「いや、遊んでたとか、そういうんじゃないっぽいから。彼氏彼女ってやつに憧れて、告られてつきあってみたけど、どの子にも『なんか違う』って言ってふられたらしい。もっとも、智也自身もそんな風に言われても特に傷つかなかったから、きっと『恋愛ごっこ』をしてみたかっただけなんだろうな、って」
「ふう……ん」
「だからさ。あいつも、確かにもてることはもてるけど、奥手な由奈と大して変わんねーよ」
うつむいてしまったわたしを、颯ちゃんが明るく励ました。
「颯ちゃん」
「ん?」
「ありがとう。その、色々、聞き出してくれて」
「何だよ改まって。ま。正直俺も興味あったから」
「森下くんの恋愛話に?」
「まーな」
「意外。颯ちゃんって、まったくそういうのに興味ないのかと思ってた」
「まったく興味ないってことは……、ねーよ」
そうつぶやくと、颯ちゃんはわたしから目をそらした。
どうしてだろう。夕暮れのオレンジに照らされたその横顔が、少し……、さびしそうに見えた。
だから、
「わたしも、協力するからね!」
わたしは思わず、明るい声をあげたんだ。
「は? 協力?」
「うん。もしも颯ちゃんに好きな人ができたら、わたし、精一杯協力するから!」
とびっきりのスマイルを向けたのに、颯ちゃんは苦笑い。
「ばーか。由奈には無理だよ」
「えっ? な、なんで?」
「なんででも、だよ」
そう言って、わたしの頭に手をのばして……。
いつもみたいに、くしゃっと、頭をかきまぜられると思って身構えたのに、颯ちゃんはためらいがちに手を引っ込めた。
「颯、ちゃ……」
また、だ。
また、颯ちゃんの瞳が、切なげにかげっている……。
と、思った瞬間。
「じゃーな。さぼらずに、ちゃんと課題やれよ」
颯ちゃんは、いつもの調子で明るく言って、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「なっ……! そんな、先生みたいなこと言わないでよっ」
そういえば、リーダーの課題が大量に出てたんだった。
嫌なことを思い出しちゃったよ。
颯ちゃんは、くすくす笑いながら、自分の家の敷地に入っていった。
翌日の、朝。
「お願いっ! 吉井! 見せてっ!」
絵里の席の前で、森下くんが両手を合わせている。
「まじ一生のお願い!」
リーダーの課題をすっかり忘れていたらしい森下くんは、絵里が英語が得意と聞きつけて、写させてと懇願しているんだ。
「ありえない。ひとが一生懸命頑張った課題を、簡たんに『写させて』とか、よく言えるよね?」
絵里はつれない。
ちょっと冷たすぎない? 見てるわたしがハラハラしてしまう。
すると絵里は、そばにいるわたしに、ちらっと目線を送った。
えっ? 何?
絵里は、口パクで何か言ってる。
……由奈が、見せて?
あっ! そういうことか!
にぶいわたしは、ようやく絵里の企みに気づいた。
わたしが森下くんに課題のノートを貸すように促してるんだ。
そうだよね、これはチャンスだ。ノートの貸し借りで森下くんと話す機会が増えるし、笑顔で「ありがとう」とか言ってもらえるかもしれないし……。
想像すると、かあっと顔が熱くなった。
でも、わたしの課題、眠いのを我慢しながらやったから、後半はやっつけになっちゃったし、間違いがたくさんあるかも。字も雑になってるし……。
わたしはぶんぶんと首を振った。
そんなことに構ってられない!
せっかく絵里がいいパスを送ってきてくれてるんだ。これを受けずにどうするの!
