「よ!凛太郎!スポ少の帰り?」
部活が休みだというのに、朝から特に用事もない悠介は、筋トレをしに午前中ジムに行ってきた。そのジムの帰り、暑さから避難するように、野々宮小学校近くのコンビニに立ち寄ると、そこで、友達2人とアイスを物色中の凛太郎を見つけたのだった。3人はいかにも、サッカーをしてました!という格好だった。
「悠介くん!そっ!練習がさっき終わったとこ。」
凛太郎は振り向き、声をかけてきたのが悠介だと分かると目を輝かせた。悠介は、年下からも親しまれる、白い歯をのぞかせた笑顔で、
「お疲れさん!サッカー、凛太郎は今どこやってんの?」
と話しかけた。
「オレは今、トップ下!そんで、こっちのカズがボランチで、直がキーパー!」
凛太郎は悠介に話しかけられたのが嬉しくてたまらない様子で、意気揚々と話す。聞かれてもいない友達のことまで。
「すげーな。凛太郎からのパスでオレもシュートしたいなあ。」
悠介はそう言ってまた笑うと、気さくに凛太郎たちと一緒になってアイスを選び始めた。凛太郎は悠介と話したくて話題を探す。そして、
「そうだ!姉ちゃんが、悠介くんのシュートの決定率が上がってるって喜んでた!!」
と、張り切って話しかける。それを聞いた悠介は、かき氷系のアイスとクリーム系のアイスをひとつずつ手にしながら、少し照れたように、
「ほんと?あのサッカーに厳しい姉ちゃんが?」
と言って首をかしげた。凛太郎はそんな悠介の顔を見ながら、
「うん!昨日のご飯の時、言ってたよ!」
と嬉しげに答えた。
「ふ~ん。」
心なしか、悠介の口元がほころんだように見える。さらに話を続けたい凛太郎は、話題をサッカー以外の二人の共通、「姉ちゃん」に移す。
「姉ちゃん今日さ、大阪行ってる!BEST FRIENDSって、オレの方が好きで、姉ちゃん好きじゃないのに!姉ちゃんだけずるいんだよな~!」
悠介は手にした二つのアイスを眺めて、どちらにするかまだ迷っている。
「ほんとな。まあ、まなみとワイワイ出かけたいだけだろ。」
不思議ではあったが、あまり深く考えていない悠介は簡単に返事をする。まあ、女子とはそんなとこがあるもんだ。それなのに、思いがけない反論を凛太郎が口にする。
「絶対違う!姉ちゃん、ヒロを見に行ったんと思う!ヒロ見てびっくりしてたもん。オレが言ったら、似てない!ってすぐ怒るけど、ほんとは姉ちゃんもヒロがコウキくんに似てるって思ってる・・・」
クリーム系のアイスが悠介の手から落ちた・・・。凛太郎が続けて何か言っているような気がするが・・・それ以上何も耳に入ってこなくなった・・・。何て言った?今日、見に行ってる奴があいつと似てる?ただ似てるだけで、あの奈津が、わざわざ大阪行くか・・・?その時、奈津が口にした「仮説」という言葉を思い出した。そうか・・・奈津は何か仮説を立ててるんだ・・・。
「BEST FRIENDSっけ?ヒロ?」
悠介はそれだけ言うと、レジの方を向いた。後ろから、凛太郎の声がする。
「うん!そう!」
悠介は、背中を向けたまま、アイスを持っていない方の手を挙げる。
「じゃ!」
コンビニに入った時の汗は、今はもう完全にひいていた・・・。
「うん!またね~!」
凛太郎は悠介と話せて満足げな様子で、再び友達とアイスを選び始めた。

 少女と目が合った瞬間、周りの世界の何もかもが止まった。
「奈津・・・?」
少年は、自分の置かれている状況も立場もすべてが真っ白になると、ただ少女をつかまえたい・・・という思いだけに突き動かされた。思わず少女の方に向かって体が動く。その時、少年の前を、彼の警護についている体格のいいスタッフがゆっくりと横切った。不意に彼の動作は遮断される。スタッフが通り過ぎ、視界が再び開けると、さっきまでのスローモーションのような時間の流れが、嘘のように現実のスピードに引き戻されていた。そして、その光景の中には、もう、あの少女の姿はなかった。少年はキョロキョロする・・・。耳もすます・・・。でも、手を振るたくさんのファンたちの中からその少女の姿を見つけることも、「コウキ」と呼ぶ声を聞き取ることも、少年にはもうできなかった。空港に充満する音と熱気の中、少年はただただ佇んだ・・・。そして、スタッフに促されるまま、少年はその場を立ち去るしかなかった・・・。

