二人がけの椅子が向かい合わせになっているところに3人は座った。窓際に凛太郎。その横に奈津。凛太郎の前の窓際にコウキ。奈津は、
「次の駅で降りて帰ろう。」
と下を向いている凛太郎に向かって話しかけた。でも、凛太郎は、
「やだ。」
の一点張りだった。初めは優しく声をかけていた奈津だったが、とうとうしまいには声を荒げていた。
「凛太郎!みんな心配してるのに、いい加減にしなさい!!」
凛太郎の体が一瞬ぴくんとなった。そして、ますます体を硬くして、もっと下を向いてしまった。奈津はふうっと長いため息をついた。すると、ずっと黙って、奈津と凛太郎のやりとりを見ていたコウキが静かに口を開いた。
「凛太郎君は汽車に乗って、どこに行くつもりだったの?」
コウキに問いかけられて、しばらく沈黙した後、凛太郎はボソッと答えた。
「・・・の」
「ん?」
もう一度コウキが訊いた。
「・・・津和野。」
凛太郎がか細い声でそう答えると、それを聞いた奈津は天井を見上げて、「やっぱり・・・。」という顔をした。
「そうじゃないのかな・・・と思った。・・・でも、今日は帰らなくちゃ。学校に帰って石田君に謝らなきゃ。先生たちにも。」
奈津は、少し悲しい顔をして、凛太郎の頭に手をのせた。コウキは、
「つわの?それどこ?ごめん。ぼく、まだ、この辺よく知らなくて。」
と二人を元気づけようとでもするように、少し明るい調子で言った。5月に転校してきたばかりのコウキは、まだこの辺りの地理に詳しくない。奈津は、
「野々宮駅からだいたい1時間くらいの所。山口じゃなくて、お隣の島根県なんだよ。」
と言った。
「え!山口県出るの!!」
コウキは眼鏡の奥の目を丸くした。そして、
「そうか、島根県のつわのっていう所に行きたいんだ・・・。」
と、下を向いたままの凛太郎をまじまじと見つめて言った。コウキは、なんで津和野に行きたいのか・・・そんな理由のようなことは、一切凛太郎にも奈津にも、聞こうとはしなかった。そして、しばらく考えごとをしていたが、おもむろにポケットから携帯を出すと、何かを調べ始めた。奈津はコウキが出したのがガラケーだったので、ちょっとびっくりした。進学高なので、スマホではなく、あえてガラケーを使っている生徒はチラホラいる。コウキもそうなんだ・・・と思った奈津は、思わず、
「コウキ、すごいね。スマホじゃなくてガラケーにしてるんだ。」
と言っていた。コウキは顔を上げて、奈津の顔を一瞬見ると、すぐ視線を携帯に戻し、
「そんなことない。僕は・・・全然すごくない。」
と静かに言った。そして、調べ終わったのか、今度はどこかに電話をかけ始めた。
「あ、もしもし、小沢凛太郎くんのいとこのタムラです。はい、凛太郎くん、見つかりました。・・・それで、今、本人もちょっと動揺しているので、学校に行くのが遅くなりそうなんですが・・・。あ、大丈夫ですか?ありがとうございます。それでは、また、電話を入れます。」
と言って、電話を切った。奈津が呆気にとられていると、
「教頭先生が安心してた。ゆっくり凛太郎くんと話して、落ち着いたら来てくださいって。8時くらいまでは学校にいるからって。」
そう言うと、コウキは下を向いている凛太郎の頭を人差し指でチョンチョンとつつき、
「だから、このままつわのに行こう!」
と言った。凛太郎はびっくりして、顔を上げた。奈津も慌てて、
「え、ダメだよ。みんなに迷惑かける。」
とコウキを制した。でも、コウキはそんなことはおかまいなしに、
「ハハハ、もう迷惑かけてるよ。ね。」
と凛太郎を見て笑った。コウキが笑うのを見て、凛太郎も少しバツが悪そうではあったが、つられてはにかんで笑った。
「奈津。3人で、このまま行ってみよう。」
凛太郎から奈津の方に顔を向けたコウキは、真面目な表情に変わっていた。奈津は、隣で顔を上げ、笑顔を見せている凛太郎を見ると、今日だけでいったい何度目かわからないため息を大きくつくと、凛太郎の頭をクシャクシャっとして、
「うん。・・・このまま津和野に行こっか。」
と言った。
