「落ち着きは、まだ分かるけど……ギャップ?」
「はい。糸くん、普段はクールだけど実は……」
と、そこで糸くんが声を高くして遮った。
「ちょっ、と。野間さん、喋りすぎです」
照れているのか、焦っているのか分からない表情をしている。
「なに、気になるなあ」
当麻さんは先を急かすが、私はしゅんとした。
「ああ、ごめんね、糸くん。ちょっとペラペラ話しすぎちゃったか」
ごめんなさい、と反省する。
「いえ、そんな事は……」
糸くんは首を振って俯いてしまったが、先程と違って、どぎまぎと落ち着きを無くしていた。
本当に、私は要らないことを口走っていたのだろう。
「そう言えば」と、当麻さんが口を開けた。
「三春さんと糸って同棲でもしてるの?」
ドウセイ? あ、同棲か。
脳内で変換するのに時間がかかった。
「いや、まさか、違いますよ!」
私は慌てて否定した。
「違うよ」と糸くんも小さい声で言う。
「じゃあ、今日はなんでここに?」
その質問は単純な疑問だったのだろう。
開店前の喫茶店でトーストを齧っているんだから、当たり前とも思える質問だ。
「それは、あの……」
これは、泥酔した事を話さなきゃいけないのか?
それとも曖昧にはぐらかそうか。
考えを巡らせていたところに、糸くんが助け舟を出してくれた。
「前、来た時の忘れ物を開店前に取りに来てくれたんだよ」
「……ああ、なんだ。そうだったのか」
どうやら納得してくれたみたいで、肩の力が抜けた。
私は糸くんに目配せをして、ありがとうと念じた。糸くんはそれに気づいて頬をゆるめる。
内緒の共有というのは、ちょっぴり子供の頃にもどったみたいでワクワクする。
「これですよね。忘れていったの」
糸くんはレジの下の棚から、本を取り出して、ひょいっと私に渡してくれた。
「そうそう。これ! ありがとう」
ここにきて、糸くんの機転の利いたアイデアと、本を忘れていった私に感謝する。
私のはただのヘマだけど。
でも危うく、関係ない人にまで私の失態を晒してしまうところだった。
「本当に良かった……」
本音を漏らしながら本をぎゅっと抱きしめる。
喜びと安心が頂点に達して、感極まりながら受け取ったので、
当麻さんは「そんなに大事なものなのか」と呟いた。
糸くんも、手元に手を当てて、微笑んでいる。
良かったですね忘れものが功を奏して、と言いたげな、からかうような笑みだったけど。
私はまた嬉しくなって、へらっと笑う。
そうそう。
彼はこうやって、よく笑うんですよ、と当麻さんに教えてあげたい思いだ。
次の休みに、相馬さんに貰ったクーポン券を持って、美容院に訪れた。
外壁は大雑把に塗られた漆喰が、洒落ている。大きな窓ガラスがついたお店だ。
「待ってましたよ、三春さーん。今日はカットで宜しいですか?」
私の鎖骨あたりまで伸びた髪に、すーっと指を通しながら、鏡越しに相馬さんは聞いてくる。
「肩くらいまで、切っちゃって下さい」
「了解です。腕がなりますねえ」
私の希望通りに、シャンプーを済ませ、相馬さんがチョキチョキと手際よく切ってくれる。
美容院ってやけに緊張するというか、私がシャイなだけかもしれないけれど、
肩が詰まって早く帰りたいなあ、なんて思うこともちょくちょくある。
会話が止まると焦るのだ。
でも、やはり知り合いの美容師さんってだけに、ここでは会話にも困らずリラックスしていた。
「何か最近、劇的な出来事ってないですか?」
ふっと浮き上がるように相馬さんから質問を投げかけられる。
お見舞いに来る時の相馬さんは敬語とタメ口を交ぜて使っているのが印象的だけど、
美容師さんの時の相馬さんは徹底して敬語で話しかけてくれる。
「難しいこと言いますね」
「なんでもいいですよ」
「うーん」
なにかあったかなあ、と考える。
劇的かあ。そんな、目まぐるしい生活をおくってみたいな、と憧れる。
なんにも浮かんでこないから、
「………ところで、なんでそんなことを?」
思い立って聞いてみる。
「いやあ………最近は専ら仕事ばっかりで、日付感覚も狂ってくるくらいですから。髪のこと以外の情報を、と思いまして」
鏡越しに照れたようにはにかんだ相馬さん。
確かにお客さんも入れ替わりやってくるので、休む暇も無さそうだ。
他の美容師さんもせかせかと動き回っている。
