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あの頃、自分はなんて愚かだったのだろう。

幸せな日々が永遠に続くと信じて。それを疑いもしないで。

“あの日”、自分はそのせいで全てを失ったのだ。
もう少し早く異変に気付けていたら。もう少し賢かったら、何かを変えられたはずなのだ。

16歳の少女―トウカは、その日も部屋で本を読んでいた。
その日は客人が来ると分かっていたため、体調を崩していたトウカは部屋でベッドにいるようにと母親に言いつけられていたのだ。
しかし、客人がいるにも関わらず、あまりにも家が静かなことに疑問を抱くべきだった。

悲鳴が聞こえて、トウカは本を膝の上に置いた。
読みかけの本に四葉のクローバーを挟んで、丁寧に枕の横に置いた。

「お母さん…?」

廊下には未熟な少女でも感じ取れるほど、異様な雰囲気が漂っていた。
自分の声にすら怯えながら、悲鳴が聞こえた方角の部屋に歩いていく。
昨日まで熱に浮かされていたせいで、足元がおぼつかない。

半開きになった部屋のドアを、恐る恐る開ける。

そして。

「え…?」

一気に膝が崩れ落ちるのが分かった。自分の顔から血の気が引く音さえも聞こえそうだった。

床の上に倒れる、両親。
紫色の泡を口から吐き、痙攣する身体。うつろな瞳。
母親の目がトウカをとらえた。

「逃げ、なさい」

かすれていたが、確かに母親の声でそう言っていた。

「嫌、嫌よ、私は、おか、何で、誰がっ!!」

「ダメ、ダメ、トウ…カ。逃げ、るの。じゃ、ないと…」

ひくっ、と母親の体が大きくはねた。
父親の体はほとんど動かない。

しかし次の瞬間、ぐああ、とこの世のものとは思えないような叫び声が聞こえた。

それが父親から発せられたのだと理解するのに数秒。
物静かな自分の父は、そんな声を出さない。

「あなた!!」

突如、こちらに向かってこようとした父親を、母親が近くに落ちていたか瓶の破片で力一杯切りつけた。
血が飛び散り、トウカは目を見開く。

「早く、早く、お願い、トウカ」
「嫌よ、一緒に」

行こう、と言う前に母親の手がトウカの首を掴んだ。
ぎりぎりと締め付けられる。息ができない苦しさに、トウカはゼイゼイとあえいだ。

「一緒は、無理よ」

かすれて、聞こえるか聞こえないかのように小さくなってしまった母親の声。
突然手が離され、空気が肺に入ってきた。

せき込みながら事態を把握できずに目の前を見ると、紫色に染まった母の瞳と目が合った・
返り血で汚れた顔で、ゆっくりと彼女は優しい笑顔を浮かべるが、すぐにクシャっと歪んでしまう。

はらはらと涙が落ちた。

「ごめん、ね―。」

そうトウカに残し、母は花瓶の破片で首を切った。

宙に舞う赤い花。
立ち尽くし、今はもう動かない、戻ることのない自分の両親の亡骸を、トウカは茫然と眺めていた。