「吉村!おまえは、昨日も休んだくせに、今日は今日で小沢にべったり張り付いて、ベチャベチャうるさい!練習の邪魔になるからちょっとは静かにしろ!」
日頃のマネージャーの働きに免じて、ずっとだんまりを決め込んでいた杉山先生だったが、とうとう堪忍袋の緒が切れて、まなみに一喝入れた。
「ほら、まなみ、怒られた!」
奈津が呆れたように言うと、まなみは、「はあ?」と、納得いかないいう顔をして、
「奈津がとぼけて何にも答えてくれないからでしょ!もう!!」
と口を尖らせた。
「ごめん。ごめん。とぼける・・・というか・・・。まなみの言うとおり、似てる・・・。でも、きっと、似てるだけだよ。・・・わたしがはっきり言えるのは、コウキがわたしの前からいなくなった・・・ただそれだけ。だから、ヒロとはなんの関係もなし!!」
奈津は、ベンチに脱ぎ捨てられた何枚かのビブスをたたみながら、伏し目がちに答えた。
「奈津はそれでいいの?こんな宙ぶらりんで。わたしなら追っかける!そして、ちゃんと訊く!今ならまだ日本にいるよ!!ヒロ!そりゃあ、簡単には会えないだろうけど。でも、トライもせず諦めるの?」
奈津の達観したような態度に思わずまなみは腹が立つ。だから、自然と責めるような口調になる。
「なんで、ヒロを追っかけなきゃいけないの?意味分かんない。わたしが好きだったのはコウキ!」
奈津もボルテージが上がる。
「なんで『好きだった』って過去形で言うの?もう、好きじゃないの?」
まなみは奈津が手にした最後のビブスを引ったくるように取り上げた。
「実体のない錯覚みたいな人をいつまでも好きでいてもしょうがないでしょ!!」
奈津はまなみに取られたビブスを、これまた引ったくるように取り返すと、荒々しくたたんだ。
「実体あるじゃん!なんで認めないの?絶対あれはコウキ!」
まなみは、奈津がたたんだビブスをクシャッと手で掴んだ。
「だから関係ない!」
奈津はビブスを取られまいと力を入れて、二人でビブスを取り合うような形になった。その時、
「吉村!小沢!お前たち、いい加減にしろ!!ふざけるなら、もう帰れ!!」
と杉山先生の大きな声が響いた。コートでプレイしてる選手もコートの外で休憩している選手も思わずベンチの二人の方を見る。二人はハッとして、
「すみません!」
と慌てて頭を下げた。ビブスはまなみが手にし、ムスッとした顔でそれをたたんだ。奈津はそんなまなみの横顔に向かって、
「ごめん。まなみ・・・」
と言った。そして、
「ありがと・・・。」
とつぶやいた。
「なんか思いのほか、傷が深くって・・・。ごめん。もうちょっと癒えたら、絶対まなみにいっぱい聞いてもらう。」
奈津は地面に視線を落とした。まなみはたたんだビブスを籠に入れると、ムスッとした顔はそのままに、
「・・・分かった。そん時聞く。」
と口も尖らせたまま答えた。すると、奈津はこのギスギスした空気を壊す、いいことを思い出して、パンッと手を叩いた。
「あ、そうだ!言うの忘れてた!悠介が、和田くんと壮眞と3人でちょうちん祭り行くんけど、野郎だけじゃむなしすぎるから、マネージャーも行こう!って。わたしも詩帆ちゃんも行くんだけど、まなみも行こ!」
そう明るく告げた。それを聞いて、まなみはほっぺを膨らませたまま横目で奈津を見た。『何にもはっきりさせないまま、なんでもう諦めてんのよ!』その言葉が喉まで出かかったが、グッと飲み込んだ。そして、その代わりに、
「・・・行く。」
とボソッと答えた。
「やった~!じゃあ、6人で行こ!楽しみ!」
