静寂を破った湊先輩の声は、申しわけなさそうで、でもどこか優しさが含まれているような声色をしていた。
「友達思いなんですね」
「友達……っていうか、兄弟みたいな感じ。うるさいけど、信用はしてる」
ふふっ、さっきはきついこと言っていたけど、なんだかんだ、とてもいい関係なんだろうなぁと思った。
「はい。伝わってきました」
笑顔を浮かべて、湊先輩のほうを見る。
するとなぜか、湊先輩は目を見開きながら私を見つめ返してきた。
「……湊先輩?」
どうしたんだろう……?
「あ……ごめん。可愛かったから見惚れてた」
「……っ、え」
今、可愛いって……言った?
恥ずかしげもなく言葉にする湊先輩に、こっちが照れてしまう。
ま、また顔が熱くなってきた……。
「あのさ……いつも放課後って何してんの?」
……放課後?
「えっと、月・水・金は夕方6時まで保健室にいます。保健委員なので、先生のお手伝いを……」
「今日も?」
「はい」
今日は水曜日だから、委員としての仕事がある。
先生のお手伝いというより、先生がいない間、先生の指示どおりケガ人や病人の手当てをするお仕事だ。
「俺も6時まで部活なんだけど……。終わったら、一緒に帰らない?」
私の顔色を窺うようにじっと見つめて、そう言ってきた湊先輩。
「は、はい」
断る理由もなくこくりと頷くと、湊先輩は嬉しそうに口角を緩めた。
「ありがと。それじゃあ終わったら迎えに行く」
“迎えに行く”
その言葉に、くすぐったい気持ちになる。
昨日は冗談だと思って、約束を破って紗奈ちゃんと帰りそうになったけど……。
「今日は……ちゃんと、待ってます」
気恥ずかしくて、湊先輩から視線を逸らしながらそう言った。
なぜか返事がなくて、シーンとその場が静まる。
あ、あれ?
私、変なこと言った……?
「湊、先輩……?」
心配になって湊先輩のほうを見ると、なぜか先輩は、真剣な表情で私を見つめていた。
ドキッ。
綺麗な瞳にじっと見つめられ、逸らせなくなる。
ゆっくりと、目の前に湊先輩の顔が近づいてきた。
湊、先輩……?
顔が、近……い……。
――ガチャリ。
「ただいー…………あれ、タイミング悪かった……?」
扉が開いて、朝日先輩と紗奈ちゃんが入ってくる。
私は反射的に、湊先輩から距離を取った。
……び、びっくり、した……。
今……。
……キ、キス、されるかと思った……。
「えっと、俺らもう1回どっか行こうか?」
「……もうお前喋んな」
「えー、ひっど!」と不満をこぼしながら不機嫌アピールをする朝日先輩に、ホッとする。
よかった、2人が戻ってきてくれて。
もしあのまま、2人が戻ってこなかったら……。
どう、なっていたんだろう……。
……ダメだ。変なことを考えるのは、やめよう……!
慌てて首を振って、変な想像を振り払う。
ただ心臓だけが、ドキドキと鳴り止まないままだった。
「それじゃあ、会議に行ってくるから、少しの間あけるわね」
「はい! いってらっしゃい先生!」
「ふふっ、今日も莉子ちゃんは可愛いわ~」
私の頭をわしゃわしゃとして、出ていった保健の先生。
よし、先生がいない間、しっかり仕事しなきゃ。
そう気を入れ直して、頰をぺちっと叩いた。
放課後の保健室は、訪問者が多い。
「保健委員ー! ケガ人出たから手当てお願い!」
マネージャーらしき女子生徒が、ユニフォームを着た男子生徒を連れて入ってきた。
「はーい!」
男の子を入れるや否や、「あとはよろしく!」と去っていったマネージャーさん。
頼まれた私は、ケガ人の男子生徒を椅子に座るよう案内した。
うわ……酷いケガ……。
見ているこっちが痛くなるようなケガを膝に負ったその男子生徒は、痛みを堪えるように唇をきゅっと噛みしめている。
多分陸上部員で、練習中に転んでしまったみたいだ。
「大丈夫ですか? 結構痛みますか?」
「ええっと、まあまあ……」
ケガの具合を確認しようと質問した私に、男子生徒はそう返事をした。
でも、多分すごく痛いんだと思う。
「すぐに消毒しますね」
手当てをする器具を一式そろえて、男子生徒の前にしゃがみ込む。
「ちょっと染みるかもしれないので、少しだけ我慢してくださいね?」
じっと見つめてそう言うと、なぜか男の子は顔を赤く染め、「は、はい」と首を振る。
そうだよね、怖いよね……。できるだけ痛くしないように、そーっとそーっとしなきゃ。
慎重にケガ周りの砂や不要物を拭き取り、ガーゼで止血をする。
ケガの上から大きめの救急絆創膏を貼り、取れないようにネットを巻いた。
「はい! 終わりましたよ!」
もう大丈夫ですよと安心させてあげたくて、彼に笑顔を向けると、なぜかさっきよりも顔を赤くしている。
痛む傷口を我慢しているからなのか、もしくは私の手当てが下手だったからなのか……。
もし後者だったらごめんなさい……!
