[27歳・・・5月]
 
 食堂を出て、「じゃあ、更衣室でね!」と言って手を振り、奈津と一旦別れた。奈津は病棟の方に向かう。まなみは病院の正面玄関をめざして足早に歩いた。廊下では、忙しそうに移動している看護師や、お見舞いにきている家族連れなどとすれ違う。そんな少し薄暗い廊下を抜けると、広々とした待合いロビーに出た。そこは相変わらず明るく、高窓から射し込む初夏の陽気な自然光が、病院特有の陰気さを打ち消していた。先ほどまでごった返していた待合ロビーも、今は一段落し、受付で尋ね事をしている年輩の女性や、雑誌を読んでいる若者など、数人の患者がチラホラ見えるだけになっていた。そんな風景を横目に、まなみは、正面の自動ドアを2つ通り抜け外に出た。外では、待ち構えていたように五月の日差しがまなみを容赦なく照りつけた。それを左の手のひらで遮りながら、まなみは車を停めた駐車場へと小走りで向かった。サンダルのヒールを少し気にしながら。
 大阪のアパレルメーカーに勤めるまなみは新商品の企画から販売戦略までを日夜手がけている。仕事柄、現場のスタイリストやメイクアップアーティストたちとも関わることが多くなってきたまなみは、自然にファッション全般に通じるようになっていた。今回、まなみは、奈津から、「久しぶりにデートする。」と聞き、「これはわたしが一肌脱がねば!」と大阪から車を飛ばして帰ってきたのだった。(大きな企画プロジェクトが終わり、たまたま小休止の時期で仕事が休みやすくてよかった!)なぜ新幹線ではなく、車で帰ってきたか・・・というと、とにかく、奈津の変身にはすべてが必要だったからだ。これは奈津との長年のつきあいからまなみが学んだことだった。よく言えば、奈津は清潔感があって健康的なナチュラルビューティーと言えないこともない。でも、それにしても、奈津は着飾ることを全くしなさすぎる。まなみの大好きなK-POP女子たちのメイクやおしゃれを少しは見習ってほしいものだ!まあ、そこまでハードルは上げないまでも・・・。せっかくのたま~のデートくらい、もうちょっと着飾ってもいいはずなのに!だから、今回の目的は、ただ変身させるだけではなく、奈津のデートへの意識改革も兼ねている!そのため、まなみは車に、ごっそり奈津の変身グッズをここぞとばかりに乗せて帰ってきた。メイク道具、ヘアメイク道具を始め、奈津に似合いそうなデート仕様の服を何着かと、それに合わせた靴までも!(まあ、どれもうちの会社が扱ってるブランドのなんだけどね。でも、文句なんか言わせないもんね!)
 まなみは自分の赤い車を見つけると、そのドアを開け、上半身を後部座席に突っ込み、ゴソゴソと奈津に必要なものを物色し始めた。でも、少しして、ふと、何かを思い出すと手を止め、そして、おもむろに車から出た。それから近くの木陰を見つけ、そこに移動した。木陰に入り、ひんやりとした空気を感じながら、少し涼むと、スマホを取り出した・・・。昨日から山口帰省も重なって、バタバタ動いていたため、BEST FRIENDSの情報をチェックし忘れていた。まなみは今でもBEST FRIENDSの大ファンだ。だから彼らの情報チェックは欠かせない毎日の日課になっている。(まあ、他の気になる若手グループももちろんチェックしてるんだけどね(笑))だけど、チェックできなかった1日の間に、まさかヒロが熱愛宣言してたなんて。不覚過ぎて言葉もでない・・・。ヒロの熱愛の噂は時々あがった。でも、それは、ガールズグループの女の子と歌番組で見つめ合っていた・・・とか、つけてるアクセサリーが一緒だった・・・とか、根拠の薄い情報から、ファンたちが勝手に深読みして、適当な憶測が飛び交っていただけだった。そして、それらのどれもが真実ではなかった。アイドルとしてのヒロはファン第一で、ファンをとても大切にしていた。それは、他のメンバーも同様だった。だから、デビューから今日までの12年、彼らから浮ついたスキャンダルが出ることは一切なかった。(あ、10年前のヒロの熱愛騒動以外は!だけど。)だから、この「熱愛宣言」は、ヒロだけではなく、BEST FRIENDSというグループ全体として決定して出された「宣言」であるに違いなかった・・・。
 まなみは日本語に翻訳された「ヒロの直筆メッセージ」を開く。
そこにはヒロの言葉で綴られたヒロの思いが書かれていた・・・。
それにゆっくり目を通す。読み進める度、まなみの鼻がツーンとしてくる。
知らず知らずにのうちに目に涙が溜まってきた。
「ヒロ・・・。」
そうつぶやくと、こらえきれず、涙がこぼれた。高校3年夏。後ろの席に居た「タムラコウキ」のことを思い出す・・・。
「あれから10年か・・・。」
ヒロの誠実なメッセージは・・・ヒロの心の区切りのように思えた・・・。