3人は窓の外を眺めていた。汽車は中国山地の山あいをスルスルと走っていく。田園風景が飛ぶように流れていく。陽射しはまだまだまぶしい。凛太郎は、なぜ石田君にけがをさせたのか・・・まだ重い口を開かない。奈津の模試の結果ももちろんEのままだ・・・。奈津を取り巻く状況は、大きく変わったわけではなかった。でも、数時間前まで奈津がいた真っ暗な空間はいつのまにか消えていた。その代わりに、今、こうやって落ち着いてくると、すごく不思議な空間に自分がいることに気がついた。奈津は目を閉じ、大きく深呼吸をし、目を開けた。そこには、本当だったら、こんなところにいるはずのない人がいた。その人は、頬づえをつき、まぶしそうに窓の外を見ている。奈津は、もう一度目を閉じ、今度はもっとゆっくり目を開けてみた。やっぱりその人はいた。5月に出会った頃は真っ白だった肌が、今は少しだけ小麦色に灼けている・・・。そう、膝と膝が当たりそうなくらい近くにあのコウキがいた・・・。奈津は冷静にこの状況を把握しようするが、なかなかうまくできなかった。胸に手を当て、呼吸を整えると、その少し日に焼け横顔に奈津は声をかけた。
「あの・・・。今日はありがとう。一緒についてきてくれて・・・。」
コウキは頬づえをついたまま、こっちを向くと、
「奈津がすっごく怖い顔して、ものすごい勢いで教室を出て行ったから・・・。」
と言った。奈津は思わず、
「うそ!」
と両手で自分の顔を挟んだ。コウキはいつもの笑い声で、「ハハハ。」と笑うと、
「廊下で先生と奈津が話してるの聞こえて、奈津の弟になんかあったんだ・・・って思ったら、体が勝手に動いてた。」
と照れくさそうに目を細めて、もう一度笑った。
「でも、よかった。見つかって。」
コウキはそう言って、凛太郎を見た。奈津も安堵した顔で凛太郎を見た。凛太郎はそんなコウキと奈津を交互に見ると、また黙って下を向いた。そして、しばらくすると、ポタポタポタと凛太郎の足に何かが落ちてきた。それは大粒の涙だった。
「ごめん。」
と声にならない声で凛太郎がつぶやいた。そして、消えそうなか細い声で続けた。
「イッシーが、いいなあって・・・。」
汽車の走る音で凛太郎の声がかき消されるので、二人は凛太郎に顔を近づけた。
「イッシーが、お前は母さんがいなくていいなあって・・・。だから、オレ・・・」
今度は二人にも聞きとれた・・・。そして、それだけ言うと、凛太郎はしゃくり上げて泣き始めた。
「そうだったんだ・・・。」
奈津は泣いてる凛太郎の肩を抱いた。コウキも凛太郎の涙で濡れた膝に手を置いた。コウキの手に凛太郎が震えているのが伝わってきた。二人は何も言わず、ただ、凛太郎が泣くのにまかせた。凛太郎が泣いている間、奈津は凛太郎の膝に置かれたコウキの手をぼんやり眺めていた。汽車は三人を乗せてガタゴトと規則的な音をたてながら山あいを走ってく。しばらく走ると、カーブが大きかったのか、ガタンと汽車が強く揺れた。その時、そっと置かれていたコウキの手が、突然握り拳に変わった。そして、次の瞬間、その拳は凛太郎の膝を離れ、コウキの太ももに叩くように置かれた。奈津がコウキの顔を見ると、目も口も固く閉じられ、体にも力が入っているようだった。何かをはねのけるように。何かから身を守るように。そう・・・ちょうど奈津に怒られ、下を向いて硬くなっていた凛太郎のように・・・。奈津は思わず、
「コウキ、どうかした・・・?」
と声をかけていた。でも、声があまりにも小さかったのと、ちょうどその時、車内放送が流れたことで、その小さな声はかき消されてしまった。
「次は津和野。津和野。まもなく津和野に到着です。」
それが聞こえると、呪縛から解かれたように、コウキの体から力が抜けていくのがわかった。そして表情も緩み、いつものコウキに戻っていった。
「あ、つわのだって。」
その声はいつものソフトなコウキの声だった。だいぶ落ち着きを取り戻していた凛太郎は、奈津から渡されたハンカチで涙で濡れた所をおおざっぱに拭くと、顔を上げた。それを合図にコウキは立ちあがると、
「行こう。」
と言って、奈津の鞄を手にとり、肩にかけるとドアに向かって歩き始めた。奈津と凛太郎もその後ろ姿についてドアに向かった。奈津は、奈津の鞄で半分隠れているコウキの背中を見た。そう言えば、前にもあったような気がした・・・。今のように、コウキの背中が泣いているように感じたこと・・・。
