侯爵家の次女であるクラリスは何度目かのため息をついた。
「私宛で間違いないわよね…」
もう一度宛名を見るが間違いなくそこにはクラリスと私の名前が書いてある。
クラリス宛に一通の手紙が送られてきた。
内容はお茶会の招待だが差出人が問題なのだ。
この国の第一王子であるルバート殿下からなのである。
きっとルバート殿下の年齢からしてそろそろ婚約者を見つけるためにちょうど良い身分と年齢のご令嬢を招待してお茶会をするつもりなのだ。
そして、そのちょうど良い身分と年齢であるクラリスにも手紙が届いた。
私の場合はルバート殿下とはお会いしたことないし、ただの数合わせで呼ばれたのだろうけれど。
将来の王妃の座も殿下に興味ないのでそれは別にいいが問題は私が完璧令嬢と呼ばれていることにある。
この国にはたまに特別な力を持って生まれる者がいる。その特別な力は人それぞれ違う。
そして、クラリスもその力を持っているのだがそれは忘却の力だ。
相手からクラリスに関する記憶のみ忘れさせることができる。
この忘却の力はとても便利で、例えば人の前で失態を犯した時には、相手にそのことを忘れさせてしまえばいい。
そうやって今まで都合の悪いことを忘れさせてきたクラリスはいつの間にか完璧令嬢と呼ばれるようになってしまった。
自業自得であるが自分の評判を上げすぎてしまったため最近は人前に出るのは極力控えているのに殿下から招待されてしまっては参加するしかない。
完璧令嬢でいられる自信がないわ…。
殿下に気に入られようと自分を良く見せて他人の粗探しをする令嬢たちの前では忘却の力を使う時間なんてない。
それに何が怖いって忘却の力を持ってることが知られたり、他にも能力を持っている令嬢がいた場合よね…
特別な力は持っていることが知られると悪用される可能性があるため、力を持っていることを他人に口外してはいけない。
そのため特別な力を誰が持っているか、どんな力なのかまったくわからないのだ。
忘却の力は忘れさせる力だがある意味騙しているようなものだ。
身分の高い令嬢たちの前でバレたら間違いなく一気に拡散されて私の居場所はなくなり修道院行きになってしまう。
殿下がいらっしゃるから下手したら爵位も取り上げられて一族路頭に迷うかもしれない。
今回は力を使わないで乗り切るしかないわ!
力を使わないと決めたクラリスだが残念ながらお茶会で力を使うことになる。
「お嬢様!今日も素晴らしい可愛さでございます。これなら殿下もクラッときますわ!!」
「そ、そうね…」
殿下がクラッときたらとても困るし、素晴らしい可愛さには思えない。
鏡に映る自分は平々凡々だ。
ついに来てしまったお茶会当日。
「お嬢さま頑張って!殿下の心を射止めてきてください!お嬢さまなら王妃になる未来も遠くないです!」
「ちょっと落ち着きなさい」
私の侍女のメイは私を美化しすぎていていつも暴走気味になってしまう。
王妃になんてなりたくないと本音をメイに言えば、それはそれで今度は泣かれてしまうかもしれないと思い黙っておくことにしたけれど相変わらずぶっ飛んでるわね…
行きたくない気持ちがますます強くなる中、メイの大げさな励ましを受け馬車が出発する。
♢♢♢
お茶会は城の庭で行われる。
きっと美しい庭なのだろう。
じっくり花を鑑賞したいところだがそうもいかない。目立たないようにさっさと帰らなければ。
完璧令嬢になるのよ、クラリス。
侯爵家の将来がかかっているのかもしれないのだから。
馬車の中で必死に自分に言い聞かせる。
侯爵家から城までは目と鼻の先だ。
馬車だとあっという間に着いてしまう。
もう着いてしまったのね…
憂鬱な気分で馬車から降り、招待状を見せて城の中に入る。
お茶会の会場である庭まで案内してもらうと、既にそこそこの数のご令嬢が来ていた。
その中には社交界で美しいと評判のご令嬢もちらほらといる。
これじゃあ私は美しいご令嬢の引き立て役になりそうね。
私じゃ殿下の眼中にも入らないだろうと安心する。
ぐるりと周りを見渡すが殿下はまだ来ていないみたいだった。
花を見るなら今のうちだわ。
クラリスは庭に咲いている花を片っ端から見ていくことにした。
侯爵家の庭はお母様の意向で花がほとんど植えられていないのだ。
花嫌いの母のせいで綺麗な花を見る機会はあまりなかったがクラリスは小さい頃から花が好きだった。
毎年誕生日にはお父様から大きな花束を貰っている。
あ、薔薇だわ!
