がした。
一人で人が多いところに行ったり出来るようにもなった。
だからもっともっと復讐をすれば、もっともっとよくなるって思った。
王川中のみんなを締めあげた。
辛かった過去が清算されるような気がした。
虐められていた私が居なくなり、新しい自分に生まれ変わるような気がしたんだ。
だけどやっぱり百合ちゃんはそれを否定した。
わかって欲しかっただけなのに。
私がやっていることは正しいって認めて欲しいだけだった。
でも結局、何も上手く行かなかった。
私は逮捕されて、保護観察処分になった。
百合ちゃんとは疎遠になった。
認めてもらうなんて遙か彼方。
テロ事件の容疑者として目をつけられている。軽い気持ちで外に出ることも出来ない。余計にひきこもりになりそうだ。
事件の噂は学校のみんなにも伝わる。被害者は平沼綾花だし、目撃者も多数居る。それを通して地域住民にも私の悪い噂が広がる。そうしたら社会復帰も難しくなる。元から社会不適合者だったのに、泣きっ面に蜂だ。
よかれと思って行動したのに、気がついたら結果は散々たるもの。
以前より悪くなった。
私は何をやってもだめだ。
自信ももうない。
いや元からない。
ただの幻想。
ヒーローなんてただの妄想。
私は気の弱いただのひきこもりだ。
「生きていても……、しょうがない」
雨粒が落ちる風景を見ている。
窓からさしこむ風。
家には誰も居ない。
呟いた声に返事は帰ってこない。
「……死ぬ」
口が勝手に動いた。
何となく思っていたこと。
嘘じゃない。
本心でもない。
だけど言ってみたらそれも悪くないと思った。
どうせ生きていても何もいいことがない。
ひきこもりの私は誰からも必要とされていない。
友達もいない。私が死ぬことで悲しむ人は、多分、お母さんだけ。
だけど、これから私が生きていくことでたくさんの迷惑をかけるのなら、今、いっそのこと死んでしまったほうがいいのかもしれない。
どうせ私は変わらない。だめな私のまま。
あがいても、先に進まない。
もう生きるのに疲れた。
あがくのも疲れた。
死んでもいいや。
けど後悔がある。
やり残したこと。
後悔は残したくない。
みんなへの復讐は最後にちゃんとやり終えたい。
私のことをずっと虐めてきたみんなには、相応の報いを与えなかったら死んでも死にきれない。
あいつらは悪。
それだけはやっぱり絶対変わらない気持ち。
「雨……、やまないなぁ」
雨が降り続く。
側溝の水が路面に溢れる。
立ちのぼる匂い。
雨の風景。
「やまない……なぁ」
一週間後。
七月一日。
あの日からやまない雨が降り続いている。
「五十年ぶりの記録的雨量です。河川には近づかないようにして下さい」
朝のニュースでアナウンサーが言っている。
「近づかないよ」
ぼそりと呟いた私の声は誰にも届かない。
あの日、あの後、私は警察へ行った。
生まれてはじめてパトカーに乗った。
雨に濡れた体をタオルで拭いた。
警察署に着いたら衣服を着替えることを許された。
けれど断った。
夏だからかそんなに寒さを感じなかった。
その後、取調室へ行った。
「任意の事情聴取です」
警察の人が言った。
だからなのか手錠はかけられなかった。
取調室は無機質で冷たい感じがした。
取り調べに来たのはさっきまでの人とは違う二十台くらいの女の人だった。
「初めまして。巡査の柴田亜希といいます」
柴田巡査は柔らかい口調で言った。
私は無視した。
「傘もささずに……、濡れちゃったね。着替えてもいいのよ?」
柴田巡査の提案を私は断った。
首を横に振る。
「そう……、ところであんな場所で何をしていたの? そんな格好で……」
黒いマント。黒いサングラス。マスク。
学校テロ事件。
被害者たちの証言による犯人像は、”全身黒い格好。背が小さい。声が高く子供か女性”。
「名前、教えてもらえるかしら?」
「……」
私は何も答えない。
何もする気力が起きなかった。
「小学生? 中学生かしら?」
「……」
「そう……、言いたくないならいいわ」
私はうつむいたまま一言も発しない。
無力感に襲われていた。
「百合ちゃん……」
「え? 今なんて?」
「……」
何であんなところに百合ちゃんがいたのかはわからない。
もしかして私に会いに来たのかも知れない。
百合ちゃんちは学区が少し違うから特に用事でもない限りこっちには来ない。
今すぐに百合ちゃんに会いたい。
会って話したい。
――コンコン。
「失礼します。名前がわかりました」
また別の警察官が取調室へ入ってきた。
「ちょっと! そこは言わなくていいのよ。無言で資料をくれればいいの」
