転落していく人生なんて知りたくなかった。
撫子は無性に笑えてきてならなかった。
すべては両親の事故死という始まりからカップ麺が出来上がるくらいのあっという間の出来事だった。
「ちょっと嘘言った」
三分は言いすぎだった。一応二週間くらいはかかった。
両親は借金大魔王で、撫子は中学生にして勤労学生だった。それでも両親が亡くなるまでは何とか生活が回っていたが、両親がいなくなることでダムが決壊するように怒涛の転落が始まった。
両親の残してくれたありがたくない大量の借金取りから逃げ回りながら親戚に助けを求めたが、そのたびに断られたこの二週間。
最後の頼みの綱だった母方の叔母夫婦も駄目だった。
姪っ子だけならかわいそうにと受け入れられても、それにくっついてくる厄介事までは触りたくなかったのだろう。
借金取りの盲点を突くつもりで家の近くに隠れたのは今朝の出来事。意図せず犯人は必ず現場に戻って来るという心理を理解することになる。そこ以外に戻るところがないという意味で。
山の中にある旧坑道の中に入ったところで、空腹の限界に達した。
財布に残った最後の小銭で買ったパンを取り出す。薬局の売れ残りで二ケタの値段だった、味もそっけもないコッペパン。
パンの袋を開いてひと口かじる。
「まずっ……!」
口の中が乾ききっていて飲みこむだけで苦痛だった。
食料より水分を確保するべきだったと後悔してももう遅い。二週間で学んだサバイバル術に大穴がひそんでいた。最後の小銭くらい有効に使いたかったのに。
「ごめんね、父さん。母さん。お墓を作ってあげる前に私もお墓の下の住人になりそうだよ」
冗談にならないところが怖い。
外は真夏の日差しであふれているが、旧坑道の中はひんやりと冷たい。ここだけ先に秋が来ているようだ。
パンを片手にぼんやりと座っていると、ふいに旧坑道の奥から白い影が近づいてくる。
すらっとした上品な白い猫だった。毛並みは毎日梳かれているようにつやつやで、薄闇の中に緑の目が光っている。
「久しぶり」
撫子は思わず手を上げてあいさつした。
この白猫は幼い頃からたびたび撫子の家の近くに現れた。そのたびにエサをあげたり撫でたりしていたが、結局どこの猫なのかは知らない。
「今日もきれいだね」
猫にお世辞を言っている場合ではないかもしれないが、今はそれくらいしかやることが思いつかなかった。
白猫は尻尾を一振りして撫子の前に座ると、何かを待つように撫子を見上げてきた。
「これ?」
撫子は手に持ったままだったコッペパンに気づいて苦笑する。
どうせ喉が渇いて食べるのも苦痛だ。撫子はパンを細かくちぎって白猫の前に並べた。
猫はしばらくうつむいてパンを眺めていたが、ふいに顔を上げて撫子を見た。
その目がもの問いたげに見えるのは、撫子の頭がそろそろ駄目になってきた証拠だろうか。
撫子は頬をかいて言う。
「ねえ、君がもしあの世にコネを持ってたらさ」
くらくらする視界の中で白猫をみつめながら、撫子は突拍子もないことを言う。
「君に今あげたパンに免じて、あの世ではもうちょっとマシな生活ができるように頼んでもらえないかな」
撫子はふうと息をついて笑った。
「なんてね」
撫子は石壁にもたれかかって目を閉じた。
ちょっと、疲れた。
眠ろう。睡眠でも取って体と気を休めよう。
それからどうしようか、今は何も思い浮かばないけど。
でも今は休ませてほしい。ほんの少しだけでいい。
眠りに落ちるときというのは、体が沈んでいくような感覚がするものだけど。
なぜか今回は、体が浮き上がって平行に飛んでいくような、奇妙な感じがしていた。
撫子は無性に笑えてきてならなかった。
すべては両親の事故死という始まりからカップ麺が出来上がるくらいのあっという間の出来事だった。
「ちょっと嘘言った」
三分は言いすぎだった。一応二週間くらいはかかった。
両親は借金大魔王で、撫子は中学生にして勤労学生だった。それでも両親が亡くなるまでは何とか生活が回っていたが、両親がいなくなることでダムが決壊するように怒涛の転落が始まった。
両親の残してくれたありがたくない大量の借金取りから逃げ回りながら親戚に助けを求めたが、そのたびに断られたこの二週間。
最後の頼みの綱だった母方の叔母夫婦も駄目だった。
姪っ子だけならかわいそうにと受け入れられても、それにくっついてくる厄介事までは触りたくなかったのだろう。
借金取りの盲点を突くつもりで家の近くに隠れたのは今朝の出来事。意図せず犯人は必ず現場に戻って来るという心理を理解することになる。そこ以外に戻るところがないという意味で。
山の中にある旧坑道の中に入ったところで、空腹の限界に達した。
財布に残った最後の小銭で買ったパンを取り出す。薬局の売れ残りで二ケタの値段だった、味もそっけもないコッペパン。
パンの袋を開いてひと口かじる。
「まずっ……!」
口の中が乾ききっていて飲みこむだけで苦痛だった。
食料より水分を確保するべきだったと後悔してももう遅い。二週間で学んだサバイバル術に大穴がひそんでいた。最後の小銭くらい有効に使いたかったのに。
「ごめんね、父さん。母さん。お墓を作ってあげる前に私もお墓の下の住人になりそうだよ」
冗談にならないところが怖い。
外は真夏の日差しであふれているが、旧坑道の中はひんやりと冷たい。ここだけ先に秋が来ているようだ。
パンを片手にぼんやりと座っていると、ふいに旧坑道の奥から白い影が近づいてくる。
すらっとした上品な白い猫だった。毛並みは毎日梳かれているようにつやつやで、薄闇の中に緑の目が光っている。
「久しぶり」
撫子は思わず手を上げてあいさつした。
この白猫は幼い頃からたびたび撫子の家の近くに現れた。そのたびにエサをあげたり撫でたりしていたが、結局どこの猫なのかは知らない。
「今日もきれいだね」
猫にお世辞を言っている場合ではないかもしれないが、今はそれくらいしかやることが思いつかなかった。
白猫は尻尾を一振りして撫子の前に座ると、何かを待つように撫子を見上げてきた。
「これ?」
撫子は手に持ったままだったコッペパンに気づいて苦笑する。
どうせ喉が渇いて食べるのも苦痛だ。撫子はパンを細かくちぎって白猫の前に並べた。
猫はしばらくうつむいてパンを眺めていたが、ふいに顔を上げて撫子を見た。
その目がもの問いたげに見えるのは、撫子の頭がそろそろ駄目になってきた証拠だろうか。
撫子は頬をかいて言う。
「ねえ、君がもしあの世にコネを持ってたらさ」
くらくらする視界の中で白猫をみつめながら、撫子は突拍子もないことを言う。
「君に今あげたパンに免じて、あの世ではもうちょっとマシな生活ができるように頼んでもらえないかな」
撫子はふうと息をついて笑った。
「なんてね」
撫子は石壁にもたれかかって目を閉じた。
ちょっと、疲れた。
眠ろう。睡眠でも取って体と気を休めよう。
それからどうしようか、今は何も思い浮かばないけど。
でも今は休ませてほしい。ほんの少しだけでいい。
眠りに落ちるときというのは、体が沈んでいくような感覚がするものだけど。
なぜか今回は、体が浮き上がって平行に飛んでいくような、奇妙な感じがしていた。