「はあ……」
魔法使いのロネ・ガランテはため息をついた。その声は暗い牢屋に消えていく。
ユミル・イェーガーに捕われ、人質としてロネは監禁されている状態だ。杖も奪われてしまい、なす術がない。
「アテナは大丈夫かな……」
アテナ・イェーガーの涙を思い出し、ロネはギュッと拳を作る。アテナには閉じ込められてしまったあの日から会えていない。アテナが何をしているのか、友達のナタリー・スカイラーとネイサン・サミュエルがどうなったのか、不安しかない。
ロネは牢屋にある鉄格子のついた窓から空を見上げる。牢屋には暇つぶしになるものも、話し相手になってくれる者もいない。一日中空を眺めているしかないのだ。
「こんな風に閉じ込められるくらいだったら、魔法史の勉強してた方がずっとマシだな」
ロネはため息をまたつき、白い鳥が飛んでいる青空を見つめた。生まれて初めて鳥になりたいと思ってしまう。
その時、コツコツと足音が近づいてきた。ロネはユミルがやって来ると身構える。
「ロネ」
うつむいたロネの耳に、ずっと聞きたかった声がした。顔をあげれば、鉄格子の向こうからアテナが今にも泣きそうな顔で微笑んでいる。
「アテナ!!」
ロネは鍵のかけられた扉まで走り、鉄格子の間から手を出す。そして、アテナの頬に優しく触れる。アテナに本当に会えているのだとロネは久しぶりに笑顔になれた。
「アテナ、どうしてここに?」
「食事を持ってきた。もうお昼だ」
いつもは食事はユミルが運んでくる。アテナが来たことにロネは驚いた。アテナは昼食のサンドイッチをロネに渡した後、何かを企んでいるような顔を見せる。
「あの人の前では従順なフリをしてる。あんたを逃すためにね」
「ユミルはどうして君を武器にしようとしているの?」
ロネはずっと疑問に思っていたことを訊く。世界を征服したいなら自分だけで行えばいいはずだ。幼い子どもに人の殺し方をずっと叩き込む理由がわからない。
ロネの疑問にアテナは苦しげな表情を一瞬見せる。しかし、その口はゆっくりと動いた。
「私が、メルガ・キースの娘だから。でも魔法を学ばせれば反抗されるかもしれない。だからただ武術しか学ばせなかった。……私はただの武器で道具だ」
「……そんなこと言わないで」
泣き出しそうになっているアテナの頬に、ロネはもう一度触れた。柔らかく温かい感触が愛おしい。ロネは優しくアテナを撫でながら言う。
「アテナは人間だよ。道具でも武器でもない。俺の大切な人だ」
「ロネ……」
アテナの唇が微かに震える。その目から流れ出した美しい滴にロネは胸を高鳴らせながら滴に触れた。
アテナがユミルに呼ばれてしまうまで、ロネはアテナに触れ続けていた。
「気分はどうだい?」
牢屋の前にユミルが現れる。ロネは「いつも通り最悪だけど?」と可愛げのない返事をした。アテナを傷つける者はロネにとって敵なのだ。
「もう少し可愛いと思ってたんだがな。見た目と中身がずいぶん違うねぇ」
「そんなことより、俺をさっさとここから出して!!アテナも解放して!!」
ロネは何度目になるかわからない交渉に出るが、ユミルはその言葉を全て無視していく。ロネは「アテナに何をさせるつもりなんだよ……」と呟いた。その刹那、ユミルの瞳が輝く。
「知りたい?これからあの子が起こすことを……」
それはきっと聞いてはいけないものなんだろう。しかし、ロネは聞くことを選んだ。聞かなければならないのだ。
「まずはこれを読め」
そう言ってユミルがロネに渡したのは、もう何日も見ていない新聞だった。久々にロネは情報を目にすることができたのだが、そこに書かれていたことに言葉を失う。
ロネが顔を挙げれば、ユミルはニヤニヤと嬉しそうにしていた。杖を持っていれば間違いなくロネは攻撃魔法を使っていただろう。杖がないことが悔しく、ロネは乱暴に新聞をユミルに返す。
「新聞を読んでここがどこだかはわかったよ。アテナが暮らしていた森の南側じゃなくて、ここは北側にある古城。あんたがアテナがここにいると教えたから街の人たちが近々攻めてくる。その時にあんたはアテナに人殺しを……」
話しながらロネの顔は真っ青になっていった。アテナが人を殺すところなど想像したくもない。しかし、ユミルは楽しげに拍手をする。
