予防線。それが何を意味しているのかわからないし、知りたくもない。
「それに、乃々に近づくような男がいたら消すから平気」
“にっこり”と効果音がつきそうなほど胡散くさい笑みを浮かべた京壱に、我が弟ながらゾッとした。
「……あっそ」
多分、これ以上聞かないほうがいい。
知らぬが仏、とはよく言ったものだ。
昔からとんでもなかったからな……。
正直、何度かこいつとは血が繋がってないんじゃないかと疑ったことがある。
そう思うくらい、こいつの、この狂愛じみたところが理解できなかった。
でも、莉子と出会ってから少しだけわかった気がする。
莉子に近づく男は片っ端からいなくなればいいと思うし、莉子に向けられる視線にさえ嫉妬してしまう。
だから、今なら間違いなく言いきれる。
京壱と俺は、紛れもなく血の繋がった兄弟だ。
「あ、俺このあと乃々と出掛けるからそろそろ帰るよ」
腕時計を見て、カバンを手に持った京壱。
「ん。お幸せに」
「兄さんこそ。また詳しく聞かせてよ」
そう言って、笑顔で手を振って出ていった。
付き合ってはないみたいだけど、実質、付き合っているようなもんなんだろうな……。
それにしても、相手の子がかわいそう。
あんなのに好かれて、同情する……。
そんなことを思っていると、スマホからメッセージの受信を知らせる音が鳴った。
誰だ?と思いながらスマホを開くと、映された【莉子】という文字を見て、慌ててメッセージを開く。
【今日はお疲れ様です! ゆっくり休んでください】
そのメッセージ1つで、試合の疲労が全部消えていった。
可愛らしいスタンプ付きの、莉子からのメッセージ。
「はぁ……」
メッセージ1つでこんなに浮かれるなんて、莉子に会う前の俺が見たら発狂しそうだな。
【ありがと。莉子もゆっくり休んで】
そう返事を打って、莉子からのメッセージを何度も読み返す。
好きだ……もう、その言葉しか出てこないくらい。
会いたい、顔が見たい、声が聞きたい。
日に日に、そんな感情が抑えられなくなってきていた。
本当は、今すぐに会いに行って、抱きしめて、もう一度好きだと伝えたい。
こんなふうに誰かのことを思ったことがなくて、どうすればいいのかわからない。
なぁ、そろそろ俺……我慢できそうにない。
今は莉子に好きになってもらいたくて、必死に優しい男を演じているけど……。
自分のものにしたくてたまらない。
莉子は俺のものなんだって、全世界に宣言してやりたい。
近くにあったベッドに寝転んで、深いため息をついた。
莉子……。
「頼むから、俺のこと好きになって……」
1人きりの部屋で、届くはずのない想いを呟いた。
【side 湊 end】
放課後。
急いで教室を出ると、廊下で待っていてくれた湊先輩を見つける。
「お待たせしてすみませんっ……」
「全然待ってないから平気。帰ろ」
「はいっ!」
2人で並んで、廊下を歩く。
相変わらず周りの生徒の視線は気になるけど、もう慣れつつあった。
今はテスト1週間前で、部活と委員会活動の免除期間。
こんな明るいうちから湊先輩と帰れるのは珍しくて、変な感じがする。
そういえば、湊先輩っていつ生徒会の仕事をしているんだろう?
今は免除中だからないだろうけど……。
「湊先輩、生徒会の集まりはいつあるんですか?」
「基本朝。仕事も全部朝してる」
気になっていることを聞くと、すぐに返事が返ってきた。
「とはいえ、部活の朝練あるし……。会議のときだけは朝練休んで出てるけど」
「大変ですね……」
「全然。でも、テスト期間は部活も生徒会もないし、毎日莉子と帰れて嬉しい」
そう言って、爽やかな笑顔を浮かべる湊先輩に、胸がキュンッと高鳴る。
何度見ても、この笑顔はずるい。
この笑顔にときめかない女の子なんて、いないんじゃないかなと思う……。
「わ、私も……湊先輩と帰るの、楽しいです!」
そう本音を伝えると、私を見る湊先輩の目が大きく見開かれた。
「ほんとに?」
「はいっ」
こくりと頷くと、なぜか私から顔を背ける湊先輩。
……? どうしたんだろう?
心配になって顔を覗こうとしたら、「ダメ」と阻止された。
「ちょっと待って。今俺のほう見ないで。すっげー情けない顔してると思うから」
……え?
よく見ると、湊先輩の耳が赤く染まっている。
先輩……。照れてる……?
可愛すぎる反応に、またしても胸がキュンッと音を鳴らした。
「あー……。ずっとテスト期間ならいいのに」
ようやく顔をこちらに向けてくれた湊先輩が、そう言って笑う。
「でも、テスト勉強は好きじゃないです。ふふっ」
私も、そう言って笑顔を返した。
「莉子って頭いいんでしょ?」
「え? そんなことないですよ?」
「でも学年で10番には入ってるって、富里が言ってたけど」
さ、紗奈ちゃん、そんなこと言ったの……?