薔薇はクラリスが一番好きな花だ。
美しく咲き誇る薔薇を見て少し気分が安らぐ。
しばらく見つめていると、
「そんなに見つめて薔薇が好きなの?」
「えぇ。美しいですもの」
隣に人が立つ気配がすると同時に質問を投げかけられる。
クラリスは薔薇を見たまま答える。
「折って持って帰るといいよ」
「いえ、それは…流石に城の薔薇を勝手に持って帰ったら私は捕まってしまいますもの」
「私が許可しているから大丈夫だよ」
「…え?」
何を言ってるの?この男性はと思い、ようやく話している相手の顔を見た。
「私が許可しているのだから誰も文句は言えないよ」
「で、殿下…」
いつもの夜会にいる気分になっていた。
夜会ではクラリスが一人で立っていると気づいたら男性が隣に立って話しかけてくるのだ。
それもまた完璧令嬢と呼ばれるクラリスへの好奇心からなのだが。
いつも視線を合わせず適当にかわしていたのでついやってしまった。
「大変失礼致しました!失礼な態度をとり、申し訳ございません」
クラリスは顔を青くしながら慌てて礼を取る。
あまりにも無礼すぎる態度だ。
やってしまった。
今すぐ力使った方がいいかしら?!
いや、でも流石に殿下相手に能力を使うのはバレたらまずいのでは?
頭を下げながら、必死に考える。
「私が勝手に話しかけたのだから気にしなくていいよ。クラリス嬢」
その言葉に顔を上げると殿下は微笑んでいた。
流石将来の国王、慈悲深い方だわ。
クラリスが殿下の言葉に感動していると、周りのご令嬢達が殿下が現れたことに気づき騒がしくなり始めた。
「で、ではこれで失礼致します」
殿下と二人でいたことが変に誤解されたらまずいことになる。
じわりじわりと距離をとってから、クラリスは早歩きでその場から離れる。
やってしまった!!もう帰りたい!!
心の中で叫んだクラリスは殿下が自分の名前を知っていることには気づかずに、ただ自分の馬鹿さを呪うのだった。
間もなくしてお茶会の準備が整うと殿下の近くに座ろうとご令嬢達が圧のある笑顔を浮かべながらお互いを牽制して席を奪い合っている。
次失敗したら、今度こそ終わる。
ご令嬢たちとは別の意味で戦場にいるような気分のクラリスは一番殿下に遠い席を選ぶ。
ご令嬢たちの牽制にも気付いていないのか、殿下は微笑みを浮かべて静かに座って待っている。
さらさらの黄金の髪に整った顔。
裏表のなさそうな笑みで性格も良さそうである。
クラリスは一番遠い席を良いことに殿下を観察する。
背も高く、まさに理想の王子様。
身分だけでなくルバート殿下だからこそご令嬢達は必死になっているのだ。
確かに殿下が殿下でなければ私も恋をしていたかもしれないわね。
そんなことを考えていると、殿下の挨拶と共にお茶会が始まる。
来て早々やらかしたが殿下に一番遠い席だし、私に攻撃してくるご令嬢もいないはずだ。
それどころか殿下に遠い席に座っているご令嬢達もまたクラリスのように手紙が来たから仕方なく参加したらしく、その仲間意識からか話が弾み思ったより楽しいお茶会となった。
途中で帰るつもりが結局お開きの時間までいてしまったわ。
帰りは1人ずつ殿下に挨拶して帰る。
クラリスは一番遠い席に座っているので一番最後だ。
さっきのことは不問にしてもらったのだから、ちゃんと挨拶して帰らなければいけないわね。
殿下は婚約者候補は絞れたのかしら。
ここにいるご令嬢の中から未来の王妃が決まるのよね。
私の家と仲のいい家のご令嬢だといいけれど…
「これをどうぞ」
手渡されたのは一輪の薔薇。
まさか殿下から頂けるなんて…本当に優しい方だわ。
「ありがとうございます」
「今度、二人で会いたい。ダメだろうか?」
クラリスは微笑んだまま固まった。
殿下と二人で会うというのはつまり婚約者候補に選ばれたってことじゃ…
でも今日初対面で無礼を働いた私を婚約者にしたい?
