「待ってください、自分で歩け…」
「ねえから、助けてもらってんだろ」
遮る桜井くんの声は、本当に真意が見えない。
助けを求めるように、咄嗟に由利くんへと目を向ければ困ったように笑われた。
「じゃあそろそろ帰ろうかな」
由利くんは引き止める間もなく、足早にアパートの廊下を歩いてゆく。
あの角を曲がれば、見えなくなる。
その前にもう一度、
「ゆ、由利くん!ありがとうっ!」
思ったよりも大きな声。
いちばん近くで聞こえたであろう桜井くんは、顔を歪めているし、由利くんだってびっくりしている。
────「ふはっ、」
そして、
この空間に響く由利くんの笑い声。
由利くんは笑顔のままわたしを見つめて、弧を描いた口を開いた。
「───じゃあね、咲和」
思えば、わたしの名前を呼んでくれたのは名前を教えてから初めてだった。
夜の闇に消えていく、優しい男の子。
小さな世界に増えた、もうひとりの男の子。