確かに順位は1桁をキープしているけど、トップ5には入ったことがない。
「万年首席の湊先輩に比べたら、まだまだですよ」
サッカー部でもエースで、生徒会長もしていて、その上頭もいいなんて……。
「なんでもできる湊先輩はすごいです……!」
改めて、尊敬するところばかりだ。
「じゃあ、今回も頑張る」
「私も頑張りますっ!」
2人で見つめ合って、どちらからともなく笑う。
なんだか、今回のテストはいつもよりやる気が出てきたかもしれない……!
私も湊先輩と釣り合えるように、頑張ろう!
……ん?
釣り合うって……。どうして?
「あのさ……テスト終わったら、どっか行かない?」
「え?」
そんなことを考えていると、湊先輩からそう提案された。
「最終日の放課後。……遊ぼ」
遊ぶって……。2人で?
「……はい。ぜひ!」
そういえば、湊先輩と知り合ってもう1ヶ月くらい経つのに、2人でどこかへ行ったことはない。
いつも委員会終わりに家に送ってもらうか、紗奈ちゃんと朝日先輩と4人でご飯を食べるかのどちらかだった。
2人……。これってもしかして……。デートってことだよね?
どうしよう……。急に、ドキドキしてきた……。
テストが終わったら、湊先輩とデート……。
……勉強、頑張ろう。
放課後は委員会がないといっても、月に何度か3時間目と4時間目の間にある20分休憩に委員の仕事があるため、3限目が終わってすぐ、小会議で席をはずす先生に代わり、保健室で待機していた。
「今日は人来ないなぁ……」
いつもなら1人2人来るけど、今日はその気配がない。
そう思っていたとき、保健室の扉が勢いよく開かれた。
「保健委員!! ちょっと来て!!」
入ってきたのは女子生徒で、開口一番そう告げてくる。
「え? どうしたんですか?」
「ケガ人がいるんだけど、足をケガして立ち上がれないって……! お願い、早く!!」
え? 立ち上がれないほどのケガ!?
「わ、わかりました……!」
私じゃ力不足かもしれないけど、先生が戻ってくるまで他の委員もいないので、今動けるのは私しかいない。
救急道具を一式持って、その女子生徒のあとを走って追いかける。
「ここ!」
「はいっ。……って、え?」
女子生徒に案内された場所に、一瞬不思議に思った。
体育館倉庫……?
こんなところでケガしたの?
でも、もしかしたら器具が倒れてきたとか、そういうことかもしれない……!
ひとまず言われるがまま中に入って、ケガ人を探す。
でも、どうやらケガ人らしき人は見当たらない。
「あの、どこにケガした人が?」
――ガシャンッ!!
振り向いたときには、扉が大きな音を立てて閉められていた。
……え?
「バーカ。そんなのいないわよ」
扉の向こうから聞こえた女子生徒の言葉に、サーッと血の気が引くのを感じた。
「……っ、ま、待って……!」
どうして、ドア閉めて……?
「あんた最近調子乗りすぎ。1年のくせに、湊くんに近づいてんじゃないわよ!!」
さっきとは、別の人の声。
……え? 湊……先輩?
「そこでせいぜい反省してなさい」
どうやら私を閉じ込めたのは3人組らしく、ケラケラと笑う声が聞こえた。
う、嘘っ……。
「あ、開けてください……!」
中から、ドンドンと扉を叩く。
けれども一向に返事はなくて、遠のいていく足音と笑い声だけが聞こえた。
「ど、どうしよう……」
私、はめられちゃったんだ……。
“湊くん”って言ってた、あの人たち……。
もしかして、湊先輩のファンの人……?
……って、そんなこと考えている場合じゃない。
助け、呼ばなきゃっ……。
そう思ってスカートのポケットに手を入れる。
「……っ! スマホ、カバンに入れっぱなしだ……」
完全に、外との連絡手段がないことを悟り、私は途方に暮れた。
「どこかから出られないかな……」
閉じ込められてから、1時間くらいが経ったと思う。
窓のない真っ暗闇の体育倉庫で1人、だんだん恐怖心が増してくる。
ただでさえ暗いところが苦手で、閉所がダメなのに。
せめて昼休みや放課後になれば誰かが来てくれると思っていたけど……。今はテスト前で部活動はないし、今の時期、体育の授業はマラソンの練習で倉庫にある器具は使わないから、ここに来る人もいないことに気がついた。
もしかしたら、このまま誰にも気づかれずに夜になってしまうかもしれない……。
そんなことを考えたら、怖くて身体が震えだす。
「……っ、やだ……」
私、このままどうなっちゃうの……?