じゃあ別に話があって会いたいのかしら?
頭をフル回転させて理由を必死に考えるもわからない。
とりあえずクラリスが言えるのは、
「よ、喜んで」
肯定の言葉だけ。
殿下のお願いはもはや命令だ。
断れる人なんてこの世にいるのだろうか。
このままじゃまずいわ。
もし婚約者候補になったらドロドロな王妃争いに巻き込まれて私の平穏な生活は終わってしまう。
万が一のためにも殿下には私のことを忘れてもらうしかない。
ごめんなさい、殿下。
クラリスを覚悟を決めてジッとルバートの瞳を見つめる。
そして視線が交わった時にそのまま相手の記憶の中で自分の忘れさせたい記憶をハサミで切るようなそんなイメージする。
そうすれば相手は自分のことを忘れてくれるのだが、
「どうした?そんなに私のことを見て」
「…いえ。何でもありません」
どうして…
能力が使えない。
もやがかかったように相手の記憶が浮かんでこない。
こんなこと初めてだ。
きっと今のは調子が悪かっただけ。
もう一度やれば上手くいくはず…
そう思い挑戦してみるも、やはりうまくいかない。
「殿下、そろそろ次の予定のお時間です」
「わかった。ではまた近々会うのを楽しみにしているよ」
何も知らない殿下は爽やかな笑みを浮かべて去っていく。
クラリスは呆然とその背中を見ることしかできなかった。
クラリスは帰宅するとそのまま兄の部屋に行く。
「お兄様、聞いて!殿下は頭がおかしいわ!」
「っゴホッゴホッ。帰ってきて早々とんでもない不敬なことを言うな!」
クラリスの言葉に兄のハリスが飲んでいたコーヒーでむせる。
「だって殿下にまた会いたいって言われたのよ。お茶会で私やらかしてしまったのに…!このままじゃ婚約者候補になってしまうかもしれないわ」
「別になんてことないだろ。むしろクラリスは侯爵家の次女だ。王族に嫁いでも問題ない身分だしそのレベルの教養も身につけてる。婚約者候補になる可能性の方が高いだろう」
何言ってるんだおまえ、という表情で言ってくるハリス。
「そうじゃなくて、ふさわしくない振る舞いをしたのに…それに殿下に私の力が効かなかったの」
「お前殿下に力使ったのか?!」
家族はクラリスの能力について知っている。
「使ったけど効かなかったの。お兄様、殿下も能力持ちなの?」
「俺は殿下と直接関わりはないから知らない。それより能力使うのはやめろ!バレたらやばいぞ。家が潰れる」
「わかってるわ…もう使わない。使ったところで意味がないもの。でも、殿下と結婚なんてことになったらどうすればいいの。私は嫌よ!」
「王族との結婚に我が家が嫌だなんて言えるわけないだろう」
お兄様に言っても無駄だわ。
これだから頭が硬い人はダメなのよ…。
クラリスは心の中でハリスに悪態をつきながら、部屋を出ていく。
クラリスが自分の部屋に入るとすぐにメイが部屋にやってくる。
「お帰りなさいませ。お嬢様。どうでしたか?お茶会は」
「最悪なことになったわ」
「もしかして、お嬢さまの美しさに嫉妬したご令嬢が暴れたとか?」
「そっちの方がよかったかもしれないわね…」
「それより最悪な事ってことですか?…あれ、お嬢さま、その薔薇はどうなさったのですか?」
クラリスの手には一輪の薔薇。
「殿下に貰ったのよ」
クラリスは言ってからしまったと思った。
そんなこと聞いたらメイが、
「キャアーーー!!流石お嬢さま!!やはり殿下の心を射止めるくらい余裕でしたね!シェフに言って今日の夕食は豪華にしてもらいましょう!!王妃になっても私のことは専属侍女で居させて下さいね!」
やっぱり暴走してしまった。
とんでもないことを大声で言うものだから、次の日には侯爵家の使用人の間で噂になってしまうのだ。
「ただ物欲しそうに見ていたから優しい殿下が下さっただけだわ!だから騒がないで!」
「そんなわけないじゃないですか!物欲しそうに見てたら全員にあげます?お嬢さまだから渡したのですよ!!」
「…そうかしら。女たらしで他のご令嬢にも渡してたかもしれないわよ」
クラリスは自分でそう言いながら帰りの挨拶の際に薔薇を受け取ってるご令嬢がいなかったことを思い出す。
「何をおっしゃいます。殿下は浮いた噂一つございませんよ。それより、ルバート殿下といえば容姿の美しさや性格といい完璧な方として、有名なのですから!」
メイも真顔で言うのだから殿下が女たらしはないだろう。殿下に心の中で謝罪する。
