祖母の佐久間文江はとても自由な人だった。今現在も海外を飛び回って仕事をしている。
その教育方針も、とにかく自由。俺も舞も将来会社を継げとは言われた事が一度もなく、普通の公立中学に上がり、大学ではなく専門学校へ進む事にも一切反対されなかった。
そして自分の夢である自身のブランドを立ち上げる事を、祖母たちも両親も大賛成だった。
自分の道は自分で切り開け。そしてその言葉通り育ってきた妹の舞も現在留学中だ。
俺は自分の夢を日々磨きながら、現在S.A.Kの従業員として働き、趣味で自社のモデルまで努めている。
着せ替え人形のように何回も服を着替えさせられて、この日の撮影は6時間にも及んだ。
カメラマンとスタッフが集まり、ひと時談笑の時間。人懐っこい性格と昔から言われる。高校時代にバイトしていたスーパーではパートのおばちゃんから「潤くんみたいな良い子にどうやったら育つのかしらー」とよく感心されたものだ。
自分でも優しい性格だとは思う。学生時代の通知表には決まって「誰にでも優しい」と書かれていた。それに間違いはないだろう。
いつから自分がこんな性格になったのは定かではないが、育ってきた環境は大いに関係していると思う。
両親からたっぷりと愛情を注がれ、けれど会社の為だといって自分たちのエゴを押し付けられる事は一切なかった。どこまでも自由に好きな事をやりたいようにやらせてくれた。
もしも自分が素直で真っ直ぐな人間であるというのならば、それは周りの人たちに感謝しなくてはいけない。
…けれどそんな自分にだって、人間らしく汚い部分もある。周りから言われるほど、出来た男ではない。