そう言って、まなみの背中をポンッと叩くと、奈津はビブスの入った籠を振り上げ、部室に向かって走り始めた。まなみは奈津とコートでプレイしている悠介を交互に見た。まなみはこの二人がお似合いだとずっと思ってる・・・。今だって思ってる・・・。それなのに、なんで、奈津がコウキを諦めちゃいけないような気がしてしまうんだろう・・・。「ぼくは、ナツが好きです。」まなみの耳に、また、そっとささやくようなヒロの言葉が聞こえてきた・・・。
「わたしがこんなにマゾだったなんて・・・。」
詩帆はちょうちん祭りに行くために、母親に浴衣を着付けてもらいながらつぶやいた。もちろん、母親には聞こえないように。
「なにが悲しくて、あの二人と一緒に祭り?これはかなりハードだ・・・。あ~マゾ過ぎる!」
詩帆は大げさにうなだれる。
「え、何?」
母親が帯を締めながら訊く。
「あ、何でもない。何でもない。」
詩帆は顔を上げるとカラ元気を出す。
「それにしても、浴衣なんて急ね。他のマネージャーの先輩たちも?」
帯の形を作りながら母親が質問する。
「うん。先輩たちも浴衣。和田先輩が部活帰りに『ゆ・か・た!ゆ・か・た!』ってしつこく浴衣コールをしだしたから、まなみ先輩が『もう、しょうがないな~。』ってことで、3人とも浴衣を着ていくことになった。奈津先輩は『着たことないからやだ!』って最後まで言ってたんだけど、まなみ先輩に言いくるめられてた。」
詩帆は鏡で髪型を整えながら答えた。
「ふーん。それじゃあ、かわいくしなくっちゃね!悠介先輩も来るんでしょ!」
帯を作り終わると母親は詩帆の肩に両手を置いて、一緒に鏡をのぞき込んだ。
「うん!」
詩帆は鏡に映る母親に向かって笑った。でも、『悠介先輩はわたしなんか見ないけどね・・・。』そう続く言葉は、もちろん声にしなかった。
奈津とまなみは、まなみの家で、まなみの母親に浴衣を着付けてもらった。
「はい!できあがり!まあ綺麗!なっちゃんは髪短いから、商店街の呉服屋さんでこの辺につける可愛い髪飾り買ってくと、もっといいかもね!」
まなみの母は奈津の右耳の上辺りを指さしながら言った。そして、
「なっちゃんのは藍色で落ち着いた浴衣ね。まなみのは黄色でど派手だけど!」
と笑った。まなみは洗面所で髪にアイロンをかけてて二人の会話は聞こえない。
「あ、この浴衣、母のなんです。父との花火デートの時着たんだそうです。」
奈津は照れ笑いをしながら答える。
「まあ、素敵ねえ。おばちゃんにもそんな頃あったかしら~。今なんておじちゃんとけんかばっかりだけどね。」
とまなみの母はガハハと笑った。そして、
「なっちゃんのお母さんは素敵な人だったんでしょうねえ。」
としみじみ言った。
「素敵かどうかは分からないですけど、いっつも笑ってて、病気になった時も弱音なんか吐かないし、泣かないし、強いなあ・・・って。」
奈津は袖の浴衣のあじさいの柄を見ながら言った。
「じゃあ、なっちゃんは、お母さん似ね。まなみが話すなっちゃんの性格にそっくり!」
まなみの母はそう言うと、奈津の襟元を整えた。奈津ははにかんでお礼を言った。あじさいの柄が母を思い出させる・・・。『母さん、コウキは手の届かない人だった・・・。』奈津は母に報告する。鼻の奥がツンとする。それを顔を上に向けてしのぐと、『大丈夫!泣いて、みんなに心配かけたりしないから!』といつもそうするように、カラッと明るい心の声で、一方的に母と約束をした・・・。
高校のグランドにサッカー部の姿はなかった。高鳴る鼓動を押さえながら寄った奈津の家でも、チャイムを鳴らしたが誰も出てこなかった。一旦落ち着こうと、コウキは、そのままタクシーでばあちゃんの家に向かった。何より、誰より、早く会いたいのに・・・。どこにいる?