 行ってしまう・・・!彼が行ってしまう・・・!違う。行ってしまったっていい。シルバーの髪色の眼鏡をしていない彼・・・。あれはヒロだ。わたしが会いたい人じゃない・・・。それなのに何でわたしはこんなにも必死になってるんだろう・・・?前の二人の女の子たちの頭の間から、通り過ぎる彼の横顔が見える。左耳にチェーンのピアスが揺れている。
『こっちでは禁止だから。』『シーッ』人差し指を自分の唇に当てて笑ったコウキの顔が浮かぶ・・・。 
「コウキ!」
思わず大きな声で少女は叫んでいた。必死で前の二人を押しのける。シルバーの髪とピアスが揺れ、彼がこちらを振り向いた。彼と目が合う・・・。世界から音が消えて、何もかもが止まった。
「奈津・・・?」
彼の目が確かにそう語りかけた。その瞬間、奈津の中で彼が誰がなんて、もう関係なくなった・・・。思わず体ごと彼に向かう。
「ちょっと、何するのよ!」
その時、押しのけられた女の子が奈津を押し返してきた。奈津はよろけると、二人の女の子たちの体が再び奈津の視界をふさいだ。彼が見えなくなる・・・。頭の間のわずかなスペースを見つけ、そこからのぞくと、さっきまで止まっていた時間の流れが、現実のスピードに戻っていた。キョロキョロと何かを探しているかのような彼・・・。その佇んでいる彼の背中をスタッフが押す・・・。そして、促されるまま、彼の背中はどんどん遠ざかっていった・・・。あの背中は・・・あの背中は・・・奈津がいつも見つめていた、あの大好きな背中だった・・・。

 『BEST FRIENDS ヒロ』
家に帰ると、悠介はシャワーも浴びずに、スマホで検索した。ピンクやブルー金髪などの明るく派手な髪色の少年の画像が出てくる。年齢は自分と同じくらいだった。目にはカラコンが入っていて、アイメイクもしていている画像が多く、素顔が分かりにくい。・・・でも、悠介は直感で、会ったことがある・・・と感じた。検索の上位には彼のスキャンダルを取り上げている記事が多かった。「女優と路上キス」「キス以上の関係」「呆れた女癖」「事態収束のため、逃げるようにアメリカ留学」などの文字が踊っている。
「アメリカ留学・・・4月末から7月末までの約3ヶ月・・・?」
思わず、ソファに置いてあるクッションを掴むと、それを壁に向けて投げつけた。
「ふざけんなよ!!あのヘタレ野郎!!」
慌てて、キッチンから母親が駆けつける。サッカーの試合でも、プレイは熱いが、いつも冷静な悠介のこんな姿を母親も見たことがなかった。
「悠介~、なになに?高校3年で初の家庭内暴力?」
深刻にならないように母親がわざと冗談っぽく言った。そんな母親の言葉になどまったく反応せず、悠介は、投げつけたクッションを拾うと、もう一度、荒々しくソファに投げつけた。

