学院の中が華やいで、みんなが楽しそうにしている雰囲気の中、フィオーネは塩をふった青菜のようにしおれていた。
今日は学院のパーティーだ。
そんなフィオーネと対峙しているのは、着飾ったエミール。日頃完璧な女装で美少女然としている彼は、今日は肩までの髪を後ろで一本に束ね、フロックコートを着て貴公子然としている。
「はあ? ちょっと待って? どういうこと? え!?」
男装をしても、プリプリと怒っても、様になるなあとフィオーネは遠い目をして思う。
「いや、どういうことって言われても……ダリウスには、パーティーに誘われてないよ」
言いながら、またフィオーネは遠くを見る。納得していたつもりでも、こうも強く「どういうこと?」と尋ねられると、自分でもどういうことなのだろうという気がしてくる。
「この前、ふたりでいい感じの雰囲気で話してたじゃん? あのときに告白されて、パーティーにも誘われたのかと思ってた……」
「私も、そうなのかなって思ってたんだけど……休暇中に、ダリウスの出身の村に行こうって熱心に誘われたんだよね。ずっと帰ってなかったから帰りづらくて誰かについてきて欲しいらしくて。それと、珍しい薬草がたくさんあるから採取しようよって……」
「えーっと……それは保護者枠として同行を求められてるのか、単なる旅行のお誘いなのか、告白をすっ飛ばしたプロポーズなのか……」
「ね? わかんないでしょ?」
フィオーネから事情を聞いて、エミールは頭を抱えた。フィオーネ自身も悩んだのだから仕方ない。
「まあ、元々私は職員だからパーティーには裏方参加なのは仕方ないし、一緒に薬草採取しようって言われたからいいかなあとか考えてるんだけど……」
エミールをなだめるの半分、自分自身を納得させるの半分で、フィオーネは言った。でも、エミールはさらに怒気を強めただけだった。
「はあ? 何、この人たち面倒くさい! 好きなら『好き!』って言って、仲良くパーティーに行って踊りなよ! ダリウス先輩にとっては最後のパーティーなんだよ!? フィオちゃん先生、自分から誘えばよかったのに!」
髪をかきむしりこそしなかったけれど、しそうな勢いでエミールは怒っていた。彼が怒る気持ちもわかるため、しゅんとして言い返すことはできなかった。
「まあ、とにかくさ、パーティーには出てもらうからね! そのためにドレスをわざわざ作ったんだから」
そう言って、エミールは医務室にやってくるときに抱えていた箱を開けて、中からドレスを取り出した。箱のことは気になっていたけれど、まさかそこからドレスが出てくるとは思っていなかったフィオーネはびっくりした。
「きれいなドレス……それに、サイズもちょうどよさそう。いつの間に?」
「この前、服借りたときにサイズは把握したの。もっとフリフリでピンクのドレスにしたかったんだけど、そしたら可愛すぎて着ないとか言われそうだから、デザインも色もひかえめにしたけどさ。自分用の服を普段から作ってるから、出来ばえは保証するよ」
そう言ってエミールが差し出したのは、淡いブルーのシンプルなドレスだった。ノースリーブで、腰から下がふんわりと広がっている膝上丈だ。飾りは腰のサッシュと、裾のサテンリボンくらい。シンプルだけれど、着飾るのに慣れていないフィオーネにとっては、十分に可愛すぎて女の子っぽい。
「靴はさすがに作れないからさ、女子たちに何足か借りてきたよ。サイズ合うのを履いて」
「いいの? 貸してくれた子、靴に困ってない?」
「困ってないよ。大体の子が靴なんて何足か持ってるし、貸し借りするくらいなんだから」
「そっか……ありがと」
エミールが作ってくれたドレスも、足元に並べられた美しいデザインの靴たちも、フィオーネには馴染みがないものだ。でも、こんなに親切にされて、それを無碍にすることはできない。
だから、フィオーネは並べられた靴の中で一番ひかえめなデザインでヒールが低いものに、そろりと足を入れてみた。
「うん、よし。じゃあ、隣で着替えておいでよ。着替え終わったら、髪の毛を可愛くしてあげるから」
「……うん」
フィオーネは素直にうなずいて、隣の居室に引っ込んだ。
ダリウスのことは残念だけれど、こうしてドレスを用意してもらったのは嬉しい。それに、今まで縁がなかっただけで、やっぱりきれいにしたり可愛くしたりすることに惹かれる心があったのだと実感する。
(ここでのお給金、ずいぶんといいもんな。休暇に入ったら、叔母さんと一緒に服を買いに行こうかな……)
ドレスに袖を通しながら、フィオーネは叔母孝行しようかと考える。
年下の彼氏ができたと言っていた。それなら、おしゃれは大事だろうし、服はいくらあっても困らないだろう。お金に余裕があるのなら、店の資金にすると言いそうな気がするけれど。
そんなことを考えつつ、慣れない靴でおそるおそる医務室まで歩いて戻ると、何やら騒がしいことになっていた。
「いい加減に腹をくくれ! 今日頑張らないで、いつ頑張るんだ!?」
「うわー、やっぱ気合い入れても僕、かなわないじゃん! ムカつくなー! 僕よりかっこよくて、何が不安だっていうわけ?」
医務室では、エミールとべルギウスと、グリシャたち四バカが、誰かをもみくちゃにしていた。エミールとべルギウスはどうやら本気で怒っているようだけれど、グリシャたちは面白がってくすぐっている。そのせいで怒られているその人は、悲鳴まじりの情けない笑い声をあげながら震えている。