「…そうよね。もう今日は疲れたから部屋で休むわ」
「かしこまりました。では後で紅茶をお持ちいたしますね〜」
「ありがとう」
一度寝て頭を整理したい。
1人になるとクラリスはベッドに倒れ込む。
自分にも忘却の力を使えたら、今日あったことを全て忘れることができたのに。
それか今日起こったことが全て夢でありますように。
そう思いながらクラリスは目を閉じた。
残念ながら夢のはずもなく、それどころか殿下との再会は予想よりだいぶ早くやってきた。
数日後にはルバート殿下直筆の手紙が届き、今度は2人だけのお茶会に招待されたのだ。
手紙を抹殺するか一瞬本気で考えたが、それまた興奮したメイが大声で騒ぎ出したため家族に知られてしまい強制参加となった。
「このお菓子は東の国の物なんだ。口に合う?」
「そうなんですね。とても美味しいです」
なぜ優雅に殿下とお茶会をしているのかしら‥?
本当に現実なのか疑ってしまう。
薔薇の香りに包まれているために夢の中ようだ。そしてこれまた薔薇と殿下の組み合わせは恋物語の本の1頁のように似合う。
「この薔薇園は私の母が作ったもので、今も母上自身が手入れをしているぐらい母上は薔薇が好きなんだ。今は薔薇の色を変えようと色々しているらしい」
「王妃様自身で薔薇を‥。どんな色の薔薇も美しいと思いますわ」
「そうだね。新しい色の薔薇ができた際にはクラリス嬢に教えるよ。」
「ありがとうございます」
それは是非とも見たい。
何色の薔薇もきっと素晴らしいに違いない。
その後も殿下は何かと話題を振ってくださり意外にも普通に会話を楽しむことができたが、なぜ今日私が呼ばれた理由はわからなかった。
「本日はお招き頂きありがとうございます。とても楽しかったですわ」
会話に区切りがついたところでクラリスはお礼を言い、そろそろ帰りますという意思表示をする。
「こちらこそ、来てくれてありがとう。最後に一つだけ聞いてもいい?」
「はい。何でしょうか?」
「クラリス嬢は王妃になりたい?」
「お、王妃ですか‥」
まさかのド直球な質問。
これはなりたくないとはっきり言うべきなのか。
それとも濁すべきなのか…。
「あ、あのその前にどうしてわたしの名前を知っているのですか?私たちこの間が初対面でしたよね?」
クラリスは話を変えて、うまくはぐらかそうとする。
「‥それは君は社交界で有名だからね。侯爵家だし名前ぐらいならみな知っていると思うよ」
「ソウデシタカ」
まさか殿下までにも完璧令嬢と私が呼ばれていたことを知られていたなんて。
まさか私がこうやって殿下とお茶会をしているのも完璧令嬢と呼ばれてるいるからじゃ…。
きっと完璧令嬢だったら未来の王妃だって務まるかもしれない、と思ったのだろう。
ようやく私が呼ばれた理由の謎が解けたわ。
「それで王妃にはなりたい?」
どうやら答えるまで帰れないらしい。
クラリスは諦めて正しい答えを考える。
どんな答えを望んでいるのだろうか。
殿下の口元は笑っているけれど、目は真剣だ。
本気で問いかけているなら、きっと完璧令嬢としての私を求めている。
それならば、
「なりたくありません。私、気ままに生きたいのです。王妃なんて器じゃありませんし、ごめんですわ」
逆にありのままの私の答えを言わなければ、王妃の座が一歩近づいてしまう。
自ら完璧令嬢の名を捨てれば私の能力もバレることはない。
完璧令嬢と偽るのは終わりにしよう。
「ですので王妃はお断りです。それでは、失礼致しますわ」
クラリスは殿下の反応を見る前に素早く立ち上がり礼をしてから逃げるようにその場を後にする。
優しい殿下のことだ、失礼な言動をとっても不敬罪には問わないでいてくださるだろう。
ただ間違いなくこれで私に失望して婚約者候補から外れたはずだ。
そもそも完璧令嬢の名なんてさっさと捨てておけばよかったのだわ。
無駄に完璧令嬢でいようとしたから、こういう事態になってしまったのだ。
クラリスは打って変わって清々しい気持ちで帰宅した。
「ただ今帰りました」
今日のお茶会の内容は家に帰れば家族に質問攻めに合うことはわかっていたので、やり過ごすための嘘を考えるためわざと馬車を遠回りしてもらい帰ると家の中は何やら騒がしい様子。
いつも冷静な家令までも慌てたように部屋を行ったり来たりしている。
どうやら家にいる者たちは、クラリスの帰宅に気付いていないようだった。
みんなこんなに慌てて今日何かあったかしら?
