「これでいいかしらね」
 医務室のドアに新しく付け替えられたドアノブを見て、妖艶な美女が満足そうに微笑む。
 昨日グリシャたちにドアを吹き飛ばされたため、修理のついでに防犯対策を講じることにしたのだ。
「防犯はばっちりなんじゃないかしら。おめめちゃんが見張ってるから鍵を壊して中に入るような不届きな輩は減るでしょうし、用がない子も入りづらいわね」
 ノブの中央に収まった目玉が、ギロっと周囲を確認してからまぶたを閉じた。“おめめちゃん”は今は仕事の必要なし、と考えたらしい。
「アンヌ先生、コレクションを譲っていただいてありがとうございます」
「いいのよ。この子も使ってもらえたほうが幸せだし」
 フィオーネにアンヌ先生と呼ばれた美女は、そう言ってドアノブをよしよしと撫でた。
 この美女、アンヌ=フローラ・カルドンヌは、医務室隣の相談室の担当だ。生徒や教員に対して相談援助《カウンセリング》を行うのが仕事なのだけれど、相談にやって来た者に蒐集品である変わった魔術道具を披露して楽しんでいる。
 だから、挨拶も兼ねてフィオーネが生徒たちの不法侵入について相談に行くと、嬉々としてこのドアノブを勧めてきたのだ。
「一応、修理はしておいた」
「べルギウス先生も、ありがとうございます」
 工具を手に医務室の中から出てきたべルギウスが、ドアノブを見て顔をしかめた。おめめちゃんはパチッと目を開け、べルギウスを見つめている。
「……こんなものを取りつけても、無理に入る輩は減らないんじゃないだろうか。むしろ、難易度が上がったことで攻略したいという気持ちが強まるかもしれない」
 眼鏡をクイッと指で持ち上げながら、べルギウスはそっとおめめちゃんから目をそらした。どうやら、この目が苦手なようだ。
「あら。じゃあ番犬ケルちゃん付きのノブのほうがよかったかしら」
「いえ。あれは私が普通に怖いです」
「あら、残念」
 フィオーネは、アンヌにもうひとつ別のドアノブを勧められていた。それは冥界の番犬ケルベロスを模した形のノブで、怪しいと思われればその三つの犬たちにガブリとやられるらしい。
「いっそのこと、ドアを開け放っていてはどうだろうか。そうすればドアを壊される心配はないし、リッツェルさんが男子生徒と密室にいるということも避けられるからな」
「んー……そうですね」
 べルギウスは、フィオーネがまだうら若き女性だということを気にしてくれている。
 ここ、ウーストリベ魔術学院は治癒や回復といった科目に特化しておらず、女子生徒にはあまり人気がない。そのため、生徒数は圧倒的に男子が多く、つまりフィオーネが相手にしなければならないのもほとんどが男子生徒というわけだ。
「在室中は、ドアを開けておくことにします。それでだめなら、ケルベロスの導入も検討してみようかな」
 男子生徒と密室にいる心配よりも、やはりフィオーネは目からビームを出されることのほうが怖かった。だから、どうせなら悪ガキは番犬に噛まれて欲しい、などと考えてしまう。
「いや、他の手を私が考えるから。……これ以上変わったものを取りつけたら、用のある生徒すら寄りつかなくなるだろう」
「見慣れたら、きっとみんな可愛いって思うようになるわよ」
 おめめちゃんに対して好意的なのはアンヌだけで、フィオーネはべルギウスが疲れた様子で目頭をもむを見逃さなかった。
「お忙しいのに、お時間とっていただいてありがとうございました」
 フィオーネがペコリと頭を下げれば、アンヌもべルギウスも柔らかく微笑んだ。ふたりは生徒に対するのと変わらぬ様子でフィオーネに接してくれている。それはまだフィオーネが未熟であることの証ではあったけれど、嫌な気分はしなかった。
「慣れないうちは大変だろう。気兼ねせず、いつでも頼ってくれ」
「そうよ。今日からまた週末までは生徒たちもどんどん怪我するから、気を抜かずにいきましょうね」
 そう言ってアンヌは隣の相談室へ、べルギウスは教室棟のあるほうへと戻っていった。


 フィオーネが医務室に戻ると、もうもうと怪しげな匂いがただよっていた。
 匂いの出処は、医務室隣のフィオーネの自室の鍋。使い込んで黒ずんだ真鍮製の鍋の中身は、ドロリと濁った液体。甘いような酸っぱいような、胸に溜まる匂いがする。昨日は焦げつくような青くさいような匂いだったから、いくぶんましと言える。
 作っているものは、れっきとした薬だ。
 昨日、グリシャたち悪ガキに棚を倒されて、いくつかの薬がだめになってしまった。すぐにクララに注文したけれど、届くまでそれらの薬がないのは不安だ。
 だからフィオーネは森や中庭で材料を調達できるものだけ、こうして調合している。
「かろうじて薬を作る“力”だけは受け継げたって感じだよねー……」
 鍋を混ぜながら、フィオーネはポツリと呟いた。
 魔女は魔法を使うとき、自然界の力を借りる。それは風だとか月や星の光だとか。もっとロマンのある言い方するならば、妖精などに協力してもらうといったところだ。
 魔術はそれを複雑な陣や呪文でもって実現させるのに対して、魔法はそれらをすべて感覚でやってしまえる。使うための知識はもちろん必要だけれど、面倒ごとはすべて“血”が解決してくれる。
