数刻後、フィンの部屋にシルクハットと燕尾服姿の青年紳士が現れた。
「他人様に迷惑をかけるなと言っただろう!」
シルクハットからウサギ耳をのぞかせた一見ミスマッチな紳士は、フィンを見るなり一喝した。
フィンは真っ赤になった目を見開いて、戸口で立ちすくむ。
「俺はお前が休暇を取っていると聞いて、少しは大人になったんだろうと思ったんだ。未練なく逝けると思ったのに」
フィンはぷるぷると震えながら彼を見上げる。
「兄さん……おれ、がんばったよ」
フィンは手を伸ばして彼の服の裾をつかんだ。
「でもやっぱり、兄さんが見てくれないとやだ」
「……子どもめ」
しがみついてぐすぐす泣きだす妹の背中を、ルイはしょうがないなというように叩いた。
ところでその一部始終を、撫子は廊下の端からのぞいていた。
「フィン様ってなんで男の子っぽい格好してるんでしょうね?」
撫子はひそひそ声でオーナーに尋ねる。
「幼い頃の動物は性別があいまいです。フィン様はお兄様の真似をしていたんでしょう。まさか男性だと思っていたんですか?」
後で撫子がきいたところ、チャーリーも「もちろんレディを見間違えたりしませんよ」と笑顔だった。気づかなかったのは撫子ばかりだった。
「ともかく、これで一件落……」
撫子が強引にまとめようとしたところで、ルイがこちらを振り向いた。
「フィンの教育、これからもびしばし頼む」
死んでからも手厳しいお兄様だった。
「お客様のご希望の通りに」
オーナーは優雅に一礼して約束した。
ふいにオーナーに袖を引かれて、撫子はスタッフオンリーの部屋に入る。
「あなたに無断で外出することを禁じます」
「え?」
「また列車から飛び降りられてはかないません」
撫子は苦笑して頬をかく。
「いやぁ……もうしませんよ。死ぬほど危ないと思ってなかったんです」
「私はあなたがもう死に向かうつもりなのかと思いました」
オーナーの声が強張っていたので、撫子は息を飲む。
「私より先に逝かないでください」
撫子はそれを聞いて、オーナーは案外寂しがりなのかもしれないと思った。
どれくらい長く生きているのか、今までどんな人と一緒にいたのか、まだ何もかもオーナーのことを知らない。
「いつ死ぬかなんて私の勝手ですけど」
念のため断ってから、撫子は口をとがらせた。
「でも私、そんなに簡単に死にませんから」
ちょっとだけ、本当にまだちょっとだけど、今は離れるのが嫌だと思う。
そんなことを口に出すのは照れくさい乙女心に気づいた、ある日の出来事だった。
「他人様に迷惑をかけるなと言っただろう!」
シルクハットからウサギ耳をのぞかせた一見ミスマッチな紳士は、フィンを見るなり一喝した。
フィンは真っ赤になった目を見開いて、戸口で立ちすくむ。
「俺はお前が休暇を取っていると聞いて、少しは大人になったんだろうと思ったんだ。未練なく逝けると思ったのに」
フィンはぷるぷると震えながら彼を見上げる。
「兄さん……おれ、がんばったよ」
フィンは手を伸ばして彼の服の裾をつかんだ。
「でもやっぱり、兄さんが見てくれないとやだ」
「……子どもめ」
しがみついてぐすぐす泣きだす妹の背中を、ルイはしょうがないなというように叩いた。
ところでその一部始終を、撫子は廊下の端からのぞいていた。
「フィン様ってなんで男の子っぽい格好してるんでしょうね?」
撫子はひそひそ声でオーナーに尋ねる。
「幼い頃の動物は性別があいまいです。フィン様はお兄様の真似をしていたんでしょう。まさか男性だと思っていたんですか?」
後で撫子がきいたところ、チャーリーも「もちろんレディを見間違えたりしませんよ」と笑顔だった。気づかなかったのは撫子ばかりだった。
「ともかく、これで一件落……」
撫子が強引にまとめようとしたところで、ルイがこちらを振り向いた。
「フィンの教育、これからもびしばし頼む」
死んでからも手厳しいお兄様だった。
「お客様のご希望の通りに」
オーナーは優雅に一礼して約束した。
ふいにオーナーに袖を引かれて、撫子はスタッフオンリーの部屋に入る。
「あなたに無断で外出することを禁じます」
「え?」
「また列車から飛び降りられてはかないません」
撫子は苦笑して頬をかく。
「いやぁ……もうしませんよ。死ぬほど危ないと思ってなかったんです」
「私はあなたがもう死に向かうつもりなのかと思いました」
オーナーの声が強張っていたので、撫子は息を飲む。
「私より先に逝かないでください」
撫子はそれを聞いて、オーナーは案外寂しがりなのかもしれないと思った。
どれくらい長く生きているのか、今までどんな人と一緒にいたのか、まだ何もかもオーナーのことを知らない。
「いつ死ぬかなんて私の勝手ですけど」
念のため断ってから、撫子は口をとがらせた。
「でも私、そんなに簡単に死にませんから」
ちょっとだけ、本当にまだちょっとだけど、今は離れるのが嫌だと思う。
そんなことを口に出すのは照れくさい乙女心に気づいた、ある日の出来事だった。