すると本来いないはずの父であるエイブラムが部屋から出てきて、クラリスのもとにやって来る。
しかもエイブラムは厳しい顔をしているのでクラリスは嫌な予感がした。
「え、お父様?お仕事じゃ…?」
城勤めの父は基本遅い時間に帰宅する。
侯爵家当主としての仕事もお兄様に代理で任せているくらい忙しいのだ。
「クラリス帰ったか…さっき私の執務室にルバート殿下自らいらっしゃってクラリスとの婚約が決まった」
「…嘘」
エイブラムの言葉に一瞬頭が真っ白になる。
婚約が決まった…?
「嘘ではないぞ。今日のお茶会でそういう話になったんだろう?」
エイブラムの鋭い視線がクラリスを射抜く。
結婚したくありませんと言って逃げ帰ったなんて言ったら間違いなく怒られるだろう。
「そ、そんな感じではなかったですわ」
「はぁ…。なんだその曖昧な言葉は。クラリス、別に王妃になれと育てたわけではないが殿下の婚約者となる以上ふさわしくなりなさい。あと婚約発表ら2週間後の王宮で行われる夜会になった」
「待ってください!ルバート殿下の婚約者なるのは確定なのですか?!お断りは…」
「無理だな。そもそも断る理由がどこにある?ルバート殿下は素晴らしい方だ、むしろお前にはもったいないぐらいだ」
「そんな…」
あの態度が逆に興味を引いてしまったの?
ここではいそうですかって素直に婚約者に収まるなんて絶対に嫌。
あんな失礼な態度をとっておいて婚約が成立してしまうのだから、私が我儘令嬢を演じようと泣き落としで説得しようと簡単には取り消してくれないはずだ。
ならば、やっぱり忘却の力しかないわね…
けれど不特定多数に知られた段階で私の力はもはや意味がない。
だから絶対に婚約発表がされる前に殿下に会って忘れさせなければいけない。
まずは殿下にいつお伺いしてよろしいか手紙を書いて、さっさと実行に移すしかないわ!
二度と会わないつもりであんな別れ方をしたのにまさか自分から会いに行くことになるとは、最悪すぎる展開だ。
そして、最大の問題は私の力が殿下に効かないこと。
殿下が能力持ちだと仮定してその力が私の力を無効化してるのか、それとも別の原因があるのか。
それがわからなければどうしようもできない。
けれど、絶対に忘れさせてみせるわ!!
こうしてクラリスとルバート殿下の2週間に渡る攻防戦が始まるのであった。
(しかし全てはルバートの手のひらで踊らされているだけである)
「ご機嫌よう、殿下」
庭園が眺められる、お城の一室。
婚約者候補になったお茶会から5日後、ようやくクラリスはルバートに会うことができた。
「会えて嬉しいよ。クラリス嬢」
相変わらずの眩しい笑顔。
本当に嬉しいのかしら…?
そもそも婚約者になったことといい殿下が何を考えているのかさっぱりわからない。
でもなによりもまずは、
クラリスは目が合った瞬間、早速能力を使おうとする。
やっぱりダメね。この間とまったく一緒だわ。
効かないのはどうやら間違いなさそうだ。
それよりまずは殿下に一言、言ってやるんだから!