「……ダリウス?」
ひょこひょこ揺れる一角獣の角のように結われた前髪に、フィオーネは渦中の人物に気がついた。
「フィオ……」
久しぶりになぜか前髪を一角獣スタイルにしているダリウスは、呼ばれてピタッと笑うのをやめた。
「フィオちゃん先生、べルギウス先生がダリウス先輩を連れてきてくれたからね!」
「カイザァに何色のリボンをつけようか悩んで、それでリッツェルさんのドレスの色を知らないかと思って部屋を訪ねてみたら、何の用意もせずにうじうじしていたから、つまみだしてきたんだ!」
両脇をエミールとべルギウスに挟まれ立たされたダリウスは、フィオーネを前にもじもじしている。でも、かろうじて盛装はしていた。
「サイズが微妙に合ってないのは目をつむってくれ。私の学生時代のものを貸したから仕方がないんだ?ほら、ノイバート。パーティーに誘わなかった理由をきちんと説明しなさい」
「え、えっと……」
べルギウスに小突かれて、ダリウスは一歩前に出る。
「本当は、フィオとパーティーに行きたいなって思ってたんだ。ちょっと血迷って、エミールに同行を頼んだりもしたけど……でも、いざ誘おうと思ったら着て行くものがないって気がついたんだ! 去年いろいろあったときに何もかも嫌になって捨てちゃって……だから代わりに休暇中に一緒に出かける約束したけど、よく考えたら『ちがうじゃん!』って気づいたけど、着ていくものないし、でもフィオとパーティー行きたいし……って悩んでた」
ダリウスは、それはそれは恥ずかしそうにここに至るまでの葛藤を口にした。かなりもじもじしている。この前、フィオーネを守って戦った凛々しい青年と同一人物とは思えない。
でも、そのちょっぴり情けない姿に、フィオーネは胸の中にあったもやもやが晴れていくような気がした。
「そういうことだったのね……そんなことなら、私から誘えばよかった。でも、着るものないしなーっていうのは、私も同じだったから」
「フィオ……」
フィオーネが怒ってもがっかりもしていないことがわかって、ダリウスはホッとしたように両手を握る。それがおかしくて笑ったフィオーネに、エミールが「甘いなあ」とぼやく。
「俺の七歳の妹のほうが、よっぽど進んでるよ。だって、もう好きな男子ともう手つないだりチュウしたりしてるし」
ホッとしつつもまだもじもじしているダリウスと、それにつられてもじもじするフィオーネ。
そんなふたりを見て周囲もむず痒い雰囲気になっている中、グリシャがボソッと呟いた。それを聞いて、ダリウスとフィオーネの顔はボンッと赤くなる。
「ちょっとそうやって見つめ合ってないで、何か話したら?」
何も言わないふたりを、エミールが呆れた顔で促す。その半目で見られているのも恥ずかしくて、ふたりはおずおずと口を開いた。
「フィオ……ドレス、すごく似合ってて、可愛い」
「ダリウスも、こういうきちんとした格好、素敵ね。でも、何で前髪を結んでるの?」
「これは、フィオにもらった髪留めで、俺にとっては大事なものだから……」
「あー! いちゃいちゃされると、それはそれで嫌なんだけど! はい! もう会場行くよ!」
話し始めたらそれはそれでムズムズしたらしく、エミールはふたりの背中を押して促した。ほかの人たちはすでにふたりに興味をなくしている。
「先生、何でカイザァにリボン結んでんの?」
「カイザァは、今日の私のパートナーだ……くっしゅん」
「え? カイザァってメスなのー?」
べルギウスが首にブルーのリボンを結んだカイザァを抱き上げるのを見て、グリシャたちがざわついた。グリシャはカイザァの性別に驚いたようだけれど、カールとボリス、ディートリヒはどうやらちがう理由でざわざわしているようだ。
「えー……猫がパートナーとかありなん?」
「猫とはいえ、べルギウス先生にもパートナーがいるというのなら、俺たちも考えねば……」
「じゃあ俺、フィオーネ先生に踊ってもらう!」
それまで騒々しい会話を聞くともなしに聞いていたダリウスが、ピタッと足を止めた。そして、隣を歩いていたフィオーネをやや強引に抱き寄せる。
「だめ。フィオは俺と結婚するから、他の人とは踊れないよ」
ダリウスのその爆弾発言に、一瞬、場が静まり返った。でもすぐに、「えー!?」という絶叫に廊下は満たされた。
その場を混乱に陥れている間に、ダリウスはフィオーネの肩を抱いて歩きだす。
しばらく歩き、少し静かになったところで、ダリウスはまた立ち止まる。それから、フィオーネをじっと見つめた。
「フィオ? 大丈夫?」
「え? あ、うん……大丈夫」
フィオーネはそれまで思考停止に陥っていたけれど、呼びかけられてようやく我に帰る。我に帰って、顔を真っ赤にした。
「あの……結婚って、本気だから。いいよね?」
小首をかしげ、眉根を寄せた切なげな表情でダリウスは問いかけてくる。自分が美形である自覚があるのか、ないのか。出会ってすぐなら何とも思わなかったその顔に、フィオーネはぐっと言葉につまった。
「…………卒業、したらね。まずはそれ」
告白より先にプロポーズかよと、思わなくもなかった。でも、フィオーネには突っ込む気力など残されていない。それに、まんざらでもなかった。
と、大胆なようでありながら、ふたりの恋は周りのサポートなしにはなかなか進まないのであった。
(前期編・完)