「はい……すいません」
そう言うとその人は資料を手渡してまた出ていった。
柴田巡査は資料を見るなり言った。
「なるほど。雨宮ゆゆちゃんって言うのね。十四才。中学三年生か」
「……!」
「お、反応した反応した」
顔を上げてお姉さんの方を見た。
柴田巡査はにこっと笑っている。
「おー、恐い恐い。そんな恐い顔で見ないでよ」
今からでも逃げだそうと思えば逃げだせる。
しかしどうやって調べたのかはわからないけれど名前がバレている。
あの辺りは地元だから、あの野次馬の中に私のことを知っている人がいたのかも知れない。
逃げたところで逃げ切れない。
「私のこと……、逮捕するんですか?」
「ん? ゆゆちゃんは逮捕されるようなことをしたのかしら?」
余裕のある口ぶりで質問を返された。
私は迷いながら自分の答えを言った。
「わかりません」
昨日までの私だったら、
「してない」
って答えていた。
でも今はわからない。
百合ちゃんに突き放されたのがそんなに大きかったのか。
それもわからない。
だけど昨日まであった燃えるような自信が今はない。
「そう……、まあ状況が状況なので、これから親御さんに来てもらって、ゆっくりお話をすることになると思うんだけど、いいかな?」
「え……? あ……」
名前がバレたのならお母さんに連絡は行くだろう。
もう連絡されたかもしれない。
「お、お母さんにはあんまり迷惑かけたくなくて……」
一人で私を育ててくれたお母さんには感謝している。
あんまり仲良くなかったし、一緒に居る時間も少なかったけれど、恨みはない。
「優しいのね」
「そんなこと、ないです」
「まぁ、ともかくゆゆちゃんが未成年である以上、親御さんに連絡しないわけにはいかないわね」
「はい……」
「だけど、心配しないで。私からは何も言わないわ。あなたが、自分の口で話しなさい」
「え? 何を?」
「それを決めるのもあなた自身よ」
柴田巡査はそう言って私の手を握った。
もしかしたらその時に私の気持ちは決まっていたのかも知れない。
☆
数日後。
「雨宮ゆゆを一件の傷害の容疑により保護観察処分とする」
家庭裁判所で下された私への判決。
あれから警察で学校テロ事件の重要参考人として事情聴取されたが、結局、立件するには証拠不十分だった。
しかし平沼綾花への傷害容疑は別だ。
目撃者多数だったから。
でもその目撃者の証言は、
「少女が空中に浮いていた」
「何もされていないにも関わらず苦しんでいた」
「黒マントが意図して何かをしているように見えた」
等、理路整然としない。
意味不明な証言ばかりだ。
でも、
「雨宮さんがやったに決まってるでしょ」
と平沼は証言する。
四箇所の骨にヒビが入ったが元気にしている様子。
私は何も言わなかった。
「していない」
とも、
「した」
とも言いたくなかった。
そのせいなのかはわからないが、私は傷害事件の犯人になった。
しかし、未成年、初犯のため少年法に則り保護観察処分で済んだ。
少年院に行くこともなく、家に帰れる。
でも、学校テロ関連の容疑は晴れない。
私は疑われている。
車の遠隔操作や教室の破壊方法がわからないから立件されていないだけ。
連続暴行事件も決定的な証拠がないから逮捕できないだけだ。
警察にとって私は完全に容疑者。
家に帰っても自由とはいえない。
☆
「五十年ぶりの記録的雨量か。不老川どうなってるか見てみたいなぁ」
自分の部屋。
朝八時。
家に帰って三日目。
不老川の様子が気になる。
どのくらい水位が上がっているのだろう。
「でも……、今は」
三日間、外出していない。
今は大人しくしていないといけない。
窓を開けて外を眺める。
湿った風。
立ちのぼる雨の匂い。
「あぁ……、いい空気だなぁ」
私は雨が好き。
雨の匂いも好き。
雨が降ると気分が高揚して、走りだしたくなる。河川敷に行って、傘を振りまわしながら妄想にふけたい。
だけど、今は我慢する。
これ以上、お母さんに恥をかかせるわけにはいかないから。
「ん……? あれは……」
雨の街を歩くカラフルな傘。
紺色のスクールバッグ。
白いシャツ。
「そっか、今日から、か」
七月一日。
王川中は今日から学校が再開になる。
昨日、先生から聞いた。
うちに来たんだ。
教頭先生と、三年二組の担任、大楠浩二先生が。
先生たちがうちに来たのは随分と久しぶりだった。
不登校になってから最初の内は何回か家に来たけれど、私が無愛想にしているとすぐに来なくなった。
なのに今さらうちに来たのは、私が警察沙汰を起こしたからだ。
来たところで何が出来る?