「私、王妃なんてなりたくないとと申し上げたはずですが。なぜ殿下の婚約者になっているのでしょうか?もう一度言いますけど、殿下と結婚なんて嫌ですわ!!」
完璧令嬢の仮面を取ったクラリスはルバートを睨みながら言う。
「クラリス嬢は嫌かもしれないけれど、私は婚約を望んだからね」
ルバートはクラリスの睨みにも何の反応も示さずいつもの笑顔で言う。
「つまり私の気持ちは一切無視と」
「そうだね。でも君の父上の了承は得たから問題ないはずだ」
「それはそうですが…」
侯爵家当主である父が了承すればそこに本人の意思は関係ない。
ルバートに座って話そうと言われ、クラリスはあなたと話すことなんてありませんというツーンとした表情をしながら椅子に座る。
「そんな顔をしないで。クラリス嬢の意思を無視して、婚約者にしたことは申し訳ないとは思っている」
「じゃあ、どうして…。それに、もうわかっていると思いますけれど私は完璧令嬢なんかじゃないです。今もこんな態度ですし、殿下の結婚相手には絶対ふさわしくありません」
「ふさわしくないかどうかはクラリス嬢が決めることではないよ。そんなに私と結婚するのは嫌なのかな?」
「それは前にも申し上げた通りです。私は平穏な生活を望んでいます。王族としての責務は私には荷が重すぎます」
「私はすぐに王になるわけではないし、王妃である母上も別に自由にやってると思うけどね。そんな自由が一切ない、なんてことはないよ」
「だとしても私には王子妃、王妃の器ではありません」
「じゃあ、クラリス嬢は私が王族でなければ良かったということ?それなら、君もそこらへんにいる令嬢と同じだよ。王族という身分だけで私を判断するのなら」
ルバートのその言葉にクラリスは何も言えなくなってしまう。
確かにこれじゃあ見かけや地位に寄ってかかる御令嬢と同じだわ。
ルバート自身のことをクラリスはほとんど知らない。
お茶会で話したのが初めてなのだ。
ただ薔薇をくれたり優しい人ではあると思う。
「だから一回王妃になりになりたくないとかそうことは置いといて、ただのルバートととして接して欲しい。それでも私と結婚したくないならその時はまた考えるよ」
「…そこは婚約を破棄しようとは言わないのですね」
クラリスはちょっと期待しただけに思わず言うとルバートは微笑みながら流れる動作でクラリスの手の甲にキスを落として、
「私は君と結婚したいから。そんなことは言わないよ」
「っ…!」
ルバートの思いがけない言動にクラリスは一気に顔が赤くなる。
「それと、私はクラリスと呼ぶからどうか私のことはルバートと呼んでほしい」
「…わ、わかりました。ルバート様と呼ばせて頂きます」
ずるい…本物の王子様は本当に王子様だわ。
そんな風に言われたら断れるわけないじゃない。
クラリスは無意識に熱くなった頬に手を当てながら、意味がよくわからないことを思う。
名前で呼び合うってまるで恋人同士みたいじゃない。私たちが名前で呼び合っていたら周りの人達はそれこそ恋人だと勘違いするかもしれない。
それはそれでまずいのでは?
そこまで考えてクラリスふと疑問が沸く。
「ちなみに私が婚約者だと既に知っている方はどれほどいらっしゃいますか?」
「私の両親と側近、後は数人の護衛と侍女かな。でも、この間のお茶会や今日クラリスが城来ていることを目撃している人もいるからみんな何となくわかっていると思う」
「…え」
ルバートのさりげない爆弾発言にクラリスは一気に頬の熱が冷める。
みんな何となくわかっている…?
ミンナナントナクワカッテイル?
それじゃあ私の能力の意味がないわ!!
殿下や側近、護衛までなら能力を使うチャンスは多々あるから大丈夫だと思っていた。
そして殿下の両親、王様と王妃様に力を使うのは流石にできないけれど、うまく殿下の記憶をつなぎ合わせて婚約破棄したことを私から伝えればどうにかなると思っていたのに…!!
私、既に詰んでいるのでは?
「あ、このあとお披露目の時のクラリスのドレスについて相談しようと思って、デザイナーを呼んでいるから一緒に考えよう。時間があまりないからそこまで凝ったものは難しいかもしれないけれど」
「ドレス…この後…」
クラリスは茫然と呟く。
もはや能力を使える使えないの話ではない。
このままでは外堀が埋められてしまう。
「ごめんね…クラリスの逃げ場所はどこにもないかも」
そんなクラリスの姿を見てルバートは申し訳なさそうな顔をしたと思ったら、次の瞬間にはそれはそれは優雅に微笑んだ。
その時、クラリスは悟った。
殿下はただの爽やかな王子様なんかじゃない。笑顔の裏でいろいろ考えている一番まずいタイプ。
こういうのは良く言えば策略家、悪く言えば腹黒いって言うのかしら…。
能力を使ってももはや意味がないことがわかった今、殿下を出し抜くなんて、そんなの…絶対無理じゃない!!
