地面に半分埋まり、私に首を絞められた体勢で暦は私を見上げていた。

虚ろな目からは闘志は消え、もう彼女からはオーラも感じられない。このまま首を握り潰せば呆気なく死ぬだろう。

吹き荒れる風の中、二人の白髪の少女はしばらく見つめ合い……

「……私の負けよ」



暦が掠れた声で呟いた。

「私はアンタに一矢は報いたけど、結局現実世界でも継承世界でも勝つことは出来なかった」

「当たり前よ。不意打ちさえなければこよみんが私に勝る点なんてない」



私は憎悪と狂気の混じった眼で目の前の無力な少女に告げる。

「楽には死なせないわよ。残された後少しの時間でたっぷりいたぶってあげる。まずは手足をもいで動けなくして、それから――」

「そんなことはもうどうでもいいでしょ? さっさと殺して」



暦が私の手を握り、自らの喉を絞め付ける。

私はそこで初めて微かな疑念を抱いた。

「そんなに私にいたぶられるのが怖いの?」

「違う。だけどこの世界はもう限界よ。世界の崩壊は、同時にアンタの死を意味する。私を殺す前に、アンタが死んでしまったら意味がないでしょ?」



確かに辺りの物体ほとんど空へ吸い込まれてしまっていて、私たちがいるのは風の吹き荒れる荒涼とした大地だ。

空のどす黒い赤も更に濃度を増し、やがて真紅の雨が辺りに降り注ぎ始めた。きっと現実の私の状態とリンクしているのだろう。

だけど、私の疑念はどうしても晴れることはなかった。暦はどうしてこんなに焦っているの? まるで自ら死を望んでいるかのような……

私はハッとしてさっきの戦いを思い出す。暦は私の嗜虐心を煽る様にわざと逃げ回りながら戦っていた。あれが全て彼女の計算の内だとしたら……?



「……こよみん。私に何かウソをついてるでしょ?」
「ウソ? そんなものついてないわよ……!」



暦は即座に答えたが、私は彼女が瞼を震わせたのを見逃さなかった。いつも暦がウソをつく時の癖だ。

「な、何するの⁉ 返して!」

「真実を確かめるの」



私は無理やり暦の内ポケットから手紙を取り出すと、それを広げて中を見た。

内容は確かにさっき彼女が語ったものとほぼ一緒だったけど、手紙では更に試練の内容の詳細が記載されていた。

そして『カミゴロシノシレン』の達成条件は――

「『神を殺すこと』ではなく『神に殺されること』」



その一文を読み上げて、私は思わず手紙を握りつぶした。

そうか……そうだったんだ。

「こよみんの目的は、最初から私を倒すことじゃなくて私に殺されることだった。だから憎しみを煽る為に記憶を取り戻させ、私に殺されやすいように立ち回った。そうことだよね?」

「だったら何なのよ! アンタは私を殺してやりたいくらい憎んでいるんでしょ⁉ なら一思いにやればいいじゃない!」



彼女が開き直って訴えれば訴える程、私の心は冷静さを取り戻していく。

今までの私は、過去の虐げられる自分を何度も見せられたせいで憎しみに支配されていた。

でもそれが全て暦の策略と分かった今、寧ろ私は彼女を可哀そうに思うようになってしまった。

目の前で倒れている少女は――鏡に映った自分だと気づいたのだから。

「どうしてそこまでして『イジメのカミサマ』になりたいの? そんなことをしなくても、私が死んだ後現実世界で憎しみを誰かにぶつければいいじゃない」

「それは……!」

「本当は気づいているんでしょ? 暦は私に憎しみを植え付けられたけど、本当は誰かを傷つけたりなんかしたくない。その葛藤がこの世界を生み出して、そしてあなたに試練を与えた」



そう――かつての私が、あの黒い穴の中で体験した様に。

「試練をクリアして『カミサマ』というお済付きをもらえば、あなたは迷うことなく誰かをいじめられる。私の意思を継承した者として、自分の行為を正当化できる」

「だったら……だとしたら何なのよ……!」

「私は暦を殺さない」



私は彼女の細い首から手を放した。それと同時に私の真っ白だった髪が元の黒に戻り始める。



「これ以上イジメは伝染させるわけにはいかない。あなたのおかげで、ようやく気付くことが出来たの」
「ふざけんなッ! 今更何正義面してんのよ!」



暦は起き上がり、今度は私の首を掴んで乱暴に揺さぶった。

「だったらアンタが知らないことを教えてあげる! この世界で後継者を出せなかったカミサマはね、死んだ後に力を失ってそのまま地獄へ行くのよ! 地獄へ行った者はそこで悪魔になって、無数の並行世界でこき使われるの。あの東雲志乃の様にね!」