 リハーサルが終わると、BEST FRIENDSのメンバーたちはホテルの部屋に戻った。ヒロはジュンと同室だった。二人ともフラフラになった体で順番にシャワーを浴びると、それぞれがベッドに横になった。二人共が寝入りそうなタイミングでドアがノックされた。もう立ちあがりたくない二人は寝転んで突っ伏したまんまじゃんけんをした。ジュンがグー、ヒロがパー。
「クッソ~!」
ジュンがブツクサ言いながらヨロヨロと立ちあがった。そして、目をこすりながらドアを開けると、そこにはラフなTシャツと短パンに着替えたドンヒョンが立っていた。
「お疲れのところ、悪い!入っていい?」
ドンヒョンはそう言うと、二人の部屋に入ってきた。ドンヒョンからはシャンプーのいいにおいがした。同じく、シャワーを浴びたばかりなのだろう。ドンヒョンは備え付けのホテルの椅子に座ると、うつぶせで寝ているヒロに向かって言った。
「ヒロさ・・・、空港に誰かいたの?」
ドンヒョンの突然の言葉にヒロはすぐには言葉が出なかった・・・。代わりに、ジュンが、
「あ、オレもそれ思った。お前、何か見つけて、ファンの方に向かおうとしてなかった?」
と言った。
「オレもヒロの後ろでその場面見た。」
ドンヒョンも静かに言った。ヒロは聞いているのかいないのか、相変わらず何も言わない。
「ソウルのファンミの後にも言ったと思うけど・・・、自分の行動には責任持てな。あの時、お前が止まってホッとしたけど、・・・もし、止まってなかったら何するつもりだった?あの大勢のファンの前で。」
ドンヒョンの言葉は静かだが重かった。ヒロはゆっくりと起き上がり、ベッドに腰掛けた。そして、ドンヒョンとジュンに頭を下げた。
「ごめん。日本の知り合いが見えた気がして。」
ドンヒョンはヒロの言葉に、「フー。」とため息をつくと、
「あのスキャンダルを乗り越えたお前なら分かると思うから、あえて、いろいろ言わないけど、いろんな目がオレたちを見てるんだ。誤解されるような行動も謹んでいこうな。」
とだけ言った。そして、ドンヒョンはヒロの腕をポンッと叩き、立ちあがると、
「じゃ、明日は久々の日本公演だ!ゆっくり休んでそなえよう!おやすみ!」
と言って、廊下に向かった。ドンヒョンが部屋を出て行って、ドアが閉まると、ジュンはヒロを見た。
「ステージとかファンの前での立ち居振る舞いとか、いっつも完璧なのに、あん時のお前、キョロキョロソワソワ挙動不審でめっちゃ素人くさかったぞ!」
といかにも可笑しそうに言った。でも、すぐにジュンは真顔に戻ると、
「いたの?好きな子。」
とヒロに訊いた。ヒロはそのまま後ろに倒れると天井を仰ぐようにベッドに寝そべった。そして、
「いた・・・と思ったんだけど・・・、錯覚だった・・・。」
と言うと、両腕で目を覆った・・・。
「ジュン・・・。ぼく、大丈夫だから・・・。もう一人の自分でちゃんと彼女に会ったら、ヒロとして韓国帰るから・・・。だから、明日のファンミ、頑張ろうな!!」
これは、ジュンに向けての言葉・・・ではなかった。ぼくがぼくに向けての戒めの言葉だ。今日のが錯覚でなかったら・・・。本当にあの場所に彼女がいたら・・・。仲間やファン、そして、大切な彼女のこれからのこと・・・それら全部が見えなくなっていたぼくは・・・きっと、きっと、彼女をつかまえに行っていた・・・。
「ぼくはBEST FRIENDSのヒロ・・・。」
ヒロは寝返りをうつと、ベッドを思い切り叩いた・・・。

 「奈津、今どの辺かな?岡山あたり?」
まなみは加賀先輩とマックでハンバーガーをほおばりながら話していた。
「なっちゃん、うちらに付き合わせてよかったかな~。なんか無理して笑ってたような気がする・・・。」
ポテトをつまみながら加賀先輩が心配そうに言った。
「そりゃあ、そうでしょ!そもそも、奈津は全然BEST FRIENDSのファンじゃないんですもん。でも、まあ、気晴らしにはなったんじゃないのかな?えっと・・・いや、あの、勉強しすぎだからあの子!」
まなみは、奈津とコウキの恋バナに話が及ばないよう、配慮しながら言った。両想いになった途端、彼氏が雲隠れ・・・なんて、奈津が可愛そうすぎで先輩にはとても言えない。
「ほんと?それなら良かった!たまには息抜きも大事よね!それにしても、話はつきんよね~。ヒロがかっこよすぎて!!間近で見るとあんなに綺麗なんだもん!!わたしなんかすっかり忘れてたけど、ヒロの本名で呼んでた子もいたね~。結構でっかい声で。」
ポテトをつまみながら、うっとりした様子で先輩は語る。
「そうなんです?わたしも『ヒロ』が定着してて、すっかり本名のこと忘れてた~。何でしたっけ?たしか、C・Yエンターテインメントの代表が漢字を読み間違えたのがそのまま芸名になったんでしたよね?」
まなみもそんな情報あったな~くらいで、本気で思いだそうともせず、コーラを一口飲んだ。
「もう!ヨンミン以外適当なんだから!本名は『こうき』!代表が『こう』を『ひろ』って読みまちがえちゃって、『ひろき』になって、それが『ヒロ』になったの!」
先輩の言葉に、まなみは思わずむせる。
「大丈夫?ゆっくり飲まないと!そうなんよ。空港で『こうき』って呼んでた子がいたんよ。く~やられた!!なんか、ヒロ、気になって、そっち側に行きそうになってたもん。わたしもその手でいくべきだった~!」
先輩が心底悔しそうにそう話している最中に、まなみは先輩のスマホを取り上げた。
「先輩、ヒロの画像見ていいです?」
まなみは勝手に画面を開く。
「どうしたの?急に。もう、ヒロかっこいいんだから、好きにならないでよ~!。」
まなみと張るくらいに脳天気な先輩がハンバーガーをほおばる。まなみは空港でのヒロの画像を一枚一枚じっくり見つめる・・・。
『これって。これって。これって!!なんで気づかなかった?じゃあ、じゃあ、もしかして』
「奈津!!」
まなみは思わずそう叫ぶと、椅子をひっくり返すくらいの勢いで立ちあがった。