「次の駅で降りて帰ろう。」
と下を向いている凛太郎に向かって話しかけた。でも、凛太郎は、
「やだ。」
の一点張りだった。初めは優しく声をかけていた奈津だったが、とうとうしまいには声を荒げていた。
「凛太郎!みんな心配してるのに、いい加減にしなさい!!」
凛太郎の体が一瞬ぴくんとなった。そして、ますます体を硬くして、もっと下を向いてしまった。奈津はふうっと長いため息をついた。すると、ずっと黙って、奈津と凛太郎のやりとりを見ていたコウキが静かに口を開いた。
「凛太郎君は汽車に乗って、どこに行くつもりだったの?」
コウキに問いかけられて、しばらく沈黙した後、凛太郎はボソッと答えた。
「・・・の」
「ん?」
もう一度コウキが訊いた。
「・・・津和野。」
凛太郎がか細い声でそう答えると、それを聞いた奈津は天井を見上げて、「やっぱり・・・。」という顔をした。
「そうじゃないのかな・・・と思った。・・・でも、今日は帰らなくちゃ。学校に帰って石田君に謝らなきゃ。先生たちにも。」
奈津は、少し悲しい顔をして、凛太郎の頭に手をのせた。コウキは、
「つわの?それどこ?ごめん。ぼく、まだ、この辺よく知らなくて。」
と二人を元気づけようとでもするように、少し明るい調子で言った。5月に転校してきたばかりのコウキは、まだこの辺りの地理に詳しくない。奈津は、
「野々宮駅からだいたい1時間くらいの所。山口じゃなくて、お隣の島根県なんだよ。」
と言った。
「え!山口県出るの!!」
コウキは眼鏡の奥の目を丸くした。そして、
「そうか、島根県のつわのっていう所に行きたいんだ・・・。」
と、下を向いたままの凛太郎をまじまじと見つめて言った。コウキは、なんで津和野に行きたいのか・・・そんな理由のようなことは、一切凛太郎にも奈津にも、聞こうとはしなかった。そして、しばらく考えごとをしていたが、おもむろにポケットから携帯を出すと、何かを調べ始めた。奈津はコウキが出したのがガラケーだったので、ちょっとびっくりした。進学高なので、スマホではなく、あえてガラケーを使っている生徒はチラホラいる。コウキもそうなんだ・・・と思った奈津は、思わず、
「コウキ、すごいね。スマホじゃなくてガラケーにしてるんだ。」
と言っていた。コウキは顔を上げて、奈津の顔を一瞬見ると、すぐ視線を携帯に戻し、
「そんなことない。僕は・・・全然すごくない。」
と静かに言った。そして、調べ終わったのか、今度はどこかに電話をかけ始めた。
「あ、もしもし、小沢凛太郎くんのいとこのタムラです。はい、凛太郎くん、見つかりました。・・・それで、今、本人もちょっと動揺しているので、学校に行くのが遅くなりそうなんですが・・・。あ、大丈夫ですか?ありがとうございます。それでは、また、電話を入れます。」
と言って、電話を切った。奈津が呆気にとられていると、
「教頭先生が安心してた。ゆっくり凛太郎くんと話して、落ち着いたら来てくださいって。8時くらいまでは学校にいるからって。」
そう言うと、コウキは下を向いている凛太郎の頭を人差し指でチョンチョンとつつき、
「だから、このままつわのに行こう!」
と言った。凛太郎はびっくりして、顔を上げた。奈津も慌てて、
「え、ダメだよ。みんなに迷惑かける。」
とコウキを制した。でも、コウキはそんなことはおかまいなしに、
「ハハハ、もう迷惑かけてるよ。ね。」
と凛太郎を見て笑った。コウキが笑うのを見て、凛太郎も少しバツが悪そうではあったが、つられてはにかんで笑った。
「奈津。3人で、このまま行ってみよう。」
凛太郎から奈津の方に顔を向けたコウキは、真面目な表情に変わっていた。奈津は、隣で顔を上げ、笑顔を見せている凛太郎を見ると、今日だけでいったい何度目かわからないため息を大きくつくと、凛太郎の頭をクシャクシャっとして、
「うん。・・・このまま津和野に行こっか。」
と言った。
