放課後、ホームルームも帰り支度も終わって、手持ち無沙汰な私は廊下に寄りかかった。


伊藤さんと話している夕くんを待っていた。

全然知らなかったけど、二人の席は割と近い。
名簿番号で、い、からし、までそんなに人いなかったっけ。

とりとめもないことを考えていた。


あの日、私がここで夕くんに話しかけていなかったらどうなっていたのだろう。
きっと、否、絶対に仲良くなれなかったし、男子と話すことも苦手なままだったかな。あと理数の成績が悪いとか。

たった半年で夕くんにたくさんのものをもらった。
同じ分、私も何か彼のためになれるようなことができていたらいいのだけれど。

教室を覗く。
よくよく見たらなんだか楽しそうに話している。

彼が周りの人から誤解されているのなら、どうか解かれて彼の良さを分かってほしいと思っていたけれど、これはあんまりだ。

でもそう思う私も一人よがりであんまりだ。

さっさと話を切り上げない彼にだんだん腹が立ってきて(本来怒りの矛先を向けるべきなのは伊藤さんの方なのだろうけど)、私はもう帰ることにした。
きっと忘れたんだ、あんな朝の出来事なんて。

俯いた私は早足だった。

少しでも浮かれた私の馬鹿。

太一、せっかく機会を作ってくれたのに、無駄にしてごめん。


「おい」


グッと腕を掴まれた。誰かはもう分かっている。

それでも歩こうとすると、今度は腕を引っ張られる。
そのまま彼の方へ体が向いた。


「待たせて悪い。ドーナツ、好きなだけ食べろ」
「‥‥‥明日なっちゃんと太一にあげる分も」
「分かった」


理不尽な出費も受け入れられて困惑する。
なんであんな奴の分も、とか言ってくるかと思ったのに。


「機嫌直してくれないか」


優しいまなざしで私の顔を覗き込んでくる。

本当に、この人には勝てそうもなかった。


「食べてからじゃないと機嫌直らない」
「それは大変だな。すぐに行こう」


精一杯の強がりも、この人には通用しない。



もちもちのドーナツにチョコレートがかかった、ライオンのたてがみのようなドーナツ。
一つちぎって口に運んだ。


「おいしい~~~~」
「久々に食べたけど美味いな」


一人ならまずここまで買わないだろうという量のドーナツを買ってもらった私は、期間限定の味に舌鼓を打っていた。

さすがに割り勘しようとしたが、夕くんはどうしても払わせてくれなかった。
おまけにコーヒーまでつけてくれた。


「さっきは悪かった。なかなか話切り上げてもらえなくて」
「‥‥‥んーん。もう機嫌直ったし」
「嘘下手か? 強がるな」


今の私に一番かけてはいけない言葉だと思う。
何事もないようにコーヒーをすするので精一杯だった。

彼は、伊藤さんのことどう思っているのだろうか。
口元のコップで顔を隠しながら、綺麗にドーナツを食べている夕くんを観察した。

視線に気付いたのか目が合う。


「見過ぎ」


ああ、この顔だ。
いつもと変わらないようでいて、目の奥は確かに笑っている、私の好きな顔。


私以外に見せてほしくない顔。


「ゆ、夕くんさ、友達増えたよね。嬉しいな」


気が付けばそんなことを口走っていた。
失敗した、とすぐに後悔する。

しかし彼は特に疑問に思わなかったらしい。


「そうか? まあ、話しかけてくれる人は増えたな。でも別に友達ってわけじゃ‥‥‥」


なぜか一瞬言葉を切った。しかしすぐに続ける。


「お前は俺が友達増えると嬉しいのか? 自分のことでもないのに」
「え? 嬉しいよ」
「女子でも?」


一瞬だけ体が硬直したかもしれない。

どうしてそんな質問を? 

分からないし、そんなことを考えている余裕もなかった。


「嬉しい。夕くんの良さをみんなが知ってくれるのはいいことだよ」
「‥‥‥そうか」


すぐに答えられたと思う。きっと。多分。


こんな嘘、ついたことなかったのに。