奈津・・・奈津はどうなの・・・?
まなみは上を向き、スマホを閉じた。
そして、ハンカチでアイメイクを気にしながら涙を拭いた。
奈津・・・。奈津は分かってたんだね・・・。きっと、もう、ヒロは後戻りしないって・・・。だから、奈津も・・・前に進んでるんだ・・・。

まなみは目を閉じると、大きく深呼吸をした。そして、
「見てて!こうなったら、絶対、絶対、奈津をめっちゃゴージャス美人にして、今日のデートを大成功にしちゃる!!」
まなみは誰に言うでもなく、1人で大きくつぶやいた。それから、力を込めた足取りで車に向かうと、「奈津、変身グッズ」の物色を再開した。


[17歳・・・8月11日 深夜]

「コウキも泣き虫。」
どちらが言い出したのか、月明かりが照らし始めた田んぼのあぜ道を2人はヨロヨロとよろめきながら歩いていた。自然と手は繋がれている。特に目的のないこの散策は、「離れたくない。」という2人の同じ思いから始まった。
「ほんとは、あんまり泣かないのになあ。」
心外!という顔で奈津を見る。奈津は「ふうん。」と軽く返すと、少しニヤッとして、コウキに訊いた。
「そうだ!コウキはこんな時間にどこに行くつもりだったの?何しに行ってたの?」
その質問をされて、「おっとっと。」とコウキは少しよろける。「分かってるくせに。」コウキはもう一度奈津を見た。そして、
「笑うから言いたくない。」
と言った。
「あ、ズルい!わたしはちゃんと言ったのに!夜中のサイクリングの理由!」
奈津の言葉にコウキは目を細めて笑った。
「うん、聞いた。ぼくに会いたかったんでしょ。そして、キ・・・」
続きを言おうとするコウキの背中を奈津はボスッと叩いた。
「痛ッ!ごめん、ごめん。言わない。」
わざとふくれっ面をしている奈津に、コウキはもっとクシャッとした顔をして笑った。
それから、コウキは自分のほっぺを人差し指でポリポリと掻くと、夜のサイクリングの理由を観念してポツリ、ポツリ話し始めた。
「ぼくは・・・、約束の明日の12日に遅れたくなくて。ほら、時間決めてなかったから・・・。だから、連絡あったらすぐ会えるようにと思って・・・。」
「うそ!」
奈津はびっくりして大きな声を出した。奈津の反応を見て、コウキの顔が耳まで真っ赤になる。なんて後先考えていないぼくの行動・・・。恥ずかし過ぎる。
「夜中の12時から、まさかの待機?それとも・・・呼び出すつもりだったとか?」
奈津はコウキの顔をマジマジと見た。
ううん。と首を振ってからコウキはバツが悪そうに言った。
「女の子を夜中に呼び出したりしない・・・。あくまでも、奈津から連絡があったら、ぼく、外にいるよって・・・。」
それを聞いて、奈津はプッと笑った。違う・・・正確には泣き笑いだった・・・。
「ほら、笑った。」
コウキはそう言って口を尖らせたが、奈津の泣き笑いに気づいた。そして、そんな奈津をもう一度優しく抱きしめた。
「会いたいって電話したら、コウキが外にいるなんて・・・そんなの夢みたい・・・。」
そう言って、コウキに抱きしめられるまま・・・奈津は素直に身を任せた・・・。
『ほんとに夢みたいだ・・・。』コウキも思う。会いたいって思っただけで、奈津の傍にいけるなんて・・・。
 それは夏の夜の夢・・・。束の間だけ見える夢・・・。


