僕からの溺愛特等席



 思い返せば、そう取れるような行動も数えられないほど心当たりがあった。


今、はっきり言われてやっと気づけた。



「それで、やっとって時に、兄さんに横取りされるのはごめんだ」


 ふと、旭さんから言われた「糸より、俺にしときな」という言葉が蘇る。


「兄さんに気に入られるなんて、どんな風に誘ったんですか」

「誘ったって、そんな、何も……」


 糸くん妖艶な表情を浮かべ、私の髪に指を通す。


「そんな固まっちゃって、なんですか。後輩の僕が怖くなっちゃいました? それとも僕からの好意が嬉しい?」



「か、固まってなんか……。私をからかって遊んでるなら、やめて……」



 こんな時に年上の威厳なんてあったもんじゃないけど、気が動転して、そんな風にいさめることしか出来なかった。


冗談にしては悪趣味すぎるし、正気なら正気で急変した糸くんは、ちょっと怖い。




一途すぎて、頭打ちになった好意はぐにゃりと曲がり、形を変え、私に届いた。



「僕をたぶらかして遊んでるのは野間さんの方ですよ」

「た、たぶらかしてなんか」

「そんな風に顔を赤くして、潤んだ目で見られたら僕、我慢できなくなる」



 惚けた表情の彼は本気だ。そこまでの好意を今の今までどこに隠し持っていたのか。


「赤くなんかないよ……」


 私は顔を隠したくて、額に手をあてる。


「そんなこと言ってると、本当に閉じ込めるよ」



 その言葉を聞いて、これはとんでもない後輩に好かれてしまったかもしれないと息を呑んだ。

そして、多分これは気の所為じゃない。



 でも、こんなに思いを寄せてくれる人がいたなんて、私は凄く幸せものなんだとも思う。



「僕と付き合ってよ……お願い」

「ありがとう」


 好きになってくれて。とても嬉しかった。


「え、良いんですか……」


うっとりとした目で糸くんは私の両手を包む。

「もし、仮に断られたとしても、閉じ込めてしまうんで意味ないんですけどね」


「いや、私まだ返事してない……」

「まさか、断るんですか?」


 まるで手負いの獣のような危険さを醸し出している糸くんは手の付けようがなかった。


もはや断るという選択肢は無いようで、私は苦笑いを浮かべる。



「とりあえず、悪いようにはしないんで安心してください。僕に愛されていれば良いんですよ」



 どうやらもう、ご機嫌になった糸くんは車を発進させていた。





「はい、僕たちの家に着きましたよ」


 糸くんはちょっとイタズラに笑い、手を掴んで私を店の中に誘い込んだ。


「ここは、糸くんのお店で、お家でしょ」

「もう少しだけ……」



 私の髪に手を伸ばし、弄んだかと思うと首筋、そして、鎖骨にすうっと触れてくる。


私は反射的に身体を縮こめ、くすぐったい感覚に耐える。



「うぶだね、野間さん。彼氏がいたのに慣れてないの?」

「だ、だって……」


元彼はこんな触り方しなかったよ! と大声で訴えたい。


「ああ、良いんですよそのままで。僕にだけ、敏感でいてくれれば」

「ええ? ………」

「なんでもないです。さあ、僕の部屋にどうぞ」



 多分糸くんは凄くモテるタイプなのだろう。

彼の立ち居振る舞いから、なかなかの紳士さが伺える。





大学時代、ファンクラブが設立されていたという噂まであったのだから間違いない。


そうでなければ、女の子がドキドキするような、そんな言葉は出てこないと思うのだ。



つまり、なんというか………凄く慣れてる。



 彼の部屋に入るのは二回目になるが、前に来た時には気づかなかった本棚。


そこにはずらりと小説が並んでいた。



中には私が持っている本もあったがほとんどは私には到底理解が出来ない専門書や資料などが書棚を占めており


何故か広辞苑や類語辞典、他にもいくつか辞典が揃えられていた。



思っていたよりもハイレベルな読書家なのかもしれない。



「気になる本があれば、貸しますよ? なんなら、ここで存分に僕が読み聞かせをして差し上げますよ?」


「もう、年上をからかわないの」

「僕の本心なんですけど」

「そういえば」


「なんですか?」こてん、と首を傾ける糸くん。



「もしかして、糸くん本を書いてたりする?」


辞典の数々、そして文章に関する専門書。それらから、もしかしてと推測したわけだ。




 私の問いかけに一瞬面食らった糸くんだったが、すぐに意地悪な笑みを浮かべる。



「何言ってるんですか、僕の職業は喫茶店の店主ですよ」


「ちょっと思っただけだもん」

「小説、書いててほしかったですか?」



「うーん。もし書いてたら、読んでみたいなあ。糸くんのメモ書き見たらね、素っ気なくて淡白だけど、でも、温かみのある文章だったから、いい物がかけるんじゃないかなって」