たった1日でクラリスの戦意はもはや喪失したのだった。
それから踊りの練習や婚約発表の打ち合わせなどで嫌でも毎日城に行かなければいけなくなった。
行きたくないと思っても朝から城に出仕する父と同じ馬車で強制連行されるものだからもうどうしようもない。
どんな時も娘の味方だと信じていた母でさえ殿下の婚約者となれば話は別で笑顔で追い出される。
そして、殿下から毎日届けられる薔薇の花束を見ながらやっぱり花を送ってくれる殿方と結婚するのが1番よねえと呟きながら父を冷たい目で見ていた。
どうやら花の一つも送ってくれない父のせいで母は花が嫌いになったようだ。
「クラリス様、申し訳ないのですが殿下は会議が遅れてましてお待ちいただきます」
「わかりました。全然構いませんわ」
にっこりと笑ってルバート殿下の側近に言う。
実のところあれから毎日城には来ているが、殿下と話す暇もないほどお互いに忙しいのだ。
そして、今日ようやく話す時間が取れた。
結婚がかなりの現実味を帯びてきた以上、殿下と約束したのもあるが向き合う必要があることはわかっていた。
まず向き合うには相手を知る必要がある。
そして、知るためには誰かに聞くという手段がある。
クラリスはちらりと少し離れているところにいる殿下の側近であるアルトを見る。
側近であって護衛ではないのでずっとそばにいるわけではないらしいが執務中の殿下の隣には大体いるのを見かける。
どうやらマナー担当のおしゃべりな先生が言うには殿下と彼は幼なじみらしい。
アルトさんなら殿下の情報をたくさん持っているはずだわ。
「少し伺ってもよろしいですか?アルトさんからみて、ルバート殿下はどんな方ですか?婚約者として知っておきたくて…」
まずは当たり障りのない質問からしてみる。
ちなみにクラリスは殿下の以外では相変わらず完璧令嬢の仮面を被っている。
家と外では振る舞い方違うようにクラリスの外の姿が完璧令嬢なのだ。
ルバートの前では本来の姿で話すことができるが完璧令嬢としての振る舞いが体に染みついて、もはや演じているというよりも当たり前になってきている部分もある。
「ルバート様ですか?そうですね、聡明で剣の腕も相当なもんですし、失敗してる姿を見たことないですね。天才的な方だと思いますよ」
「完璧な方なのですね」
さすが殿下だわ。偽物の完璧令嬢とは違う。
「でも本人は完璧だと思われることが嫌みたいですよ。完璧な人間なんているわけないっていつも言ってますから」
「まぁ…それはそうですわね」
完璧な人なんていない。
完璧に見せているだけ。
自業自得で完璧令嬢と呼ばれる私と違って、殿下は完璧であることが求められている。
そこが私と殿下の大きな違いだ。
殿下の完璧ではいけないというプレッシャーも相当なはずだ。
間違いなく大変なのに殿下はすごいわね。
ルバート殿下のことは素直に尊敬する。
「だから安心しましたよ。クラリス様がいらっしゃって」
「え、私…?」
「ええ。殿下は結婚するなら隣にいて安らげる方がいいとおしゃってましたから、クラリス様は殿下にとって安らぎを与えてくれる方なのですよ」
「安らぎ…?」
「ちなみに殿下の結婚相手は別に貴族であるならば誰でも良いと王様から言われてましたし、侯爵家の娘だから選ばれたとかそういうのは一切ないですから」
「嘘よ。まさか…そんなわけないわ」
「あまり喋るすぎると怒られそうなのでこれぐらいにしときます。でも、私はほぼ答えを言いましたからね?あとはクラリス様次第ですよ」
「でも、そんな…えっどういうことなの?全然わからない。そもそもあの腹黒殿下が安らぎを求めてるかしら?」
クラリスはアルトの言葉に衝撃を受けて素に戻り考えていることがダダ漏れなのだが当の本人は気づいてない。
「殿下のおっしゃる通り、クラリス様は面白い方ですね」
クラリスのその様子を見たアルトはクスリと笑いながら言う。
…え、何?絶対にバカにされたわよね。
やはり殿下の幼馴染なだけあって、アルトさんも優しそうな見た目に騙されてはいけなさそうだ。