学校なんてもう長い間行っていないのに。
それでも私は中学生。
そんな身分、捨て去りたいのに。
ほんとに?
「どうしてるかなぁ、と思いまして」
教頭先生は渋い顔で言った。
「事件を起こしたから様子を見に来た」
とは言わないが、そんな本心がわかった。
お母さんは頭を下げた。
大楠先生は無言だった。私がにらみつけていたからかもしれない。この先生は、私のことを大切に思っていない。体育倉庫に閉じ込められた時、教室からいなくなった私を探そうともしなかった人だ。
今さら、こんな人と話したくない。
それから客間で四人で面談をした。
「中々……、大変みたいですね」
教頭先生がお母さんに言った。
お母さんは苦笑いした。
「学校が明日から再開になるんですよ。みんな恐いとは思いますが、そんな生徒たちを守って、楽しい学校生活を取り戻せたらと思います」
しらじらしいな。
それを私に言って何だって言うんだ。
「雨宮さんも……、ね。ゆっくりでいいから頑張りなさい。あんまりお母さんに迷惑をかけたらだめだよ」
「……はい」
そんなことは私が一番よくわかってる。
警察に捕まった時、真っ先に連絡が行ったのはお母さんだった。
警察署でお母さんと会った時、お母さんは泣いていた。
お母さんが泣いているのを見たのは、いつ以来だったか。
「何を伝えるかは自分で決めなさい」
警察署で柴田巡査に言われた。
正直言って、何を言えばいいか直前までわからなかった。
だけどお母さんに会った時、言葉は自然と出てきた。
「ごめんなさい」
第一声は謝罪だった。
考えた言葉じゃない。
気がついたら言ってた。
こんな事件を起こしてごめんなさい。
こんな娘に育ってごめんなさい。
人に見せられない娘でごめんなさい。
頭のおかしい娘でごめんなさい。
「何でこんなこと……、したの!」
お母さんは大声で言った。
声は震えていた。
私は同じ言葉をくりかえした。
お母さんは私を抱きしめた。
「ごめんなさいお母さん」
教頭先生と大楠先生が帰った後、また私は同じ言葉を言った。
お母さんは何も言わなかった。
☆
七月一日。
「雨、雨ふれふれ、らんらんらん」
鼻歌を歌いながら足を上下に揺らした。
雨の街を見ている。
学校の再開が急に決まったのは、きっと私が捕まったからだ。
一連の事件の犯人は私。
警察はそう思っている。
学校を再開し、私を泳がせることでまた事件を起こすと考えている。私をマークしていれば、その現場を押さえられる、ときっと思っている。
これは私を捕まえるための計画なのだ。
「まあ……、今は何も出来ないけど」
「ゆゆ! 行ってくるわよ!」
玄関の方からお母さんの声がする。
仕事に行くのだ。
「はーい」
返事をする。
警察署から戻ってきてからは、こんな風な会話をするようになった。
しなきゃいけない気がした。
雨の中、傘を差してお母さんが仕事へ向かう。
私は窓から見ているだけ。
どこにも行かない。
行く場所がない。
今さら、学校には行けない。行きたくもない。しかしヒーロー活動も出来ない。私には監視が付いている。下手に行動すると、今度こそ逮捕されてしまうかも知れない。私みたいな社会不適合者、別にどうなってもかまわないけれど、これ以上、お母さんに迷惑をかけたくない。
私にはどこにも行く場所がない。
百合ちゃんたちに会うのも得策じゃない。百合ちゃんたちも共犯だと思われてしまうし、能力のことがバレてしまうかも知れない。
そもそも百合ちゃんたちは会ってくれるだろうか。あの日の百合ちゃんは別人みたいだった。怒ってる? 私に。何で? いや、怒られて当然か。酷いこと言ったから。
LINE通知は最近来ない。