 魔女の血、魔法使いの血というのは、自然界のものから力を借りられるという契約の証。つまりは、その血が流れているということは、普通の人間とは異なるということ。そのせいか、魔女も魔法使いも年々数を減らしてきている。
 受け継がれる力自体もこうして弱まってきており、魔術師たちに取って代わられる日も近いのだろう。
 魔女が、魔女だけができることなど、そうありはしないとフィオーネは思っている。
(一応は魔女だから、薬を作れるから、こうして仕事があるってことはありがたいけどねぇ)
 そんなことを考えつつ、フィオーネは鍋をかき混ぜる。力を入れ、鍋肌をしっかりこするように混ぜていくと、やがて色が変わった。濁った紫から、赤みを帯びた光沢のある紫へ。
 混ぜる手を止め、フィオーネは何事かを呟く。それは、古い呪文。
 その呪文に反応するように鍋の中身がぬらりと光り、もわっと勢いよく湯気が上がった。そしてその直後、何もなかったように凪いだ。
「ん……?」
 ひとつ薬を作り終えたそのとき、ドアをノックする音が聞こえた。医務室に通じているほうのドアだ。ということは、誰か生徒が入ってきたのだろう。
「はーい。ちょっと待ってね」
 そう返事をして、フィオーネはあわてて白のローブを羽織った。それは、フィオーネが医務室の主である証。着ていなければ、何も知らない人はフィオーネをただの子供としか思わないだろう。
「どうしましたか?」
 医務室にいたのは、ふたりの女子生徒だった。姿形がよく似ていて、一瞬、双子だろうかと考えた。
 けれどよく見れば、髪型や雰囲気を似せているだけで、まったくの別人であることがわかる。
 そんな仲良しなふたりは、不機嫌そうにフィオーネを見ていた。
「ごめんなさい。くさかったかな? それで、どういったことで来たんですか?」
 フィオーネはふたりの不機嫌そうな理由を、医務室にまでこもってしまっている匂いかと考えた。けれど、ふたりはフィオーネの言葉に答える気配はない。 
 まるで品定めしているかのように、頭から爪先までジッと鋭い視線で見ていた。にらんでいる、といっても言い過ぎではない。
(人見知りされてるとか、そういった可愛い話じゃなさそう)
 悪意のこもるその視線に、フィオーネは身構えた。
「あなた、いくつ?」
 唐突に、女子生徒のひとりが口を開いた。
「十六です。今年、十七になりますけど」
「ふぅん。私たちと同い年かぁ」
 質問の意図はわからなかったけれど、ひどく上から目線であることはフィオーネにもわかった。彼女たちの視線や言葉は、文字通り品定めなのだろう。
「ダリウス先輩がご執心だっていうから、どんな若くて美人な先生が来たのかと思ったら……私たちと年が変わらない子供じゃない」
 勝った、ということか。恐るるに足らず、ということか。
 女子生徒たちは、くすりと笑った。ひどく意地悪な笑顔だ。
 その言葉と表情で、フィオーネは大体のことを察した。
「……面倒くさいなぁ」
 気づいたときには、ポロリと口から本音がこぼれてしまっていた。
 本当なら今は、足りない薬を作っているはずだったのに。それが終われば、昼食にしようと思っていたのに。
 それを邪魔されたことが、かなり気に触った。しかも、その理由は本当にくだらない。
「あなたたち、『ダリウス先輩に手を出さないで』とか、そういうことを言いに来たんでしょ?」
「……察しがよくって助かるわ」
 強気なフィオーネの態度に、よく似たふたりは少しだけたじろいだ。けれど、それを懸命に隠している。
 そんな彼女たちを見て、フィオーネはさらに面倒くさそうな顔をした。
「あのね、ここは医務室なの。怪我をしたり、体調を崩したりしたときに来る場所なの。私は、ここに来た人たちの手当をしたり、看病したりするのが仕事なの。わかる?」
 苛立つように話すフィオーネを見て、ふたりはムッとしていた。フィオーネが苛立つ理由が、ふたりにはわからないのだろう。そんな様子に、フィオーネは重い溜息をついた。
「とにかくね、用がない人はここに来ちゃだめなの。私の邪魔になるし、他の生徒の邪魔になるから。わかった? わかったら、さっさと帰る!」
 羽虫でも追い払うかのように手を振って、フィオーネは女子生徒たちをドアへと促した。開け放っていたはずのドアは閉まっている。やましい行いだと自覚していたふたりが、意識的にか無意識にか閉めたに違いない。
「な、何よ、魔女!」
「はいはい、魔女ですよ」
「調子に乗らないで!」
「調子に乗ってません。というより、今後あなたたち、私のお世話になるのよ? その自覚ある?」
「ぜ、絶対あなたのお世話になんかならないんだから!」
「ふーん。じゃあせいぜい怪我と病気に気をつけて」
 フィオーネはキャンキャン吠えるふたりを適当にあしらって、グイグイと廊下まで追い立てた。
 本当なら、ここでドアをバーンと閉めてやりたいところだ。でも、それができないから別の手段を考える。
「えっと……これね。ここに、目がついてるから。何か悪だくみをして医務室に近づくと、この目に噛まれるんだからね。わかった?」
「ひっ……」
 フィオーネはそんな嘘八百を並べ立て、女子生徒たちに背を向けた。効果はてきめんで、パタパタと走り去る足音が響いた。
 それを聞いて、フィオーネはまた重い重い溜息をついた。
「……めんどくさ」