「ばあちゃん、ただいま!荷物玄関に置いとく!帰った途端ごめん!ちょっと出てくる!夜には帰る!」
久しぶりだというのに、コウキは、ばあちゃんの顔も見ず、声だけ奥の茶の間に向かって届けると、財布と携帯の入ったリュックだけ持って、自転車に飛び乗った。
奈津とまなみは待ち合わせの谷山公園に着いた。悠介、壮眞、和田くんと水色の生地に花火の柄の入った浴衣を着た詩帆が、もう先に着いて待っていた。なんか騒がしいと思ったら、その詩帆を囲むように、サッカー部の2年生の後輩たちが3人増えていた。
「こいつら、マネージャーたちが浴衣で来るっていうのを聞きつけて、いきなり合流!」
和田くんが迷惑そうに言った。
「ずるいっすよ!先輩たちだけ!オレたちも浴衣女子と一緒に祭り行きたいっす!」
「なあ!」
3人は嬉しげに張り切っている。
「ずうずうしい!オレらが1,2年の時は、こんなおいしいことなかったぞ!!」
和田くんは両手を挙げて後輩3人を襲うマネをした。3人は「ギャー!」と一瞬散らばった。それを和田くんが追いかけ回す。そんな騒ぎは無視して、
「揃ったから行こうか!」
と壮眞が音頭をとった。
「詩帆ちゃん行こう!」
壮眞の声を聞いて、定位置に戻ってきた和田くんが1年生の詩帆を気遣って声をかけた。そして、先頭を歩き出すと、詩帆もそれに続いた。アップにした髪が涼しげだ。
「わ!オレらも行きます!」
3人の2年生たちも慌てて歩き出す。
「もう、あいつら、詩帆ちゃん狙いね。まったく!」
まなみが呆れて笑った。
詩帆は自分の周りで飛び跳ねている2年生と話をしながら、そっと後ろを振り返った。藍色の浴衣で髪に黄色いひまわりの髪飾りをつけた奈津先輩は、やっぱり目を引いた・・・。奈津先輩が歩くその一歩後ろを悠介先輩が歩き始める。詩帆は目をそらすと2年生たちとの話に戻った・・・。
腕時計は5時を回っていた。もう、かれこれ2時間以上は待ったかもしれない。でも、会うならここが1番確実だった。太陽が作る陰の位置が変わり、陽射しが顔に当たり始めた。座る位置を変えようと立ちあがったその時、1台の車が駐車場に帰ってきた。
「コウキくん!」
大きな声で名前を呼んで、助手席から凛太郎が急いで降りてくる。コウキは「やあ!」と凛太郎に声をかけると、すぐに後部座席に目をやった。誰も乗ってない・・・。運転席から奈津の父親が降りてきた。コウキは父親に深く頭を下げると、
「こんにちは。」
と挨拶をした。それから、
「奈津さんに会いに来たんですが、どちらにいるかご存じですか?」
と丁寧に訊いた。すると、父親が口を開く前に、凛太郎が、
「ちょうちん祭りに行ってるよ。悠介くんたちと!」
と言った。コウキの体が一瞬ピクン・・と動く。ああ、そう言えば、高校からここにタクシーで来る途中、町中にちょうちんがぶら下がっていて綺麗だったっけ・・・。そこに・・・。
「分かった。行ってみる。」
コウキは凛太郎に言った。そして、奈津の父親にもう一度頭を下げると、
「奈津さんに会ってきます。失礼します。」
と言った。そんなコウキをジッと見ていた凛太郎は、
「やっぱり似てる!!かっこいい!!」
と声をあげた。キョトンとして、眼鏡越しに凛太郎を見つめるコウキに凛太郎は続ける。
「姉ちゃんは『全然、コウキと似てない!』って言うけど、やっぱり似てる!コウキくん、ヒロに似てるって言われない?知ってる?BEST FRIENDS。」
「BEST FRIENDS?聞いたことあるなあ。」
コウキの代わりに横で話を聞いていた父親が答える。凛太郎は父親の方を向き直すと、
「ほら、BEST FRIENDSって、おととい姉ちゃんが大阪に見に行ったK-POPのグループだよ!」
