「彼は本当にしっかりしている人だよ。経営に対する考えも、きっと菫も幸せになれるだろう」
微笑んで、父の望む言葉を口から吐けば良かったのだ。どうしてこの時自分の口からこんな言葉が出てきてしまったのか、それは今でも分からない。
分かる事と言えば…近頃私の心が揺れているのは、潤…あんたのせいよ。
「私じゃない女とも結婚した後恋愛したいと言っている男と結婚するのが、私の幸せですか?」
隣に座る母の表情が強張ったのが分かった。
目の前にいる父は目を丸くして、言葉を失っていた。
「何を……」
「篠崎リゾートの娘である事でしか価値のない女と結婚したいと言っている…そんな男は誠実ですか?」
「菫何を言っている?何か誤解していないか?まさか大倉くんがそんな子なわけあるまい」
「そして、私の結婚を会社を大きくさせるだけしか考えていないあなたは、娘の言葉よりも彼の事を信じるんですね」
父の表情が歪んでいくのが分かる。この顔だけはさせまいと今まで頑張ってきたのだ。それを、こんな形でぶち壊してしまうなんて、私は親不孝な娘だ。
ソファーからゆっくりと立ち上がり、引き止める父の言葉を無視して再び部屋に戻る。
部屋に戻り少し冷静になってしまったら、血の気がどんどん引いていった。
私は、なんて事を―――。
今すぐに訂正を、大倉さんはお父さんの言う通り素敵な人だったと、あなたの言う事は間違いがないと…。あんなの私の本心ではなかったと。結婚を意識し始めてナーバスになっていただけなのだと…。
引き返そうとしたらくらりと立ち眩みがした。テーブルに手を掛けると、先ほど潤から貰った鍵が静かに音を立てて落ちた。
’僕を信じて’そう言った潤の顔が脳裏を掠める。
リビングに戻って父に謝らなければ…そう思う思考とは裏腹に体は動き出していた。
キャリーケースをクローゼットの奥から出して、必要な荷物をまとめだす。
この日、私は人生で二度目の冒険を始めてしまったのだ――。