私から返事も送っていない。何を言えばいいのかわからない。
私は何も出来ない。
何をやっても上手く行かない。
学校に行っていた頃、少しでも普通になろうと思って笑顔を作る練習をしたり、携帯で自分の話した声を録音してどもりを改善しようとした。
だけど意味がなかった。
学校でみんなに笑いかけたら、
「キモイ」
って罵倒された。
練習した話し方で話したら、
「キモイ」
って気味悪がられた。
何をやっても虐めは終わらなかった。
「復讐してやる」
ってエンジェルトランペットを作った。
仲間が出来た。
だけど気が弱くて何も行動を起こせなかった。
でもどういうわけか超能力を獲得した。
何かが変わるって思った。今だったらみんなを守れるって思った。
桜ヶ丘中で茅ヶ崎ひかりたちを攻撃した。
百合ちゃんのため。
助けるためだった。
なのに百合ちゃんはそれを否定した。
復讐クラブなのに復讐しちゃだめなんてわけがわからないと思った。 私の行動は正しいって証明したくて、王川中の体育倉庫を燃やしたり、校舎を破壊したりした。
その度に自信が付いて、PTSDを乗りこえられた気がした。
一人で人が多いところに行ったり出来るようにもなった。
だからもっともっと復讐をすれば、もっともっとよくなるって思った。
王川中のみんなを締めあげた。
辛かった過去が清算されるような気がした。
虐められていた私が居なくなり、新しい自分に生まれ変わるような気がしたんだ。
だけどやっぱり百合ちゃんはそれを否定した。
わかって欲しかっただけなのに。
私がやっていることは正しいって認めて欲しいだけだった。
でも結局、何も上手く行かなかった。
私は逮捕されて、保護観察処分になった。
百合ちゃんとは疎遠になった。
認めてもらうなんて遙か彼方。
テロ事件の容疑者として目をつけられている。軽い気持ちで外に出ることも出来ない。余計にひきこもりになりそうだ。
事件の噂は学校のみんなにも伝わる。被害者は平沼綾花だし、目撃者も多数居る。それを通して地域住民にも私の悪い噂が広がる。そうしたら社会復帰も難しくなる。元から社会不適合者だったのに、泣きっ面に蜂だ。
よかれと思って行動したのに、気がついたら結果は散々たるもの。
以前より悪くなった。
私は何をやってもだめだ。
自信ももうない。
いや元からない。
ただの幻想。
ヒーローなんてただの妄想。
私は気の弱いただのひきこもりだ。
「生きていても……、しょうがない」
雨粒が落ちる風景を見ている。
窓からさしこむ風。
家には誰も居ない。
呟いた声に返事は帰ってこない。
「……死ぬ」
口が勝手に動いた。
何となく思っていたこと。
嘘じゃない。
本心でもない。
だけど言ってみたらそれも悪くないと思った。
どうせ生きていても何もいいことがない。
ひきこもりの私は誰からも必要とされていない。
友達もいない。私が死ぬことで悲しむ人は、多分、お母さんだけ。
だけど、これから私が生きていくことでたくさんの迷惑をかけるのなら、今、いっそのこと死んでしまったほうがいいのかもしれない。
どうせ私は変わらない。だめな私のまま。
あがいても、先に進まない。
もう生きるのに疲れた。
あがくのも疲れた。
死んでもいいや。
けど後悔がある。
やり残したこと。
後悔は残したくない。
みんなへの復讐は最後にちゃんとやり終えたい。
私のことをずっと虐めてきたみんなには、相応の報いを与えなかったら死んでも死にきれない。
あいつらは悪。
それだけはやっぱり絶対変わらない気持ち。
「雨……、やまないなぁ」
雨が降り続く。
側溝の水が路面に溢れる。
立ちのぼる匂い。
雨の風景。
「やまない……なぁ」