コウキは思わず凛太郎の両肩に力を込めて手を置いた。
「姉ちゃん、大阪来たの?」
凛太郎は手を置かれてびっくりしたが、何気なく答える。
「うん。関空。」
コウキは突然二人に背を向け走り出すと、停めておいた自転車に飛び乗った。
コウキが慌てて走り去る姿を見送りながら、父親がポツリと言う。
「あの子、今、『大阪来たの?』って言ってたな・・・。」
凛太郎はその意味を深くはとらず、
「うん!」
と嬉しげに答えた。
サッカー部たちは揃ってかき氷を食べることにした。かき氷屋さんの前を集団で陣取る。暑さの上に「ワーワー」話しながら歩いていると、喉も渇いてくる。それに、祭りと言えばなんてったってかき氷だ!かき氷を買った順に店からちょっと離れた所で食べ始める。まなみと壮眞がかき氷を受け取り、そちらへ行った。店の前には奈津と悠介だけになった。
「好きな味、好きなだけかけていいんだって!」
奈津はテンションが上がって手を叩く。悠介は奈津の笑顔を眩しく見る。いつも、ジャージか制服姿の奈津が、今日は浴衣を着ている。今日の奈津は一段と幼馴染みの奈津とは違って見える・・・。
「よし!浴衣が汚れたらいけんから、オレがかけちゃる!何がいい?」
「わ!優しい!!えっと、イチゴとメロンとマンゴー!あ、ハワイアンブルーも!!」
「おまえ、どんだけ混ぜるん!」
悠介は笑いながら、氷が入ったカップを受け取ると、氷蜜をかけ始めた。
「やったー!」
奈津は思わず飛び上がる。飛び上がった拍子に奈津のひまわりの髪飾りが落ちた・・・。奈津が拾おうと振り向くと、黒い短い髪をした人がしゃがんで髪飾りを拾ってくれる所だった。その人は大事そうにその髪飾りを拾うと土を払い、体を起こした。そして、左手で奈津の右手をとると、その髪飾りをそっとその手に乗せた・・・。その人が顔をあげ、奈津の顔を見る・・・。奈津の時が止まる・・・。
「つかまえた・・・。」
気がつくと奈津は、つないだ手に力強く引っぱられていた・・・。
日頃のマネージャーの働きに免じて、ずっとだんまりを決め込んでいた杉山先生だったが、とうとう堪忍袋の緒が切れて、まなみに一喝入れた。
「ほら、まなみ、怒られた!」
奈津が呆れたように言うと、まなみは、「はあ?」と、納得いかないいう顔をして、
「奈津がとぼけて何にも答えてくれないからでしょ!もう!!」
と口を尖らせた。
「ごめん。ごめん。とぼける・・・というか・・・。まなみの言うとおり、似てる・・・。でも、きっと、似てるだけだよ。・・・わたしがはっきり言えるのは、コウキがわたしの前からいなくなった・・・ただそれだけ。だから、ヒロとはなんの関係もなし!!」
奈津は、ベンチに脱ぎ捨てられた何枚かのビブスをたたみながら、伏し目がちに答えた。
「奈津はそれでいいの?こんな宙ぶらりんで。わたしなら追っかける!そして、ちゃんと訊く!今ならまだ日本にいるよ!!ヒロ!そりゃあ、簡単には会えないだろうけど。でも、トライもせず諦めるの?」
奈津の達観したような態度に思わずまなみは腹が立つ。だから、自然と責めるような口調になる。
「なんで、ヒロを追っかけなきゃいけないの?意味分かんない。わたしが好きだったのはコウキ!」
奈津もボルテージが上がる。
「なんで『好きだった』って過去形で言うの?もう、好きじゃないの?」
まなみは奈津が手にした最後のビブスを引ったくるように取り上げた。
「実体のない錯覚みたいな人をいつまでも好きでいてもしょうがないでしょ!!」
奈津はまなみに取られたビブスを、これまた引ったくるように取り返すと、荒々しくたたんだ。
「実体あるじゃん!なんで認めないの?絶対あれはコウキ!」
まなみは、奈津がたたんだビブスをクシャッと手で掴んだ。