「あ、あの」
がんばって話しかけようとするけど、声が小さくて届かない。
森下くんは、ずっと絵里と押し問答してる。
「今度から吉井のこと『吉井様』って呼ぶからさあ」
「あんたに女王扱いされたところで」
「ところで吉井。アイスとケーキ、どっちが好き?」
「は? 急に話変わりすぎでしょ」
「いいからー。どっち?」
「ア、アイスだけど……」
「ふーん」
森下くんはにやりと笑うと、絵里のノートをさっと取り上げた。
「んじゃ、アイスで決まりね」
「なにが?」
「最近、並木坂通りにアイス専門店ができたらしいんだよ。今日の放課後、部活休みだから、そこでおごる。だからこれ、写させてね」
「待ってよ。そんな一方的な取引……」
絵里は眉を下げてわたしを見た。
絵里、ごめん。わたしがぐずぐずと勇気を出せなかったせいで、そんな困った顔をさせて……。
絵里はふうっとあきらめのため息をつくと、
「わかった。そのかわり、由奈も一緒に行くから」
と、言った。
わ、わたしもっ?
いきなりの展開に、心臓がバクバクしはじめた。
「由奈ちゃんも? いいよ、一緒に行こう」
森下くんはにっこり笑った。
まぶしすぎる笑顔に、くらくらする。
「んじゃ、颯太も誘って、4人で行こっか」
さらりと、森下くんはそうつけ加えた。
颯ちゃんも……。
よかった。
颯ちゃんも一緒だと思うと、なぜかほっとした。
森下くんと放課後過ごせるのはうれしいけど、どきどきして何を話していいかわかんないもん。
つまらない子だって思われたらいやだし、絵里にも負担になるかも。
さっきも結局、絵里からのパス、うまく生かせなかった。もどかしい思いをさせるかもしれない……。
「それじゃ、これ、急ぎで写させてもらうわ。まじ、ありがとうな。吉井」
森下くんは人懐っこい笑顔を絵里に向けると、ノートを持って自分の席に戻っていった。
そして、放課後。
約束通り、4人で、学校帰りに街まで足を伸ばした。
今日は天気が良くて、日差しも強い。
まだ4月下旬だけど、暖かいを通り越して、暑いぐらい。歩いていると、シャツの中がうっすら汗ばむほど。
「やっぱアイスにして正解だったよ」
絵里がつぶやくと、森下くんが「だな」とあいづちをうった。
森下くんは、カッターシャツの袖をひじのあたりまで無造作にまくっている。
細いけどほどよく筋肉がついてて、男の子の腕だなあ……、なんて、つい見てしまう。
心臓がどきどきはずんだ。
好きなひとと一緒に歩いているなんて、夢みたい。
通りには、おしゃれな雑貨屋さんやカフェがいくつも立ち並んでいる。
「絵里のバイト先もこのへんだよね?」
隣を歩く絵里に話を振ると、絵里はうなずいた。
「ストロベリームーンっていうカフェだよ。今度お茶しにおいでよ」
「うんっ」
「えっ。何? 吉井ってバイトしてんの?」
森下くん、興味しんしんだ。
「まあね。週二でシフト入ってて、このへんもよく来るから、森下が言ってた最近オープンしたアイス屋さん、じつは気になってたんだよね」
「じゃあちょうど良かったじゃん。俺に感謝だな」
「調子に乗るんじゃない」
絵里がつっこむと、森下くんはあははと陽気に笑った。
絵里と森下くんの会話は、テンポよくぽんぽんとはずんでいく。
わたしはなかなか入っていけない。
小さくため息をついたわたしに、颯ちゃんが小声で、
「大丈夫か?」
と、わたしにささやいた。
「大丈夫って、なにが?」
「いや。由奈、めちゃくちゃ緊張してるから」
「うそ。わかる……?」
「うん。表情も固いし、ガッチガチ」
「絵里や颯ちゃんとしゃべるみたいに、自然に話かけられればいいんだけど……。からまわりしちゃったらどうしようとか、楽しい空気こわしちゃったらどうしようとか、不安になっちゃうんだよね」
「考えすぎ」
颯ちゃんは苦笑した。
「もっと肩の力抜けって。空気こわすとか、ないから。仮に、ちょっとぐらい空気読めないようなこと言ったとしても、あいつ、そういうのぜんっぜん気にしないから」
「そうかな」
「そうだって」
颯ちゃんのやわらかい笑顔。
