「……………」

「……………」


先生がいてくれたことでなんとか調和を保てていた空間が、一気に温度が下がった気がする。


「………えと、こ、これくらいの量なら、私一人でもできそうだし、その…」


言外に1人でやらせてほしいといったつもりだったが、彼は無言のまま束のプリントを大体の量に二分し、一方を私によこした。


やっぱり二人でやるのか…。


手伝ってくれるのは嬉しいけれど…ちょっともう息が苦しい。


なにも話さないまま、私と来栖くんは近くの席の机を借りて、並んで黙々と作業を開始する。


淡々と紙の擦れる音だけが響く、静かな空間。


強い西日が教室のなかを橙色に染めているのに、私と来栖くんの間に流れる空気だけ寒々としている…気がする。


あ、電気、つけたほうがやりやすいかな…。


私はプリントを置き、ドア近くのスイッチに向かおうとした。


「お前、見てたの」

「!」


ピシリと足が石化する。


なにを、なんて聞くまでもない。


「…え、えっと……」


来栖くんはプリントに目を落としたまま、作業の手も止めない。


頭が真っ白になり、視界がぐるぐるまわるような錯覚を覚えた。


「た、たまたま、偶然居合わせてしまって…全然聞くつもりはなかったんだけど、立ち去るタイミングを失っちゃって…その」


この期に及んでなんとか逃げ口を探す私。


来栖くんが顔をあげる。鋭利な視線が、文字どおり針のようにぷすぷすと突き刺してくるようだ。


ああもう、これじゃだめ!


こういう時は潔さが大事だ。


私は自分を叱咤して、勢いのまま来栖くんに向きなおり、思いっきり頭を下げた。


「すみませんでした!! 聞いちゃったのは本当に偶然だったんです。たまたま教室に戻ってきたら2人が教室にいて、入る間がなくてちょっと様子を見ようと思ってただけで…でも盗み聞きなんて最低なことしてしまいました、本当にごめんなさい!!」

「何謝ってんの?」


あっけらかんとした一言が即座に返ってきて、私は「はっ?」と呆けた声を出したしまった。


体裁も恥も投げ捨てた渾身の謝罪に、そんな一言が返されるとは思っていなかった。


「い、いや……盗み聞きなんてよくないことしちゃったし…」

「あの女が勝手に喋ってただけだろ」


それは、全体的にはそうなんですが…。


だけど聞かれたら嫌なことだったよね? 有須さんは告白しようとしてたし、デートの誘いまでしてたし、来栖くんは思い切りそれを断ってたし…。


有須さんにとってはもちろんだけど、来栖くんにも女の子をフってしまった場面なんてばつが悪いものじゃないのかな。


それとも、本当に気にしてないの?


「で?」

「『で』?」


ぽかんとする私に、淡々とした口調で来栖くんは言う。


「どうすんの?」

「どう、とは…」

「聞いた話」

「も、もちろん記憶から消しておくつもりで」

「どうせなら言いふらせば?」

「言っ…!?」


こ、この人なんてこというの!?


信じられない思いで私は首をぶんぶん横に振った。


「そんなことしないよ! どう考えても部外者に聞かれたらまずい話だったじゃん…! 有須さんにとっても個人的な話だったし、仮にもし、私がありのままを言いふらしたとして、被害をうけるのは来栖くんもだと思うし…!」


すると彼は意外そうな表情になって、「俺が?」とつぶやいた。


私はこくりと頷く。


「本当に見たまま話すんだったら、来栖くんが、その、有須さんに対してすごい冷たい言い方をして突き放したことも話すってことでしょう? そんなことしたら、来栖くんの…風評被害…みたいなものもでるんじゃないかなって…」


有須さんは大勢の女の子たちに影響力がある子だ。女子にも男子にも絶対的にモテモテである。


彼女が涙しながら今日の事を話したら、大半の人は有須さんに共感すると思う。


「もしかしたら来栖くんのこと、『乙女心を残酷に傷つけるヒドイ男』みたいなイメージをもったりして、根も葉もなく中傷する子が少なからずいると思って」

「それが?」

「え…」

「嘘じゃねえし」

「そ、そうかもしれないけど…だけど、言いふらすなんてだめ! 有須さんの名誉もあるし、来栖くんのことも考えたら、そんな噂なんかたたせたくないよ」


考えすぎと言われてしまえばそれまでだ。


つまりは、そういう中傷されるかもしれない来栖くんが少し心配だっていうだけなんだけど…私にこんなこと言われても、来栖くんにとっては余計なお世話だよね。


そもそも親しくもない私にそこまで気を遣われるいわれは彼にはない。


「…変な女」


ポツリ、と聞こえてきた言葉に、私は耳を疑った。


ばかにされたのかと一瞬思ったけど、そこに私を揶揄するような響きはなかった。


責めるんでも威圧するんでもなく、ただ物珍しそうに、私のことを見下ろしている。


見つめてくるというより、観察しているような目。


そんな視線に戸惑った。