「だから関係ない!」
奈津はビブスを取られまいと力を入れて、二人でビブスを取り合うような形になった。その時、
「吉村!小沢!お前たち、いい加減にしろ!!ふざけるなら、もう帰れ!!」
と杉山先生の大きな声が響いた。コートでプレイしてる選手もコートの外で休憩している選手も思わずベンチの二人の方を見る。二人はハッとして、
「すみません!」
と慌てて頭を下げた。ビブスはまなみが手にし、ムスッとした顔でそれをたたんだ。奈津はそんなまなみの横顔に向かって、
「ごめん。まなみ・・・」
と言った。そして、
「ありがと・・・。」
とつぶやいた。
「なんか思いのほか、傷が深くって・・・。ごめん。もうちょっと癒えたら、絶対まなみにいっぱい聞いてもらう。」
奈津は地面に視線を落とした。まなみはたたんだビブスを籠に入れると、ムスッとした顔はそのままに、
「・・・分かった。そん時聞く。」
と口も尖らせたまま答えた。すると、奈津はこのギスギスした空気を壊す、いいことを思い出して、パンッと手を叩いた。
「あ、そうだ!言うの忘れてた!悠介が、和田くんと壮眞と3人でちょうちん祭り行くんけど、野郎だけじゃむなしすぎるから、マネージャーも行こう!って。わたしも詩帆ちゃんも行くんだけど、まなみも行こ!」
そう明るく告げた。それを聞いて、まなみはほっぺを膨らませたまま横目で奈津を見た。『何にもはっきりさせないまま、なんでもう諦めてんのよ!』その言葉が喉まで出かかったが、グッと飲み込んだ。そして、その代わりに、
「・・・行く。」
とボソッと答えた。
「やった~!じゃあ、6人で行こ!楽しみ!」
そう言って、まなみの背中をポンッと叩くと、奈津はビブスの入った籠を振り上げ、部室に向かって走り始めた。まなみは奈津とコートでプレイしている悠介を交互に見た。まなみはこの二人がお似合いだとずっと思ってる・・・。今だって思ってる・・・。それなのに、なんで、奈津がコウキを諦めちゃいけないような気がしてしまうんだろう・・・。「ぼくは、ナツが好きです。」まなみの耳に、また、そっとささやくようなヒロの言葉が聞こえてきた・・・。
「わたしがこんなにマゾだったなんて・・・。」
詩帆はちょうちん祭りに行くために、母親に浴衣を着付けてもらいながらつぶやいた。もちろん、母親には聞こえないように。
「なにが悲しくて、あの二人と一緒に祭り?これはかなりハードだ・・・。あ~マゾ過ぎる!」
詩帆は大げさにうなだれる。
「え、何?」
母親が帯を締めながら訊く。
「あ、何でもない。何でもない。」
詩帆は顔を上げるとカラ元気を出す。
「それにしても、浴衣なんて急ね。他のマネージャーの先輩たちも?」
帯の形を作りながら母親が質問する。
「うん。先輩たちも浴衣。和田先輩が部活帰りに『ゆ・か・た!ゆ・か・た!』ってしつこく浴衣コールをしだしたから、まなみ先輩が『もう、しょうがないな~。』ってことで、3人とも浴衣を着ていくことになった。奈津先輩は『着たことないからやだ!』って最後まで言ってたんだけど、まなみ先輩に言いくるめられてた。」
詩帆は鏡で髪型を整えながら答えた。
「ふーん。それじゃあ、かわいくしなくっちゃね!悠介先輩も来るんでしょ!」
帯を作り終わると母親は詩帆の肩に両手を置いて、一緒に鏡をのぞき込んだ。
「うん!」
詩帆は鏡に映る母親に向かって笑った。でも、『悠介先輩はわたしなんか見ないけどね・・・。』そう続く言葉は、もちろん声にしなかった。
奈津とまなみは、まなみの家で、まなみの母親に浴衣を着付けてもらった。
「はい!できあがり!まあ綺麗!なっちゃんは髪短いから、商店街の呉服屋さんでこの辺につける可愛い髪飾り買ってくと、もっといいかもね!」