「お見事、名推理!お前の言った通りだよ。あの子はまだ手を血で汚していない。人を殺してしまえばあの子の心はきっと壊れる。それならますます道具として相応しくなる」
「ふざけないで!!そんなことアテナが望むと思う!?」
怒りをあらわにするロネに対し、ユミルは冷ややかな目を向ける。そして「あんたは世間知らずだね」と笑った。
「世の中はね、誰かに従うことで成り立っている。あたしは誰にも従いたくないだけ。だからこそ世界を手に入れたいの」
「そう思うあんたの心が理解できない。話にならないよ」
ロネがそう吐き捨てると、ユミルは「あんたもいつかわかるよ」と言い牢屋の前から立ち去った。
今日もまたつまらない牢屋での一日が始まる。ボロボロのベッドの上で目を覚ました時、ロネは何度目かわからないため息をついた。
「……自由になりたい」
アテナを連れて逃げることができる日は来るのだろうか。ロネは重い扉を見つめた。
その時がやって来たのは、本当に突然だった。もうすぐお昼か、と空を見上げていたロネのもとにユミルではなくアテナが現れたのだ。
「ロネ、今すぐここから逃げろ」
アテナが真剣な顔をして何かを取り出した。それは金色に輝く牢屋の鍵だ。ガチャリと音が聞こえ、牢屋の扉が開かれる。数週間ぶりにロネの身は自由となった。
「ありがとう!でも、急にどうして?」
「あの人は人質としての役目を終えたらあんたを殺すつもりだ。そんなことはさせない!」
アテナはロネの手を取る。久しぶりにつないだその手の温もりに、ロネはこんな時にでも幸せを感じた。アテナの腕には真新しい傷がある。
「アテナ、その傷は……」
「あの人との訓練で負ったものだ気にするな」
アテナはそう微笑み、ロネに杖を渡す。魔法使いには必要不可欠な魔法の杖だ。ロネは「ありがとう」と笑顔で言った後、アテナに魔法をかける。
「テネレッツァ!」
ロネの杖から細かな金色の粉がアテナの腕に降りかかる。それを首を傾げながらアテナは見つめていた。
「傷が消えている……」
アテナが目を見開く。アテナの腕にあった傷は全て綺麗になくなっていた。
「傷を治す魔法だからね」
ロネがそう言うと、「嬉しい。ありがとう」とアテナは笑う。そして二人はまた手をつないで歩き出した。
「この城の門は閉ざされてしまっている。門に行けばあの人に見つかってしまう」
牢屋を出た後、二人は地下から出るために螺旋階段を進んでいた。ロネは「どこから脱出するつもりなの?」と訊ねる。
「城の屋根の上から脱出するしかない。ロープを使って脱出するしか……」
不安げなアテナに、ロネは「それなら心配ないよ!」と力強く笑った。
「俺は魔法使い!魔法を使って脱出しよう。瞬間移動をできる魔法も使えるようになったから」
「そうだな、その手があった」
螺旋階段を登り切ると、ロネは驚いてしまう。人が誰も立ち入らない城とは思えないほど城は綺麗だった。シャンデリアが吊るされ、調度品まで置かれている。まるで王族がまだ住んでいるようだ。
「あの人はずっとここで暮らしていた。だからこんなにも綺麗なんだ」
アテナがそう言い、ロネは「なるほど」と頷く。
とは言え、広い城をユミル一人で管理するのは不可能だ。城にはユミルに雇われた魔族たちがいる。アテナたちは物陰に隠れながら城の最上階を目指した。
「誰も俺が脱獄したことに気付いてないみたいだね」
「逃げ出せないと思っているのさ。私はユミルに完全に従っていると思い込ませているし、ロネは杖を奪われていたからな」
見つかってしまわないかドキドキしたものの、ロネとアテナは無事に最上階へ到着した。最上階はどこの階よりも一段と豪華だ。
「ここであの人は過ごしている。だからこんなにも豪華なんだ」
「まるで本物の女王様がいるみたいだね」
最上階には、美しいステンドグラスでできた巨大な窓がある。そこから二人は最上階の屋根に立った。
「久しぶりの外の風だ〜!!」
胸いっぱいに風を吸い込み、ロネは笑う。アテナも同じように深呼吸をした。
「不思議だ。お前といると心がこんな時にも落ち着いてくる。どんなに辛いことでも、お前のことを考えると耐えることができたんだ」
「アテナ……」
ロネはそっとアテナの頬に触れる。そして、そのまま唇を重ねようとした。しかし、冷たい声が響く。
「やっぱりあたしを騙してたんだね、アテナ」