なんだか上から目線な事を言ってしまったかな、ちょっと言い方が悪かったかもしれない。


「ご、ごめんね。変なこと言って」



 とんでもない、そう言っていただけて嬉しいです、と恐縮していた糸くんだったけれど照れが半分困った半分という具合に言った。



「それは多分……野間さんの贔屓目ですよ。僕は、ただ淡白で冷たい人間ですから温かさとは無縁の人間です」


「そうなのかなあ。私は糸くんが冷たい人間だなんて思ったことないけど」



泥酔した私を迎えに来てくれるし、店に訪れるといつもガラスのように繊細な、それでいて柔らかい笑みで迎えてくれる。


そんな彼が冷たいなんて誰が思うのだろう。





糸くんは少し誤解されやすいんだと思う。
本当はとっても優しくて思いやりのある暖かい人なのに


「みんなはまだ糸くんの真の魅力に気づいてないのかも」




 私が優しいと、そう思っていても大学内での彼の評価は、「冷たい、クール」といった素っ気なさを評価されるものが多かった。




思い出す限りでも、声をかけてくれる女の子を片っ端から無視していたし、


これは伝聞なのだけれど、色々な女の子から告白を受けていた糸くんだったが、

それを「興味が無い」「面倒臭い」のひと蹴りで何人も泣かせたと言う噂まであった。



 そんなのは所詮噂に過ぎない。こうやって話している糸くんは紛れもなく「とても、優しい人だ」



「野間さんに……」


糸くんが口を開く。非常にわかりにくいが、口角を少し上げ、嬉しそうにする。

まるで、春が来て雪が溶けたみたいな感じだった。


「そう言って貰えるだけで、僕はどこまでもいける気がします。あなたにだけ伝わっていれば僕はもう、十分です」



私は胸を掴まれた感覚になった。彼からの告白を受けて、私たちは一体どこに向かって進んでいるのだろう。



 下の階から、チャイムが聞こえた。


「誰が、来たのかな」

と私は肩をすくめて、階段の方に視線を向ける。

「すみません、ちょっと見てきます」と糸くんは私にことわって一階へ降りていった。



待つ間に本棚に並んだ小説の中からひとつ引き抜いてあらすじを読む。


どれもこれも面白そうで、なかなか中身に入れずに三分、五分、戻ってくる気配がない糸くんを待った。


話し込んでいるのだろうか。



 心なしか下の階が聞き覚えのある声がした。



無関係の私が出しゃばるのもどうかと思ったけれど、好奇心が勝って私も恐る恐る階段を降りた。


向こうから見えるか見えないかの瀬戸際で足を止めた。こちらに背を向けて話し込んでいる糸くん。


その向こうに旭さんの姿が見えた。


「あ、三春さん」

 旭さんと目が合ってしまった。その声で糸くんもこちらを向いて

「出てきちゃったんですか」と苦笑いをする。



 糸くんの向かい側には、黒髪の清楚な女の人が、私を不思議そうに見ていた。


逃げ去ることも出来ずにおずおずと下に降りてきた私に「初めまして」とふんわりした微笑みで彼女は名乗った。


皆川 優美といいます。





話の中で聞いただけだったのだが、私のイメージしていた雰囲気をそのまま具現化したような優しそうな人だった。



「三春さんは俺がこの店に来る度にここにいるね。偶然か、それとも糸からの当て付けなのかな」

旭さんが言う。

「そうだ、三春さん。前に言ったこと覚えてるよね」


「え、ええ」

肯定するも、糸くんのいる方から物凄い視線を感じた。

「何を言われたんですか?」



案の定、糸くんは聞いてくる。



こ、告白まがいのことを言われました。なんて言えるわけがなくて、話を逸らすべく


「それより、私はお邪魔のようなので、上に戻るね」と踵を返そうとした。



が、「いえいえ、邪魔なんかじゃないですよ」と言ったのは糸くんではなく、美優さんだった。



「私も気になります。旭くんからなんて言われたのか」

「いや、あの………」

「俺と三春さんとの秘密だよね?」



 その言葉を聞いた糸くんは、不機嫌に舌打ちをする。



「でも、特別に教えてあげるよ」


 緩く微笑む旭さんとは対照的に私は冷や汗が流れる。

糸くんに聞かれたくない。なぜかそう思った。