まなみの母は奈津の右耳の上辺りを指さしながら言った。そして、
「なっちゃんのは藍色で落ち着いた浴衣ね。まなみのは黄色でど派手だけど!」
と笑った。まなみは洗面所で髪にアイロンをかけてて二人の会話は聞こえない。
「あ、この浴衣、母のなんです。父との花火デートの時着たんだそうです。」
奈津は照れ笑いをしながら答える。
「まあ、素敵ねえ。おばちゃんにもそんな頃あったかしら~。今なんておじちゃんとけんかばっかりだけどね。」
とまなみの母はガハハと笑った。そして、
「なっちゃんのお母さんは素敵な人だったんでしょうねえ。」
としみじみ言った。
「素敵かどうかは分からないですけど、いっつも笑ってて、病気になった時も弱音なんか吐かないし、泣かないし、強いなあ・・・って。」
奈津は袖の浴衣のあじさいの柄を見ながら言った。
「じゃあ、なっちゃんは、お母さん似ね。まなみが話すなっちゃんの性格にそっくり!」
まなみの母はそう言うと、奈津の襟元を整えた。奈津ははにかんでお礼を言った。あじさいの柄が母を思い出させる・・・。『母さん、コウキは手の届かない人だった・・・。』奈津は母に報告する。鼻の奥がツンとする。それを顔を上に向けてしのぐと、『大丈夫!泣いて、みんなに心配かけたりしないから!』といつもそうするように、カラッと明るい心の声で、一方的に母と約束をした・・・。
高校のグランドにサッカー部の姿はなかった。高鳴る鼓動を押さえながら寄った奈津の家でも、チャイムを鳴らしたが誰も出てこなかった。一旦落ち着こうと、コウキは、そのままタクシーでばあちゃんの家に向かった。何より、誰より、早く会いたいのに・・・。どこにいる?
「ばあちゃん、ただいま!荷物玄関に置いとく!帰った途端ごめん!ちょっと出てくる!夜には帰る!」
久しぶりだというのに、コウキは、ばあちゃんの顔も見ず、声だけ奥の茶の間に向かって届けると、財布と携帯の入ったリュックだけ持って、自転車に飛び乗った。
奈津とまなみは待ち合わせの谷山公園に着いた。悠介、壮眞、和田くんと水色の生地に花火の柄の入った浴衣を着た詩帆が、もう先に着いて待っていた。なんか騒がしいと思ったら、その詩帆を囲むように、サッカー部の2年生の後輩たちが3人増えていた。
「こいつら、マネージャーたちが浴衣で来るっていうのを聞きつけて、いきなり合流!」
和田くんが迷惑そうに言った。
「ずるいっすよ!先輩たちだけ!オレたちも浴衣女子と一緒に祭り行きたいっす!」
「なあ!」
3人は嬉しげに張り切っている。
「ずうずうしい!オレらが1,2年の時は、こんなおいしいことなかったぞ!!」
和田くんは両手を挙げて後輩3人を襲うマネをした。3人は「ギャー!」と一瞬散らばった。それを和田くんが追いかけ回す。そんな騒ぎは無視して、
「揃ったから行こうか!」
と壮眞が音頭をとった。
「詩帆ちゃん行こう!」
壮眞の声を聞いて、定位置に戻ってきた和田くんが1年生の詩帆を気遣って声をかけた。そして、先頭を歩き出すと、詩帆もそれに続いた。アップにした髪が涼しげだ。
「わ!オレらも行きます!」
3人の2年生たちも慌てて歩き出す。
「もう、あいつら、詩帆ちゃん狙いね。まったく!」
まなみが呆れて笑った。
詩帆は自分の周りで飛び跳ねている2年生と話をしながら、そっと後ろを振り返った。藍色の浴衣で髪に黄色いひまわりの髪飾りをつけた奈津先輩は、やっぱり目を引いた・・・。奈津先輩が歩くその一歩後ろを悠介先輩が歩き始める。詩帆は目をそらすと2年生たちとの話に戻った・・・。