わたしは「そうだね」とうなずいた。
颯ちゃんにはげましてもらったら、余計な力がすっと抜けて、気持ちがちょっと楽になった。
そうだよね、わたしはいつも考えすぎる。昔から、怖がりなんだ。
「颯太。由奈ちゃん。ここだよ」
森下くんがちょっと先にあるお店を指さした。
白とブルーのマリン風の、かわいいお店。テラス席もある。
「今日、わりとすいてるね。土日とか、人すごいもん」
絵里が言った。目が輝いている。
絵里、アイス好きだからなあ。
お店に入ると、大きなディッピングケースに、色とりどりのアイスクリームがたくさん。
カップに好きなフレーバーのアイスを組み合わせて盛ってもらう。
フルーツはもちろん、和風のフレーバーのアイスもあるから、白玉やあんこもトッピングできるみたい。
せっかくだから、オープンテラスで食べることにした。
ウッドデッキのテラス席。モスグリーンのパラソルつきの丸テーブルに、絵里とわたしが隣あって座ると、森下くんはすぐに絵里の横の椅子にすわった。
ちょっとだけ、しゅんとしてしまう。
森下くん、全然迷いがないんだもん。
やっぱりわたしの横より、絵里の横がいいよね。話も合うみたいだし。
必然的に、颯ちゃんがわたしの隣に座ることになった。
颯ちゃんのカップには、アイスとトッピングのフルーツ、山盛り。
「颯太だけデカ盛りパフェみたいになってるんだけど」
森下くんが笑った。
「颯ちゃんは見かけによらず甘党なんだよ」
教えてあげると、
「まじで? 知らなかった」
と、森下くんは目を丸くした。
「見かけによらずってなんだよ」
颯ちゃんはちょっぴりむすっとふくれて、すねた。
「かーわーいーいー」
森下くんが楽しそうにからかうと、颯ちゃんはますますむくれてしまった。
わたしと絵里は顔を見合わせてくすくす笑った。
やった。わたし、さっき、すっごくナチュラルに森下くんに話かけることができた。
たったそれだけのことだけど、うれしくて、足元がふわふわする。
風に吹かれながらアイスを食べる。
「吉井、ほんとにうまそうに食うなあ」
森下くんが、アイスをかみしめる絵里を見てくすくす笑った。
「だってほんとにおいしいんだもん。悪い?」
「悪いなんて言ってねーだろ? ってかそれ、何味?」
「はちみつと柚子。緑色のはマスカット」
「えー。めっちゃさわやかじゃん。ひと口ちょうだい?」
「は? 何言ってんの? 駄目に決まってるじゃんっ」
絵里がむきになると、森下くんは面白そうにけらけら笑った。
森下くん……。ずっと、絵里にばっかりちょっかい出してる。
さっきまでの幸せなふわふわが、あっという間にしぼんでいく。
「由奈。溶けるぞ」
颯ちゃんに言われて、我に返った。
あわててアイスを食べる。
冷たくて、舌のうえですっと溶けていく、上品な甘さ。
「由奈はアイスと言えばバニラだよなあ。昔っから、ぜんぜん冒険しない」
「だって好きなんだもん」
あんなにたくさんの種類のフレーバーがあったのに、結局スタンダードなバニラを選んでしまった。迷った挙句、トッピングもしなかったし。
アイス選びレベルでも守りに入ってしまうわたし。つまんない人間だよね……。
なんて、マイナス思考の沼に落ちてしまいそうになった時。
「おれの、ちょっと食う? これ、いちごの果肉入りだぞ」
颯ちゃんが、自分のアイスのカップを差し出した。
「えっ? いいの? ありがとう」
颯ちゃんのストロベリーアイスを、自分のスプーンでちょこっとすくった。
「おいしっ! 甘酸っぱい」
「だろ?」
ふと、視線を感じた。
森下くんがにやにや笑いながらわたしたちを見やっている。
「やっさしーな、颯太は」
「べっつに?」
「っつーか、さすが幼なじみ。距離感近いっつーか」
そんなふうに言われて、わたしはきょとんと目をしばたたいた。
なにか変だった? 距離感?
「すっげー仲良くて羨ましいなーってイミだよ」
森下くんは片肘をついて、にいっといたずらっぽい笑みを浮かべた。
「俺にも由奈ちゃんみたいな、可愛い幼なじみがいたらなー」
「かっ……」
可愛い? わたしのこと?