 クシュン。
今日、2度目のくしゃみ。奈津の体がまた小さく弾む。
「風邪引くね・・・。」
コウキは奈津の体から静かに離れると、手を握りなおした。
「明日のデートのために、一旦、家に送る。こんな夜遅いと、奈津のお父さんもきっと心配してる。」
そう言って、コウキは奈津の手を引いて歩き始めた。そして、そんな優しくて真面目なコウキに奈津は容赦なく事実を告げた。
「コウキ・・・多分、日付け回って、もう今日になってる・・・。父さん、きっと玄関で怒って待ってる。鬼の形相で!」
コウキの動きが一瞬止まる。そして、「うそ・・・。」と目を丸くして奈津を見た。
「ほんと!」
奈津はわざと、大げさなリアクションをする。
「うわ!奈津!やばい!急ごう!」
コウキは奈津の手を慌てて引っぱった。
2人はよろけながら走る。慌てすぎて2人は、濡れた草に滑って転ぶ。「痛っ!」転んで2人は顔を見合わせる。そして、2人は置かれている立場などすっかり忘れて、プッと笑う。それから、ふと思い出して、
「そうだ、笑ってる場合じゃない!奈津の父さん怖いんだから!」
「確かに!まあ、頑張って2人で謝るしかないよ!」
と言いながら笑いをこらえながら立ちあがる。そんな状態だから、進み始めると、またよろけて転ぶ。よろける度に2人は悲鳴をあげ、そして、笑う。夜のあぜ道に2人の笑い声が響く・・・。束の間。笑い声が書き消した・・・2人を待っているであろう未来予想図を・・・。


[27歳・・・5月]

 「じゃあ、母さん行って来る!車借りるよ!今日ちょっと遅くなる。」
「了解!でも、あんまり羽目外さないようにね。今回は試合でこっち帰ってきてるんだから、それを忘れないように!ま、彼女に久しぶりに会えるっていう、その嬉しい気持ちはわかるけどね~。」
母親は、キッチンから玄関に向かいながら、茶化しぎみに息子に声をかけた。
「試合、山口であるから、みんなより1日早くフライングで帰らせてもらった。なんかいっつもあいつほったらかしにしてるから、今日くらいはね。」
靴を履きながら息子が答える。母は、そんな息子を「ふうん。」と微笑みながら眺めた。息子はいつの間にか立派な青年になっていた・・・。
靴を履いたその青年が立ち上がる。背が高い。少しパーマのかかったブラウンの髪の毛が揺れる。
「あんな素敵な専属マネージャーがついてるんだから、あんたは幸せね・・・。しっかりエネルギーチャージしてきてね。母さんだって、いつもはレノファ女子なのに、あさっては、あんたの愛媛SC、応援するんだから!ちゃんとゴール決めてよ!」
「ハイハイ。」
青年は照れくさそうに笑うと、玄関のドアを開けた。
母親はその青年にもう一度声をかける。
「いい?今年は、J1昇格よ!頼んだからね、悠介!!」
青年は片手を挙げると、玄関を後にし、ゆっくり青い車に乗り込んだ。