腕時計は5時を回っていた。もう、かれこれ2時間以上は待ったかもしれない。でも、会うならここが1番確実だった。太陽が作る陰の位置が変わり、陽射しが顔に当たり始めた。座る位置を変えようと立ちあがったその時、1台の車が駐車場に帰ってきた。
「コウキくん!」
大きな声で名前を呼んで、助手席から凛太郎が急いで降りてくる。コウキは「やあ!」と凛太郎に声をかけると、すぐに後部座席に目をやった。誰も乗ってない・・・。運転席から奈津の父親が降りてきた。コウキは父親に深く頭を下げると、
「こんにちは。」
と挨拶をした。それから、
「奈津さんに会いに来たんですが、どちらにいるかご存じですか?」
と丁寧に訊いた。すると、父親が口を開く前に、凛太郎が、
「ちょうちん祭りに行ってるよ。悠介くんたちと!」
と言った。コウキの体が一瞬ピクン・・と動く。ああ、そう言えば、高校からここにタクシーで来る途中、町中にちょうちんがぶら下がっていて綺麗だったっけ・・・。そこに・・・。
「分かった。行ってみる。」
コウキは凛太郎に言った。そして、奈津の父親にもう一度頭を下げると、
「奈津さんに会ってきます。失礼します。」
と言った。そんなコウキをジッと見ていた凛太郎は、
「やっぱり似てる!!かっこいい!!」
と声をあげた。キョトンとして、眼鏡越しに凛太郎を見つめるコウキに凛太郎は続ける。
「姉ちゃんは『全然、コウキと似てない!』って言うけど、やっぱり似てる!コウキくん、ヒロに似てるって言われない?知ってる?BEST FRIENDS。」
「BEST FRIENDS?聞いたことあるなあ。」
コウキの代わりに横で話を聞いていた父親が答える。凛太郎は父親の方を向き直すと、
「ほら、BEST FRIENDSって、おととい姉ちゃんが大阪に見に行ったK-POPのグループだよ!」
コウキは思わず凛太郎の両肩に力を込めて手を置いた。
「姉ちゃん、大阪来たの?」
凛太郎は手を置かれてびっくりしたが、何気なく答える。
「うん。関空。」
コウキは突然二人に背を向け走り出すと、停めておいた自転車に飛び乗った。
コウキが慌てて走り去る姿を見送りながら、父親がポツリと言う。
「あの子、今、『大阪来たの?』って言ってたな・・・。」
凛太郎はその意味を深くはとらず、
「うん!」
と嬉しげに答えた。
サッカー部たちは揃ってかき氷を食べることにした。かき氷屋さんの前を集団で陣取る。暑さの上に「ワーワー」話しながら歩いていると、喉も渇いてくる。それに、祭りと言えばなんてったってかき氷だ!かき氷を買った順に店からちょっと離れた所で食べ始める。まなみと壮眞がかき氷を受け取り、そちらへ行った。店の前には奈津と悠介だけになった。
「好きな味、好きなだけかけていいんだって!」
奈津はテンションが上がって手を叩く。悠介は奈津の笑顔を眩しく見る。いつも、ジャージか制服姿の奈津が、今日は浴衣を着ている。今日の奈津は一段と幼馴染みの奈津とは違って見える・・・。
「よし!浴衣が汚れたらいけんから、オレがかけちゃる!何がいい?」
「わ!優しい!!えっと、イチゴとメロンとマンゴー!あ、ハワイアンブルーも!!」
「おまえ、どんだけ混ぜるん!」
悠介は笑いながら、氷が入ったカップを受け取ると、氷蜜をかけ始めた。
「やったー!」
奈津は思わず飛び上がる。飛び上がった拍子に奈津のひまわりの髪飾りが落ちた・・・。奈津が拾おうと振り向くと、黒い短い髪をした人がしゃがんで髪飾りを拾ってくれる所だった。その人は大事そうにその髪飾りを拾うと土を払い、体を起こした。そして、左手で奈津の右手をとると、その髪飾りをそっとその手に乗せた・・・。その人が顔をあげ、奈津の顔を見る・・・。奈津の時が止まる・・・。
「つかまえた・・・。」
気がつくと奈津は、つないだ手に力強く引っぱられていた・・・。