キッチンから彼の声だけがする。

「ここに来る前、お前は俺とはそんなことには絶対ならないと豪語していたが、それがなんだ?すっかり身を任せて抵抗すらしない。記事のためにそこまで自分を投げ出してもいいとでも思ったのか?先日から俺がお前を助けてやってることが全く意味がないも同然だ」

彼は今どんな顔をして言ってるのか見えないけれど、結構きついこと言われているよね。

つい最近までの私なら言い返しているところだろうけど、なぜかそんな気持ちにならない。

いくら彼と一緒に過ごしても何もないと言いきっていた時が随分昔のことのように思えた。

私、一体どうしちゃったんだろう。

グラスにミネラルウォーターを入れて戻ってきた彼は私にもグラスを手渡しながら言った。

「少し頭を冷やせ」

「……ありがとうございます」

険しい表情の彼は自分の水をぐいっと飲み干す。

まるで自分の頭を冷やすかのような勢いで。

私も少し冷えた水を少し口に含んだ。

「男は好きでもない女とでも平気なんだ。バーでのこともそうだが、お前の行動は軽率すぎる。相手に隙を見せないことが自分の身を守る最善の方法だ」

「社長の考えだと、隙=リスクになるわけですね」

「ああ、そうだ」

前を向いたまま頷いた彼の横顔に思い切って尋ねた。

「だけど、リスクばかりを恐れていたら前に進めないってことはないんでしょうか」

ソファーの背に片肘を掛けた彼はこちらに視線だけ向ける。

「前に進めないことはない。現に俺は前に進んでいるからな」

「例えば、仕事以外でもやはりリスクは無駄なんでしょうか」

「仕事以外?」

私は今彼に何を聞こうとしているんだろう。

我に返った私は慌てて自分の口を押えた。

「すみません!今のは聞き流してください」

「仕事以外となると、恋愛とかそういったたぐいの話か?」

私の隙を付いたとばかりにやっと笑う彼の表情に、思わず出てしまった自分の一言に後悔の嵐が吹き荒れる。

「……そういうわけではないですけど」

と返すも、否定しようと思えば思うほど顔が熱くなっていく。

「好きな男でもいるような顔だな」

「いません!」

妬けになっているのがバレバレだと思いつつも、彼の顔をキッと睨んだ。

だって、今こんなにもドキドキしているのは、彼がさっき私に変なことしようとしたから。

そしてそれを拒めなかった自分に動揺している。

きっと今の状況を意識しすぎてるだけなんだ。