先生がいてくれるなら①【完】


「──おい、なんで立花が、光貴と一緒にいるんだ?」



自分でも驚くほど低い声が口から出る。


光貴が呼び出した理由は、コレか──。


立花が俺を見て驚いていると言う事は、光貴が勝手に呼び出したのだと分かった。


光貴は涼しい顔で笑い「思ったよりも遅い」とかダメ出しまでして来て、俺は本気でムカついた。




──どうなってるんだよ、コレ。




光貴に立花の話をした覚えは無い。


と言う事は、俺がこの前学校で話した事を覚えていて、立花から光貴に声を掛けた事になる。



立花が余計な所で不要な記憶力を発揮した──って事か。


数学の公式は覚えないくせに。



立花は──いや、光貴は、どこまで俺の事を立花に話した……?


あぁ、なんだかムカムカする。



光貴が握手を求めて手を差し出すと、立花も律儀にそれを握り返した──まではいいが、何か引っかかる事があったらしく、光貴の手を握ったまま止まっている。



「いつまで握ってる気だ。帰るぞ、立花」



相変わらず危機感のない立花に、俺は心底イラついた。


男が求める握手なんざ、手を握りたいだけに決まってるだろ。


──ホントにバカなのか?



俺があからさまに不機嫌な顔をすると、光貴はそれを見て満足そうに笑った。


光貴の思うつぼ、って事か。くそ。


我が弟ながら、ホント食えないヤツだ。



イライラを通り越して最早呆れ返った俺は、車の中でたっぷり立花に説教をすることにした。



すると、次第に反応が無くなる。


それは俺に怒られたから、と言う事だけでは無いようだった。



入院しているお兄さんの具合がかなり悪いらしい。


立花の声は少し震えているように聞こえた。


泣くのを必死に我慢しているのだろう──。



さて、どうしたもんか……。



俺で良ければ話を聞くからと言いかけたが、さすがにそれは余計なお世話だと思い直して「泣きたい時は泣くように」と諭した。



一人で全てを抱え込んでも、何も解決しない。


俺じゃなくていいから、誰かを頼れ。




小さく頷く立花に、言い表すことの出来ない感情が俺の心の中を駆け巡る。


いつかのようにシートベルトを外そうとしているのを制すために掴んでいた立花のか細い手を、俺はゆっくりと離した。



手を離すのが名残惜しい気持ちになるのは、きっと立花が兄を思って悲しそうにしているせいだ、と自分に言い聞かせた──。







暴君へのささやかな復讐




翌日の朝。

私は朝の部室掃除を終えて教室に向かうために部室を出たところだった。



「おはよう」



部室の隣の数学準備室の扉にもたれかかるようにして腕を組んだ先生が立っていた。



「──おはようございます」


私は小さく頭を下げて、先生の前を通り過ぎようとした。



「ちょっと待って。話があるから入って」



先生は私の返事を聞くこと無く、準備室に入っていく。



この人は相変わらず……私が断らないと思ってるのかな。


先生に気づかれないように小さくため息をつき、私は準備室に入って扉を閉めた。



「……話って、何ですか?」

「まあ、座って」


促されて、私はしぶしぶ椅子に腰を下ろした。



「今日は部活だから、病院は行かないよな?」

「……はい、部活の日は遅くなるので。あと……毎日行くのも兄に負担になるので、今日は行きません」


「じゃあ、明日は行くのか」

「……そうですね」


「病院からの帰りは、いつもあの時間?」

「……だいたいは」


素っ気ない私の言葉を聞いて、先生は大きなため息をついた。



だから。なんでそれで先生が怒るわけ?



9時やそこらじゃ、制服でウロウロしてる女子高生なんていくらでもいる。


塾帰りの子もいれば、遊んでる子だっているんだから。



私が病院から帰るのが遅いからって、先生にこんな個別に説教されるような筋合いは無い。



そう考えていて。




──理不尽だと思う。




先生が、じゃなくて。

自分が。



本当は、自分でも理不尽なイライラを募らせているって分かっている。


誰かを頼って相談したり泣いたりって言うことが出来ない自分を見透かされた気がして。


先生に間違った形でしか感情をぶつけられない自分が、あまりにも子供じみていて。


心配してくれている先生に対してこんな風に不機嫌になって。



だけど、謝る言葉はどうしても口に出す事が出来なかった。



先生の手が、私の手にそっと触れる。


「そんなに握りしめたら、痛くなるだろ」


先生にそう言われて、膝に乗せていた両手をギュッと強く握りしめていた事に、初めて気がついた。


両手をそっと開くと、真っ赤になって爪の跡がついてしまっている。


先生は「ほらみろ」と言って呆れた表情。


私は自分の膝の上で真っ赤になった両手を広げ、その両手をじっと見つめた。




「──9時」




「……え?」


不意にそう声を掛けられ、私は顔を上げた。




「明日」



──明日って、何の話?



「どうせ俺も光貴に使いっ走りさせられるから、ついでに乗せて帰ってやる」

「……えっ?」

「……お前、頭ちゃんと動いてるか? 明日の病院の話だよ」

「あ、あの……」



そうは言っても、話の内容が突然すぎて頭がついて行かない。


呆けている私を見て先生は大きなため息をついた。



「携帯出して」

「えっ」

「連絡先の交換。何かあった時に連絡先が分からないと困るだろ」

「あっ、は、はい」


い、良いのかな、先生と個人的に連絡先の交換とかして……。


有無を言わせる事無く携帯番号とメッセージアプリのIDを登録する先生。



「登録名、俺の名前にするなよ。バレたらお互いただじゃ済まないから」

「……は、い」



やっぱり個人的にこう言うことするのは良くないんだ。


分かってやってるあたり、先生ってほんと悪い。



登録する名前を何にしようかとしばらく考えて──



【ネロ】



ささやかな私の復讐──。


先生は暴君だから『暴君ネロ』から名前を取ることにした。


思わず吹き出しそうになるのを必死に堪えていると、先生が私の方を見て睨んでいる。


「お前、いま何か悪だくみしてるだろ」

「えっ、しっ、してませんっ」


私は慌ててかぶりを振った。



先生がエスパー並みに勘が良い事を忘れてた……。


「ふーん、まぁいいけど。絶対バレないようにしろよ。予鈴が鳴るから、出るぞ」

「あ、はいっ」


私は急いで立ち上がり、先生と準備室を後にした。



この日から、火・木曜日の病院のお迎えが始まった──。




* * * * *

病院からの帰り、私は車に乗り込むなり「先生、彼女いるんですか?」と聞いた。


「あ? んな事お前に関係ないんだけど」


予想はしていたけど、これまで以上に冷たい態度で返されてしまった。


「あの、好奇心からじゃ無くて。もしお付き合いしている方がいるんなら、私が助手席に座ってたら彼女さんが気を悪くしないかなって思って……」


「へぇ、そんな所に気が回るんだ?」

「先生、私を何だと思ってるんですか?」

「……お子ちゃま」

「もうっ!」


私が大げさに不機嫌な表情をすると、先生はケラケラ意地悪そうに笑う。


私はふて腐れながらも「で、彼女はいるんですか?」ともう一度尋ねた。