「そう……志乃はやっぱり悪魔だったんだ。前世であんなにイジメられて、今は悪魔だなんて……」

「ええ、あの子のことも本に書いてあったわ。彼女は大切にしていたクマのキーホルダーを壊した相手に復讐して『イジメのカミサマ』になった。だけど今は悪魔ってことはきっと、継承の儀式で最後の最後に相手を殺せなかったのよ! 今アンタがしようとしているように!」

「…………」

「アンタもこのまま死んだら、志乃の様に永遠に並行世界で彷徨うのよ⁉ それでもいいの⁉」



確かに志乃はとても可哀そうな子だった。前世の記憶を持ったまま自分の役割に束縛されていた。あの中庭で彼女が流した涙の感触を私は忘れていない。

「でも、ここで私を殺して役目を終えればアンタはその功績として天国へ行ける。散々人を苦しめておいて天国へ行けるなんて、こんなに虫の良い取引は無いでしょ!」



その目を見る限り、暦が言っていることはウソではないみたいだった。それでも私は首を横に振る。

「ダメだよ。それでもこれ以上イジメは伝染させない。例え悪魔に身を墜としても」

「バカなことを言わないで!」



その時、激しい悪寒と共に私は大量の血を吐き出した。鼓動が早くなり、呼吸がどんどん荒くなっていく。

丁度その時、天空に浮かんでいた時計からジリリリリンッ、とベルが鳴り始めた。

力を失った私は暦から離れ、空へ向かって吸い込まれ始める。

「待って加奈! お願いだから行かないで……! 私を殺してよ!」



浮き上がる私の手を必死に掴もうとする暦を見て、力なく告げる。

「暦……」

「何⁉ 聞こえないわよ!」



私はまた血を吐き出して、それからこの世における最後の言葉を発した。



「今までごめんね……だからせめてあなただけでも、この呪縛から逃れて」



そして私は高く舞い上がり、渦巻く赤黒い雲に吸い込まれて。

鳴り止まないベルの音が遠ざかるのを聞きながら、そっと目を閉じた。
ジリリリリンッ……どこかの部屋から、目覚まし時計の音が聞こえてくる。

それを妙に懐かしく感じながら、私は目を覚ました。

あの無機質な灰色の教室とは違う、真っ白で清潔感のある病室の天井。

私はベッドで起き上がると、お腹に鋭い痛みを感じて顔をしかめる。

やっぱり……あれは全部夢じゃなかったのかな。

「まだ動かない方がいいわよ。今死んでもどうせ天国になんて行けないんだから」



その声に驚いて横を見ると、月詠暦が椅子に座ってベッドの私を見つめていた。

「暦……? 私はどうして……?」

「生きているのかって? この私のおかげに決まってるでしょ。現実世界に戻った後、死にかけのアンタを担いで近くの病院へ運んだのよ。危うくアンタは一命を取り止めた。その後私は捕まったけど、アンタにいじめられていた証拠を提出して減刑してもらった。今は仮釈放中よ」

「どうして私を助けたりしたの?」

「助けた、だなんて一言も言ってないけど?」



そう言って――暦は突然立ち上がり、果物ナイフの刃を私に突き付けた。

「ここでまた、あの世界の続きを始めるつもり?」



静かに問うと、暦は沈黙を挟んでこう答えた。

「……アンタは何も分かってない」

「どういうこと?」

「当たり前だけど、私はアンタのことを絶対に許さない。一生許すつもりはない。だけど、アンタの願いがどれほど強いかは伝わった。だから私がアンタの監視者になる」



決然とした瞳を湛えて、暦はナイフを握りしめる。

「もしアンタがまた私をイジメたら私は全力で立ち向かう。他の誰かを傷つけようとしたらあらゆる手を使って止める。それがカミサマの座を継げなかった――私の新しい役割よ」

「もし止められなかったら?」

「今度こそこのナイフでアンタの息の根を止めて、この連鎖を終わらせる。それはアンタの願いでもあるはずでしょう?」



彼女は私の眼前までナイフを突きつけると……そのまま踵を返して病室から去った。

私は、風にはためく白いカーテンを見つめながら目を閉じて考える。

結局、私は暦に『監視者』という役目で縛り付けてしまった。だから『あなただけでも、この呪縛から逃れて』というもう一つの願いは叶わなかったのかもしれない。

それでも、彼女が『これ以上イジメを伝染させない』という私の想いを継いでくれたのは嬉しかった。そういう意味では彼女は本物の継承者だ。

そして私は、これからずっと十字架を背負って生きて行かなくちゃいけない。

……心の中に『カミサマ』という強大な怪物を飼い慣らして。

それが今の私に出来る最大の役目だ。



『コヨミン……コンドハドコマデタノシマセテクレルカナ?』



そんな心の底から湧き上がる怪物の声を押し殺す様に、私は再び眠りについた。



(終)

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