森下くんはじっとわたしを見つめている。
ドキドキして、顔が熱くて、わたしは思わずスプーンを落としてしまった。
「そういうリアクションもいちいち可愛いし」
森下くんは更にたたみかける。
「由奈のこと、からかうんじゃねーよ」
颯ちゃんはむすっとふくれると、森下くんのことを軽くにらんだ。
「からかってなんかないけど。可愛いと思ったからそう言っただけ」
森下くんはさらりとそう言うと、自分のアイスをすくって食べた。
「颯太もそう思ってんじゃん?」
「今さら可愛いも何も。兄妹みたいなもんだから」
颯ちゃんは、そっけなく答えた。
「そ、そうだよ。近くにいるのが当たり前だったんだもん。ほ、ほぼほぼ兄妹だし」
わたしはがんばって反論した。
反論、っていうか……。
ちゃんと森下くんに伝えておかなきゃと思ったんだ。
わたしと颯ちゃんは、たんなる幼なじみなんだってことを。
颯ちゃんがどんなにかっこよくなって、女の子たちからキャーキャー騒がれるようになっても、変わらない。
わたしにとって颯ちゃんは「大切な幼なじみ」で、それ以上の感情なんてない。
颯ちゃんだって同じだ。わたしのことを、きっと、手がかかる妹みたいだと思ってるだろうけど、それ以上でも以下でもない。
わたしたちの、この、居心地のいい関係は、ずっと、ずーっと、変わらないんだ。
「ふうん? ほんとに?」
森下くんはわずかに首をかしげた。
「じゃあさ、由奈ちゃんは、もしも颯太に彼女ができたらどうするの?」
「え?」
颯ちゃんに、彼女?
「彼女がやきもち焼いて、颯太に、わたし以外の女の子とは仲良くしないでー、とか言うかもよ?」
「そんなこと……」
考えたこと、なかった。
「ちょっと森下。もうやめなよ」
絵里が森下くんを小突く。
「由奈にそんなこと聞いてどーすんの? いいじゃん、ふたりは仲のいい幼なじみなんだから、それで」
「吉井の言う通り。もしおれに彼女ができても、由奈は今のまま、変わんねーよ」
颯ちゃんは、さらりとそう言って、残りのアイスクリームを食べた。
「うまいな。おれ、この店気に入った」
にかっと、颯ちゃんは笑う。
どうして? 胸の中が、ざらっとしている。
気を取り直して、アイスを食べようとしたけど。
わたしのアイスは、もう、どろどろに溶けてしまっていた……。
アイスクリームショップを出たあと、しばらく4人で街をぶらぶらして、解散。
出身中学が違う森下くんだけバスに乗って帰って、わたしと絵里と颯ちゃんは3人で歩いて帰路についた。
楽しかったけど……、疲れた。
自分の部屋で、着替えもせずにベッドにからだを投げ出す。
何度もため息をつきながら、寝返りをうつ。
お店を出た後も、結局、森下くんは絵里にばかり話しかけていた。
絵里はそれでも、なんとかわたしも会話に入れるように、話を振ってくれたりしたんだけど。
森下くんって、もしかして……。
その時、わたしのスマホがぴこんと鳴った。
見ると、絵里からのメッセージ。
“今日、楽しかったね”
って。
わたしもすぐに、うれしそうにはしゃいでいるねこのキャラのスタンプを送った。
ほんとは、こんなに浮かれた気持ちじゃないけど……。
胸の中がもやもやする。これって、嫉妬?
森下くんに気に入られてるっぽい絵里に対して。
森下くんと気さくに話すことのできる絵里に対して。
はあーっ、と、特大のため息が出た。自己嫌悪。
絵里はわたしに協力してくれているのに、こんな感情を持ってしまうなんて、最悪。
わたしはスマホにメッセージを打ち込んだ。
“森下くんのこと、どう思う?”
送ったあと、これじゃまるで絵里の気持ちを疑っているみたいな言い方だ、って気づいて、あわてて、
“どんな人だと思った? 颯ちゃんはいい奴だって言うけど”
と、つけ足した。