昔、おばあちゃんは言った。
「恋が何か?そうだね……溺れちまうみたいなもんだよ。
息ができないぐらいに苦しくて、辛い。
恋なんちゅーもんができるのは若い証拠だね。
私みたいなおばばには、溺れる覚悟も勇気ももうどっか行っちまったさ〜。」
ガハハって笑いながら。
昔、お母さんは言った。
「恋は落ちてくるものなの。
神様がね、あなたに1番いいタイミングで1番ピッタリの形の“恋”を落としてくれる。
その神様の落し物に気づく時、あなたはきっと世界で1番幸せ者だって思えてるはずよ。」
って優しく微笑みながら。
2人の“恋”の定義は違うみたい。
だけど最後に2人は同じこと言ってた。
「「恋は人に新しいことを教えてくれる。
人生にとって勉強より大切なことかもしれないね」」
この時の2人の顔はそっくりだったよ。
さすが親子だね。
目を細めて右の口角をにひってあげて、少し得意げな顔なの。
クスクス笑っちゃったよ。
私はこの時、とっても“恋”が魅力的に見えた。
辛くても、苦しくても、“恋”をすると世界で1番私は幸せになれる。
世界一の幸せものになるために私は待った。
ひたすらに神様が落し物をしてくれるのを待っていた。
幼稚園の時、ある男の子が「お前かわいいから、将来お嫁さんにしてやるよ」ってしおれたコスモスを持ってきた。
小学生のとき、ある男子が「お前の好きなやつって俺?」って自信ありげに聞いてきた。
中学生の時、ある男が「試しに付き合おうよ」ってノリで言われたこともあった。
私はそんな時自分に問いかけた。
――――私、彼が好き?
愚問だった。
――――ぜんっぜん!!
こんなにも好意を向けられても、好きだと思えないのは私が欲張りだからだろうか。
そんなことを考えて、神様が落としてくれるすてきな“恋”とやらを待ち続けた結果もう高校生。
今度こそは!って期待している。