そんな忙しい合間を縫って、お見舞いに来ていたんだ。道理で佳代さんが心配するわけだ。
そんなことを考えつつ、いい話は思いつきそうになかったから、代わりに相談することにした。
相馬さんなら、うんうんと聞いてくれそうだし。
「ああ、そういえば。ありました。劇的では無いですけどちょっとした、悩みの種みたいなのが………」
「ほお、それはどんな?」
「多分、面白くはないと思いますけど」
「ぜひ聞かせて欲しいですね」
私もこのモヤモヤした気持ちを誰かに話してスッキリしたい気持ちでもあったし、聞いてくれるならと、私は話し始めた。
まず、諸情報として、私が後輩がやっている喫茶に通っていることと、
そのお兄さんが店を手伝いに来ているということをざっくり話した。
「で、二日前にもヴァン・ダインに行こうと思って店の前まで来たんですけど。
ちょうどそこでお兄さんの旭さんとばったり会ったんです」
「それは、何だかロマンチックですね」
私は首を動かせなかったので、変わりに手をぶんぶんと振った。
「まさか、むしろ絶妙なタイミング過ぎて、びっくりして転けそうになったくらいですよ」
「実は陰で見てたとか?」
相馬さんが茶化す。
「いやいや、流石にそんなことはないと思いますけど」
「えっと………それで、どうなったんですか?」
私はカットに支障がきたさない程度に頷く。
「それで、話したいことがあるとか言って、私は旭さんに連れられて他の喫茶店に入ったんです」
「ほお、ヴァン・ダインじゃなくて他の喫茶店に行ったんですか」
「ええ、私もてっきりヴァン・ダインに入ると思ってたんですけど、
そこじゃあ話しずらいからっていうことで」
そのことから、だいたい糸くんにまつわる話なのかな、と的を絞っていた。
断るにも、いい口実は見つからなかったし好奇心にも近い感情もあって私は、のこのことついて行ったのだ。
「その後輩のお兄さんとも、親しい間柄とかなんですか?」
相馬さんは、鋭い。
「いえいえ、全然そんなことはなくて。
旭さんは手伝いに来ていた時に少し話したくらいですよ」
「なんか、胡散臭いですね」
そこで眉にシワを寄せた相馬さんだったが、はっと鏡越しに私を見て、
失礼なことを言ったと気まずそうに「今のは、聞かなかったことにしてください」と言った。
いやいや、実は私もそう思ったんですよ。
「やっぱり、相馬さんもちょっと怪しいなって感じますか?」
「そりゃあ、何か思惑があるのは確かでしょうね。それから、どうなったんですか」
やっぱり、相馬さんは驚くほどに鋭い勘を持っている。
シャーロック・ホームズのような観察眼だ。
「で、結局、二人で喫茶店に入ったんですけど────」
大手IT企業に勤めてる旭さんは糸くん同様、実家を出て一人暮らしをしているようで、
久しぶりに糸くんと会ったと話してくれた。溜まった有給を消化して、様子を見に来たと、
なんと弟思いのお兄さんなんだと私は感心した。
しばらく世間話を楽しみ、糸くんの小さい時の話しもしてくれた。
怪しいとか訝しんでた気持ちもすっかり忘れて話し込んでいたんだけれど。
その流れで糸くんと旭さんには幼なじみがいるという話になった。
しかし、その幼なじみは遠くの大学に進学してたらしい。
あんまり自然な流れでその話になったので、途中までは微笑ましい気持ちで聞いていたのだけれど、
なにか引っかかるものを感じたのは、
最近その幼なじみの「皆川 優美」がこっちに帰ってきたという話になった時だった。
その話をしに、この喫茶店に来たのだと、直感的にわかった。
目の前の旭さんの瞳がニヤリと笑ったように見えたからだ。
「半ば強引にここに連れてきたのは、三春さんの為でもあるんだ」
旭さんは動物を愛でるような目で私を見た。
「どういうことですか?」
「優美が………今日ヴァン・ダインに来ているんだ」
私は旭さんが何を言いたいのか分からなかった。
「二人は、やっと再会できた。昔から両想いなんだ、優美と糸は。でも、二人とも不器用だからなかなか上手くいかないんだよ」
困ったなあと旭さんは肩をすくめる。
「それと私を連れ出してきたのには、何か関係が?」
旭さんはきょとんと首を傾げた。スマートな仕草で思わず見とれそうになる。
恐らく、こういう男性がモテるのだろう。