すっかり気を悪くした有須さんは、毛先を指でいじりながら唇をとがらせる。
「もおっ、忘れ物取りに来たら来栖くん残ってるから、チャンスだって思ってせっかく話しに来たのにー! ていうか、なんで残ってたの? 放課後学校にいたって意味ないじゃん」
「……………」
そのとき、はじめて来栖くんは窓から目を離し、有須さんのほうを振り向いた。
「………っせぇな、さっきから」
思わず、私がどきりとした。
来栖くんって、こんな声だったんだっけ?
記憶より一オクターブくらい低い気がする。なんだか怖い。
獣が相手を威嚇するような声だ。
私は抱えていた教材をぎゅっと抱きしめた。
私とは裏腹に、有須さんはやっと反応があったことに嬉しそうだった。
「えー、ひどい! ま、いいよ。話聞いててくれたでしょ? 明日、約束ね?」
来栖くんが眉を寄せて不審げに有須さんを見る。
言葉はないけど、「何が?」と表情が聞いている。
「映画のことね、映画! ちゃんと聞いててよ。来栖くんがちゃんとお喋りしてくれないから、あたしがいっぱい話してるんじゃん。ちょっとくらい反応してってば」
めげずに反論する有須さんに、来栖くんはあからさまに顔をしかめた。そして再び窓の外に顔を向けてしまう。
降りる無言の空間。
当人たち以上に私がハラハラしてきた。
ど、どうなっちゃうんだろう。
有須さん、絶対告白しようと思って来栖くんに声かけたんだよね? こんなんじゃ………。
そんなことを思っているうちに予想が当たってしまった。
黙っていた有須さんの肩が小刻みに震えはじめる……。
「…っひどい。あたし、ただ来栖くんと話したかっただけなのに無視なんて…! あたしのこと嫌い!?」
まるでドラマのワンシーンのような、完璧な夕日の光具合と彼女の立ち姿。
床に暗い影を落とし、すすり泣く声が教室に微かに響く。
男の子なら絶対に守ってあげたくなるような、か弱くていじらしい、恋する女の子そのもの。
これを慰めない男性なんて、きっとこの世に1人くらいしかいない。
「来栖くーーーー」
言い募ろうとする有須さんに、来栖くんは窓に目を向けたまま、突き放すように冷たく言った。
「うるせぇんだよ。……何度も言わせんな」
言われた瞬間、有須さんはカッと血が上ったように顔を赤くさせ、
「っ信じらんない!!」
吐き捨てるように叫び、教室を走って出ていってしまった。
「……………」
反対側の戸から廊下の奥へと消えていった彼女の姿を見送り、私は何とも言えない気持ちでその場に固まる。
告白現場かと思いきや、失恋現場に居合わせてしまった…。
このあとどんな顔してこの教室に入ればいいの?
スクールバッグも勉強道具一式も全部教室に置いてあるから、帰るためには入らなくちゃいけない。
でも今はとてもそんな勇気はない。
しばらくどこかで時間をつぶしてから戻ってこよう……。
そう思って私はゆっくり腰をあげる。
すると、
「水樹? 何してんだ、こんなところで」
「!!?!?!?」
「はぁあッ!?」と変な声が出かかったのをなんとか飲み込み、私はバッと後ろを振り返った。
いつの間にか後ろに立っていたのは、クラス担任の鮫島先生。
「せせせせせせ先生……ッ」
「もう17時すぎてるぞ? こんな時間までなにして…ああ、残って勉強してたのか。相変わらずお前は真面目だなぁ…。他の奴にも見習えって言ってくれよ、先生が言っても誰も聞いてくれなくてさ」
私が抱えた教科書を見て、困ったように笑いながらそう言う鮫島先生。
いやいやいやちょっと待って。
私いまそれどころじゃないんですけど!
後頭部のあたりにとても痛い視線がぶつかっている気がするのは気のせい?
気のせいだ。誰か気のせいだと言ってほしい。
ギシギシと首を教室の方へまわし、こちらを見ていた彼とがっちり視線が絡み合ってしまったーーー……。