「お風呂に入るときは、新しい絆創膏に交換してくださいね! 何もしないで放っておくと化膿する場合もあるので、ケガ周りは常に清潔に保ってください」
交換用の絆創膏を念のため3枚、男子生徒に渡す。
「痛みが続いたり、手当てが必要なときは、気軽に保健室に来てください」
じっと私を見つめ、相変わらず顔を真っ赤にさせながら彼はコクコクと頷いた。
「は、はい……!」
「お大事にっ!」
軽く頭を下げて、彼を送り出す。
ふぅ……。一段落した……。
部活動中のケガ人は多く、放課後はいつも気が抜けない。
小さなケガから大きなケガまで、1日15人くらい手当てをすることもある。
今日は比較的、少ないほうかなぁ……。
1人そんなことを考えていると、背後から言葉を投げられた。
「莉子ちゃんと同じ日はほんと人が多いなぁ」
声の主は、同じ保健委員の兼山先輩。
3年生で、唯一親しい人。紗奈ちゃん情報によると、女の子から人気らしい。
確かに、優しくて紳士的な人だから、人気なのも頷ける。
「え? そうなんですか?」
私と同じ日って……どういう意味だろう?
「うん。みんな、ちっちゃい傷でも、ここぞとばかりに手当てしてもらおうと思ってんじゃない?」
「さすが保健室の天使だね」と言って微笑む先輩の言葉が、まったく理解できない。
ここぞとばかり? 保健室の天使?
なんの話……?
「先輩、さっきからなに言ってるんですか?」
そう言って首を傾げると、先輩はくすっと笑った。
「まさかみんな、莉子ちゃんがここまで鈍い子だとは思ってないだろうなぁ」
「鈍い? 私、手先鈍いですかっ……?」
器用なほうではないけど、手当ては慎重にやっているつもりだったのに……!
「ううん、こっちの話」
はぐらかすように話を止めた先輩に、軽くショックを受けた。
私、手当て下手だったんだ……。
む、向いてないのかな……。
肩を落としながら、ちらりと保健室の壁時計に目をやる。
……って、もうこんな時間だ!
「先輩、そろそろ5時ですよ!」
確か兼山先輩、今日はバイトがあるから5時までって言っていたはず。
「あー、ほんとだ……」
先輩は時計を見て、残念そうに唇を尖らせた。
「もうちょっと莉子ちゃんと2人でいたかったなぁ」
そんなこと言ってくれるなんて、先輩は優しいな。
「ありがとうございます。でも私、面白い話とかできませんよ」
きっと一緒にいても楽しくなんてないだろうけど、お世辞はありがたく受け取っておこう。
「違う違う。そういうことじゃないよ」
え?
「莉子ちゃんといると、癒されるから」
「……?」
今日の先輩は、わからない話ばかりする。
私といると癒されるってどう意味?
首を傾げると、先輩は何やら意味深に口角を上げた。
それは、いつもの優しい先輩の顔じゃなかった。
「ねぇ莉子ちゃん」
1歩、2歩と、ゆっくりと私のほうへ近づいてくる兼山先輩。
どうし、たんだろう……。
なんだか兼山先輩……怖い。
「2年の瀬名と付き合ってるってほんと?」
「へ……?」
先輩の質問に、思わず変な声が出た。
どうして、先輩がそれを……!
「今その話題で持ちきりなんだけど」
ああ、なるほどと納得してしまう。
湊先輩は人気者だから、きっと噂が回ったんだ。
「つ、付き合ってはいません……。まだ……」
お友達から、という関係だから、間違いではない。
ただ、はっきりと言いきれなかったのはどうしてだろう。
まだ……何?
自分自身に問いかける。
「……まだ?」
私と同じところが気に留まったのか、先輩はピクリと眉を動かした。
「はい……」
今は“まだ”付き合っていない。
だけど……付き合ってないって言いきるのは、嫌だった。
知れば知るほど、湊先輩のことを好意的に思う自分がいたから。
昼休みのことを思い出して、顔が熱くなるのを感じた。
「何その顔。妬いちゃうなー」
相変わらずにっこりと意味深な笑みを浮かべながら、じりじりと近づいてくる先輩。
どうすることもできず立ち尽くしていると、あっという間に先輩は目の前までやってきた。
ぐいっと顔を近づけて、至近距離で見つめてくる先輩。
「あ、あの……近い、です……!」
何、やだ……怖い。
先輩、どうしちゃったの……?
「俺、莉子ちゃんとちょっとずつ仲良くなろうと思ってたのに」
「え?」
「他の男に取られるのも気に入らないし、ましてやその相手が瀬名なんて、すっごいムカつく」
「あ、あの……」