3人は窓の外を眺めていた。汽車は中国山地の山あいをスルスルと走っていく。田園風景が飛ぶように流れていく。陽射しはまだまだまぶしい。凛太郎は、なぜ石田君にけがをさせたのか・・・まだ重い口を開かない。奈津の模試の結果ももちろんEのままだ・・・。奈津を取り巻く状況は、大きく変わったわけではなかった。でも、数時間前まで奈津がいた真っ暗な空間はいつのまにか消えていた。その代わりに、今、こうやって落ち着いてくると、すごく不思議な空間に自分がいることに気がついた。奈津は目を閉じ、大きく深呼吸をし、目を開けた。そこには、本当だったら、こんなところにいるはずのない人がいた。その人は、頬づえをつき、まぶしそうに窓の外を見ている。奈津は、もう一度目を閉じ、今度はもっとゆっくり目を開けてみた。やっぱりその人はいた。5月に出会った頃は真っ白だった肌が、今は少しだけ小麦色に灼けている・・・。そう、膝と膝が当たりそうなくらい近くにあのコウキがいた・・・。奈津は冷静にこの状況を把握しようするが、なかなかうまくできなかった。胸に手を当て、呼吸を整えると、その少し日に焼け横顔に奈津は声をかけた。
「あの・・・。今日はありがとう。一緒についてきてくれて・・・。」
コウキは頬づえをついたまま、こっちを向くと、
「奈津がすっごく怖い顔して、ものすごい勢いで教室を出て行ったから・・・。」
と言った。奈津は思わず、
「うそ!」
と両手で自分の顔を挟んだ。コウキはいつもの笑い声で、「ハハハ。」と笑うと、
「廊下で先生と奈津が話してるの聞こえて、奈津の弟になんかあったんだ・・・って思ったら、体が勝手に動いてた。」
と照れくさそうに目を細めて、もう一度笑った。
「でも、よかった。見つかって。」
コウキはそう言って、凛太郎を見た。奈津も安堵した顔で凛太郎を見た。凛太郎はそんなコウキと奈津を交互に見ると、また黙って下を向いた。そして、しばらくすると、ポタポタポタと凛太郎の足に何かが落ちてきた。それは大粒の涙だった。
「ごめん。」
と声にならない声で凛太郎がつぶやいた。そして、消えそうなか細い声で続けた。
「イッシーが、いいなあって・・・。」
汽車の走る音で凛太郎の声がかき消されるので、二人は凛太郎に顔を近づけた。
「イッシーが、お前は母さんがいなくていいなあって・・・。だから、オレ・・・」
今度は二人にも聞きとれた・・・。そして、それだけ言うと、凛太郎はしゃくり上げて泣き始めた。
「そうだったんだ・・・。」
奈津は泣いてる凛太郎の肩を抱いた。コウキも凛太郎の涙で濡れた膝に手を置いた。コウキの手に凛太郎が震えているのが伝わってきた。二人は何も言わず、ただ、凛太郎が泣くのにまかせた。凛太郎が泣いている間、奈津は凛太郎の膝に置かれたコウキの手をぼんやり眺めていた。汽車は三人を乗せてガタゴトと規則的な音をたてながら山あいを走ってく。しばらく走ると、カーブが大きかったのか、ガタンと汽車が強く揺れた。その時、そっと置かれていたコウキの手が、突然握り拳に変わった。そして、次の瞬間、その拳は凛太郎の膝を離れ、コウキの太ももに叩くように置かれた。奈津がコウキの顔を見ると、目も口も固く閉じられ、体にも力が入っているようだった。何かをはねのけるように。何かから身を守るように。そう・・・ちょうど奈津に怒られ、下を向いて硬くなっていた凛太郎のように・・・。奈津は思わず、
「コウキ、どうかした・・・?」
と声をかけていた。でも、声があまりにも小さかったのと、ちょうどその時、車内放送が流れたことで、その小さな声はかき消されてしまった。
「次は津和野。津和野。まもなく津和野に到着です。」
それが聞こえると、呪縛から解かれたように、コウキの体から力が抜けていくのがわかった。そして表情も緩み、いつものコウキに戻っていった。
「あ、つわのだって。」
その声はいつものソフトなコウキの声だった。だいぶ落ち着きを取り戻していた凛太郎は、奈津から渡されたハンカチで涙で濡れた所をおおざっぱに拭くと、顔を上げた。それを合図にコウキは立ちあがると、
「行こう。」
と言って、奈津の鞄を手にとり、肩にかけるとドアに向かって歩き始めた。奈津と凛太郎もその後ろ姿についてドアに向かった。奈津は、奈津の鞄で半分隠れているコウキの背中を見た。そう言えば、前にもあったような気がした・・・。今のように、コウキの背中が泣いているように感じたこと・・・。